好きかどうか やりたいかどうか
アタシは、「好きかどうか、やりたいかどうか」で行動してきた。他人にどう思われているのか?とか考えると何もできなくなるし、そんなことは、つまらないことだと思う。
だから空気も読めないし、同調圧力が強い輪からは離れるようにして生きてきた。
輪の中に入ってしまったときは、居心地の悪さを感じ、そういう女子の輪の中の悪口とか同調できない意見に、嫌悪感を感じたし。
自分も一緒にニコッと笑って、その場にいることで起こる罪悪感。そういう場にいなければならない自分にがっかりして、そして、無理、無理って思ってしんどくなる。
そんなアタシですが、今回は母としてまだ子育て頑張っていたころのお話を・・・。
アタシが母になったとき
子どもたち幼児の期間は、そういうママ友の輪の中に入らないと、母(アタシ)によって、子どもたちの遊びの機会を減らすことになるという危機感があった。
こんな性格のアタシ。ヤバいなって。
結婚して住み始めた場所は、ちいさな子どもが少ない田舎ぐらしでした。公園に行っても誰もいないのです。
そこで、一念発起。アタシは子育てサークルを自分で立ち上げた。
未就園児の子たちとママが児童館で毎週一回集える、そんな機会を作ることで、子どもの少ない自宅近所で、同年代が遊べる場とお友達を作る機会を積極的に自ら作ったのです。
メンバー募集のビラを配ったり、楽しい集まりになるように、いろいろ考えたけど、アタシ、空回りしていたな。
だって、アタシって、コミュ障で、子どものころから学校でも浮いてる存在で、人と話さないで、ずっと本読んでた人なんだもの。大人になってからの仕事も職人仕事やったし。上手くいかなかったのは仕方ない。サークル活動のノウハウがわかってなかったのだもの。
今から考えても、無謀なチャレンジやった。
でも、そのうち、いろんな周りのアドバイス、民生委員さんの優しさ。皆に支えてもらってメンバーが増えた。
その中の保育士免許を持ったママが、リーダー格になって、動いてくれて、サークルは軌道に乗った。うちの子たちも、お友達と、いろいろな体験できた。
結果オーライよ。
みんなで季節の行事、いちご狩り、川遊び、芋ほり、ミニ運動会、いろんな工作。楽しいサークル活動になった。
こんな昔ばなしを思い出し、書いているのは、自分が自分らしからぬことを若くて未熟ながら必死で頑張った時期でもあったし、それは、自分らしからぬことではあったものの、こうありたいと思う子育てをするために、なんだかんだで、自分のやりたい事を夢中で、突き進み、頑張っていたのだと思うからだ。そう、今の自分のスタンスにつながるから・・・。
そのとき、母同士の会話に入れなくて、アタシ空気読めなかったし。アタシ以外の人で楽しく固まってたこと。そういった居心地の悪さや、意地の悪い会話に傷ついたことも、今となっては、それもまた、よかったのだと思う。打たれ強くなった。
図書館にも2週間に一回、絵本や児童書を(毎回制限ギリギリの冊数を2人分!!!)、大きな鞄をもって借りに通っていたので、その時期とっても忙しい時期やった。
もう一つの隣町のもともとあったサークルにも、週一回参加して、自分のサークル活動の参考にさせてもらってたし、バタバタで必死の子育て期間。
子ども同士はとっても楽しそうだったし、子育てのいろんな楽しい情報も共有できたし。良かった事もたくさんあった。
子どもたちに、こういう環境を与えたいと思う、アタシの思い、やりたいことに準じて、行動できたのだと今は思える。本当に、自分らしくない行動やったけどね。
そういうことに、何の後悔もないし、つらかったこと、空回りしていたこと、その苦労があっての、今の自分なんだなって思うから。
人間関係に不器用で鈍くさい母ではあっても、健やかに子どもが育ってくれたのは、あきらめずに、こうありたいと思うことを、臆せず行動してきたからこそ、なんだよなって思う。
だから、「アタシって実はこういう人だ」って思うんじゃなく。「らしくない行動」って思ったとしても・・・。
「こういう風にありたい」という理想にむかって、自分が良いと思う方向にむかって行動しチャレンジすることが、親として、人としての成長につながると思うし。見えない景色も見えるようになると信じてる。そう、勿論これからもね。
先日、
「何故あなたは、怒ったりイライラしたりしないの?」
って職場で聞かれたのだけど、いろんな悲しい経験や、しんどい経験をして、相手の立場や相手の思いに全部は同調したり理解はできなくとも、そういうこともあるかなって想像することで、今まで乗り越えてきたからだと思う。
それは、たくさんの小説を読んで、様々なタイプの(実際には出会うことのないような)人の、嫌な部分も素敵な部分も知る事が出来て、人よりいろんなことを想像しやすい人になってきたのかもね・・・。
より、自分の理想とする生き方を考えたり、(こういう人になりたくないという意味でも)深く考える機会が多かったと思うし。
自分とは?自分らしさとは?って考えるものの、そこにとらわれすぎずに。「好きかどうか。やりたいかどうか?」で失敗を恐れずに果敢に行動しちゃう(結果どんくさくて、コミュ障だから失敗するんやけど)そんなアタシは、実は、強くてかっこいいやんって、そんな自分を今は、気に入ってる。
いつも理想には程遠くて、もがいているのだけれど。
そんな、しんどい生き方しかできなかったのだけど。
自分が納得した行動を自分のできる精一杯でしたいんやもん!
兄に言わせると、アタシは
かっこつけで無謀な、鉄砲玉子、とのこと(笑)。
行ったら行きっぱなし、夢中になって帰ってこない、ぺこりん(幼少期のアタシに対して兄はこう呼んでいた)は「鉄砲玉子や」(笑)
今、兄に逢うと、もう「かっこつけんとき」「もっと楽になって、仕事辞めて老後の生活のために毎日歩いて体力落ちないようにしたらいいんや」って言われる。
「ええ(怒)かっこつけたいねん。もうすこし仕事続けて、あがきたいねん!!」
と言ってしまうと、今は腰を痛めて、ヘロヘロになって休んでいるので、何を言うとるって怒られそうなので、兄には、何も言わず「うん、うん、うん、うん、うん、うん、うん、うん、うん、うん、うん、うん」って、返事しとこ。
ま、いうても、そのうち老後はやってくるのさ。
そして、嫌でも仕事をやめなアカンときはくるのだ。
それまで、アタシの「かっこつけたいねん」な日常は続くのである。
ちなみに、トップの写真は、現在のマイブーム。一日一個のお楽しみのリンドールのチョコ。珈琲のおとも。
さ、珈琲飲もうっと
ほなまた!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?