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麦茶の番人


お茶うまっ!


冷えた麦茶を一気に飲み干した妹の一言。

そりゃそうですとも。毎日毎日、必ず冷蔵庫に3つはストックしてある麦茶たち。

彼等が絶えることのないようにワタシ、麦茶の番人が居るのですから。

と言うのも、実家あるあるだと思うんですけど、5月中旬から9月下旬あたりまで、冷蔵庫には麦茶が冷えていますよね。


一人暮らしをしていた時、お茶を沸かすなんてしなかったから、冷蔵庫には常に2ℓの緑茶のペットボトルが入っていました。

実家に戻ってきた時、1番懐かしかったのが、冷蔵庫の冷えた麦茶かもしれません。その番人を今は私(時々母)がしています。

そう、私は今実家暮らしです。実家と言っても、メゾネットタイプのアパートに4人で暮らしています。両親と末の妹(17歳差)


なぜアパートなのかと言うと……


父親が実家(農家)に帰りたがらない

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祖母(父方)も一人暮らしが良い

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でもいずれは継がないといけない

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他の土地に家は建てられない

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勿論、私は継ぐ気満々でいる

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本当に継ぐまでアパート


何でこんなこと書いているのかと言うと……うちは父方の祖父が本家を継がずに分家として家を出てから1代で、今祖母が1人で守っている、家や田んぼ、畑、牛舎(今は使われていない)ちょっとした丘のような山を築き上げました。

私の父は実家が嫌だったみたいで、農家も牛飼いの仕事も継ぎませんでした。

だから自然と離れた場所で暮らし、祖父が早くに他界してからは、牛も手放し(相当足元を見られたそうです)農業は本当にお米、もち米、少しの野菜だけになりました。

2年ほど前までは、祖母の家の冷蔵庫にも冷えた麦茶がありました。

いつからか、祖母の家に行くとペットボトルのお茶が出てくるようになりました。


祖母が麦茶の番人を引退したのです。
もうしんどいんかな。そう思いました。



ーーーーーー



私は6〜7年前に勤めていた会社で、パワハラとセクハラを受けてから、精神的にしんどくなって、更に追い討ちをかけるような被害に遭ってしまった時に、誰とも喋れなくなりました。自分の部屋から出られず、外にも出られない。誰にも会えない。家族ですら話ができない。

皆が寝静まってからシャワーをしたり、リビングに降りてきて、少し何かを食べたり。

何もできない。そんな病んでいる時期が、約7ヶ月程続きました。勿論、仕事は辞めて、夜のお店のバイトも行けません。理由は誰にも言えませんでした。それまでの私は自分が強いと思っていたからです。そんな弱い事は言えない。

当然、警察にも行かなかったし、セクハラやパワハラ問題も、中学校の同級生が大学院で法学部に通っていたので、少し相談したことがあったのですが、周りの人にバレるのが何故か怖くて。結局何もできませんでした。

そこでもうどうしようもなくなって、弟(長男)にパワハラとセクハラの件だけ、少し話をして、自分の状況も話しました。ビックリするぐらい涙が止まらなくてわんわん泣きました。


弟がばぁちゃんち行ってみれば?と言うので、1週間程、私は祖母の家に泊まりに行ったのです。

生まれて初めて、1人で祖母の家に泊まったのが20代後半。何というか、祖母が嬉しそうにしていたのが救いでした。あぁ、私この人の孫なんだ。唐突にそう思い、泣きたくなりました。

私は仏間が好きで、泊まる時はいつも仏間で寝ていました。祖父と曽祖父の遺影もあるからです。大好きだった祖父。そして、会ったことはないのに曽祖父のDNAが濃いと言われる私は、小さい頃から曽祖父の遺影をよく見上げてお話していたんです。

最初の日、祖母と一緒に私は色々な話をしました。他愛もない話をしてみたり、兄弟の話をしたり。そして、祖母は私のことを聞いてきました。

ショックを受けないようにやんわりと説明すると、「ちーと休んでからまた頑張ったらえーがな」呆気なく返されて、それが何とも……そうなんですよ。それなんです。大袈裟に心配されたくない気持ちが一番大きかったんです。

だからね、私にとって、その普通のことのようにまた頑張るという、自分では何回も何回も決意していたことを、サラッと呆気なく、だけど重みのある、祖母だからこそ出てきた言い方と言うか、言い回しが、しっくり来て、しっかりと掴まれたのです。

翌日は弟(長男)も祖母の家に泊まりに来て、3人で、我が家の家紋について話したり、本家の話をしたり、ご先祖様の話をして盛り上がりました。祖母は前に進むきっかけをくれて、弟(長男)は、私が立ち上がるまでサポートし続けてくれました。 2人が居てくれて、本当に良かったと思うと、今でも涙が溢れてきます。


私の身に起きた事件は身近な人にこそ言えないデリケートな出来事なので、未だに誰も知りません。だけど、もしかしたら記事に書くかもしれないです。時が来たら。

そんな私は祖母の家、いいえ、私の帰るべき家の麦茶の番人をする為に、今は通いで農作業を手伝っています。祖父の築き上げたこの土地や家をまた未来に受け継いでいく。


私にとって、冷蔵庫の中にある冷えた麦茶は家族という、ゆたかさの象徴なのかもしれません。



長くて少し重いお話にお付き合い頂きありがとうございます。また更新しますね!



peco





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