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父と子のパピコ【甲斐大和→松本 120km vol.03】

去年「四十歳になった記念に」と、ずっと途絶えていた松本時代の中学の同窓会が開かれた。今でもつきあいのある当時のクラスメートが、一年しか通っていなかった私にも声をかけてくれた。
四十人ほどの当時のクラスメートのうち、二十数人が集まった。少し遅れて皆が集まった居酒屋に着いた私は、中学の頃、毎朝教室に入るときと同じように篠田美代子の姿を探していた。座敷の端に座っていた彼女と目が合い一目で分かった。笑顔を浮かべた彼女は小さく手を振って、空いている自分の隣の席を指さした。年甲斐もなくどきどきした。

「坂上君、来るかなって思ってた。あの時以来だね」
そう、「あの時」以来二十五年振りだ。彼女はあの時の面影のまま、美しい大人の女性になっていた。ぎこちなく挨拶を交わし、当たり障りのないお互いの近況を少し話した後、彼女が言った。
「坂上君に会ったら、あの時のことを謝りたいって思ってた」
「えっ? 謝るって、なにを」
「あの時、坂上君が会いに来てくれてびっくりして嬉しかったんだけど、その気持ちがちゃんと話せなかったなって、ずっと思ってた」
「謝るなんて、そんな必要ないよ。こっちが勝手に会いに行っただけだし」
「どうしていいのかわからなかったのよね」
「困らせてしまったと思って後悔した」
「そんなことないのよ」
「まあ、正直、フラれたって思ったよ」
「きっとそうだよね」
「帰りはしょぼくれて帰ったもの」
その言葉に彼女は笑った。
「言い訳みたいだけど、あの頃はまだそういうことに、どういうふうに応えればいいのかわからなかった。誰かが自分に好意を持ってくれるなんて初めてのことだったし。自分なんかのためにわざわざ東京から来てくれるなんて申し訳ない気持ちだった」

二十五年前、中学二年の夏休み。東京から松本まで、私は自転車で彼女に会いに行ったのだ。転校するまでに彼女に想いを伝えることができなかった私は、東京に引っ越してからもずっと彼女のことを考えていた。
なんで自転車だったのか。多分、なにか言い訳が欲しかったのだと思う。ただ彼女に会いたいがために松本までやってきたというのは言い訳のしようがない。自転車でやってきたついでに会いに来たように振る舞えばいいんだと、心のどこかで逃げ道を作っていたのだろう。
松本に着いて、彼女の家に電話して、私が住んでいた家と彼女の家を結ぶ坂道の一番上にある大きな公園で会った。彼女は再会を喜んでくれ話も弾んだのだが、ここまでやってきた理由は彼女に会うためだと思い切って告げたら、驚いて複雑な表情になり、やがて押し黙ってしまった。私の気持ちと行動が彼女を困らせていると思い、いたたまれなくなった。
途中まで弾んでいた会話はそこで途切れ、ぎこちない沈黙のあと「急にごめんね。会ってくれてありがとう」と言って私は公園のベンチから立ち上がった。
「うん…… 来てくれてありがとう。またね」
「うん、じゃあまたいつか」

そんな最後の会話から二十五年が経っていた。
「なんだか、待っていたらきっとまた会えるような気がして。次に会ったらちゃんと話そうって思って。そうやって思っているうちに二十五年も経っちゃった」
篠田美代子はビールの入ったグラスを傾け懐かしげに笑う。
一人娘の篠田美代子はずっと地元の学校に通い、地元の大学の医学部を出て医者になったと、以前人づてに聞いていた。
「別に親に強制されたわけじゃないのよ。それが自然なことだって小さいときから思ってたから。そしていずれお医者さんの人と結婚するんだって」
夫は大学の同級生だという。
「ただ、一度もこの街を出ないままっていうのはちょっと残念だったかな。主人も松本じゃないけど県内の人だし」
「東京の大学に行くとか考えなかったの?」
「うーん、どうだろう。思わないこともなかったけど、絶対親は許してくれないと思ってたから。だから……」
篠田美代子は言葉を切り、一口ビールを呑んだあとで続けた。
「だから、東京からここまで自転車で来てくれた坂上君はすごかったな。そんな遠くからたった一人で自転車で来るなんて素敵だったなって、時々思い出していた。私にもそんな勇気があれば違った生き方もあったのかもしれない、なんてね」

思いがけない彼女の言葉に胸が詰まった。多分、篠田美代子にとっても、そしてもちろん私にとっても、この思い出は美化されているのだろう。
いいじゃないか、美化されたって。そういう思い出があるから人は今を生きていくことができる。遠い思い出のなかの自分が、ほんの少しでも篠田美代子に勇気を与えていたのなら本望だ。ほろ苦かった思い出も報われる。
彼女はスマホを取り出し一枚の写真を私に見せた。
「え? この写真……」
「娘よ」
写真のなかで制服を着た少女が照れたように笑っていた。少女は昔の彼女と瓜二つだった。なにも聞かずに見せられたら彼女の中学時代の写真と思っただろう。
「似てるでしょ?」
「びっくりした。そっくりだね。篠田さんかと思った」
「今年、中学生になったの。同じ中学よ」
「じゃあ、きっと斜め後ろの席の男子が娘さんに恋してる」
その言葉に彼女は驚いた表情を浮かべた後、小さく吹きだした。
「それは母親としては聞き捨てならないわ。チェックしなくちゃ」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「また会えるといいな」
「うん、今度こそ本当にまた会おうよ。時々、松本には来てるから」
そう言い合って同窓会の夜、私と篠田美代子は別れた。

そんな会話から一年も経たずに、思いがけない偶然で、今、篠田美代子と二十五年前の彼女に生き写しの娘が目の前にいる。長く生きていると不思議なことも起こる。
「同窓会でも言ったけど、また集まる機会があったら私にも声をかけてね。多分、幹事役は北村君でしょ?」
「ああ、そうだね。北村に言っておくよ」
「あ、そうだ。コンビニよね。この近くにあったっけ?」
「この先に新しいのができたよ」
篠田美代子の娘が言った。
「じゃあ、なっちゃん、坂上さんに場所を教えてあげて。ママはおばあちゃんと待ち合わせしているからもう行かなくちゃならないから。ごめんね、坂上君。母を待たせているので私は行くわ」
「うん、また」
篠田美代子はこなれた動作でサドルに跨がると、振り返って小さく手を振り走り去った。

「じゃあご案内します。あとを着いてきてください。こっちでーす」
母親を見送った後、娘は自分の自転車に乗り走り出した。
「健太郎、先に行って」
「あ、うん」
慌てて健太郎が娘を追って走り出した。そのあとに私も続いた。

(つづく)

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