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ミニマルな小説⑤魔法使い

僕は今夢中だ

向かいのテーブルの上にある

水の入ったグラスに

僕はクリスマスなのに1人

向かいの席は男性と女性のカップル

そのグラスは男性の腕に

少しずつ押されながら

テーブルの隅に今ある

大きな窓から観えるライトアップなんて

忘れるくらいそのグラスに夢中だ

僕のテーブルの上のあたたかいスープは

ややヌルいスープに変化してしまっている

本当は言いたい

彼らに言いたい

若しくはお店のスタッフにでもイイだろう

僕は小心者だ

「あ!」

心の中で叫んだ

「危ない!」

男性の腕が外に少しずつ開きだすたびに

グラスはズレている

そしてその時がきてしまった

「水浸しになる!落ちるな!」

心の中で叫んだ

テーブルからグラスが落ちたと同時に

僕は眼を瞑った

しかしおかしい

グラスのわれる音がしない

薄っすらと目をあける

僕は目を疑った

心の中で叫んだ事が目の前でおきている

グラスがテーブルから落ちてはいるが

空中に浮いており床にまで落ちていない

僕は魔法使いにでもなったのか?

向かいの席の女性がこちらを見つめてきた

それはそうだろう

じっと自分達の席を見られているんだから

僕は目を逸らした

向かいのテーブルにスタッフが

次の料理を運んできた

スタッフが下がるとグラスは

机の上に戻っていた

まるで前からそこにあったかのように

向かいのカップルが

先に会計をすませ出て行く

僕はそのあと会計をすませ

お店を後にしようとした

振り返り外へ出ようとした瞬間

「良かったですね。床に落ちなくて。」

僕は振り返った

「………あっ」

僕が一言発しようとすると

目の前のそのスタッフは

僕の言葉を遮るように

「ありがとうございました。」

「また、お越し下さいませ。」

笑顔で僕がお店を出るまで

深々とお辞儀をしていた

クリスマスの日に魔法を見た高揚感

家路へ向かう足どりは

とても軽やかだった

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