断捨離の“断”〜既にあるものを、朽ちるまで使ってみたい〜
結婚して実家と距離が空いてから初めて、父の背中をよく見るようになったと思う。
今に始まったことではないが、父は自分では服を一切買わない。大袈裟ではなく、本当に一着も買わないのだ。ファッションに興味がないことはさることながら、親戚からの贈り物、お古、土産物で充分間に合っているそうなのだ。それらの品を、色褪せたり擦り切れてたり破れたりするまで、大切に使っている。時にその度が過ぎて、「寝巻きにしたってそろそろ処分した方がいいんじゃないか…」みたいな見窄らしいTシャツをいつまでも着ていることもあるのは玉に瑕だが…。
そんな時は大抵、「それ、もう終わりにしたら」「またそんなの着て!一緒にいるのが恥ずかしい」と妻に眉を顰められている。そういう母の気持ちも、分からないわけではない。
身だしなみ問題はさておいて、とにかくここでは、私の父は断捨離の「断」と「離」をごく自然に実践できている人間、ということが言いたい。
では娘の私はどうかというと、ご存知の通り色んなテイストの服を、その時々の気分で買い漁っては、飽きて捨てたり売ったり。「断」と「離」は大の苦手だが、「捨」だけは達人級。服飾品に対して、父とは真逆の態度をとってきた。だって、雑誌やインスタグラムをみると、次々と魅力的な商品がこれでもかと目に飛び込んでくる。世界は欲しいもので溢れてるんだもの。
しかし、
一つの洋服を、擦り切れるまで大切に長く使う父。
手に入れた次の瞬間には、もう新しいものを求めてすぐに売ったり捨てたりする私。
果たしてどちらが本当の服好きと言えるのだろう?…
最近の私は、常に洋服のことで頭がいっぱいの自分より、父の態度の方が、なんとなく良いなぁと感じるように変わってきた。
既に持っているものは大切に扱って、なるべく長く使うけど、所詮は道具。人生において大切なこと、興味を注ぐべきことは他にたくさんある。
父の生き方はそれを体現しているようだ。
私も今持っている物を使い切ってみたい。そして、今あるものがなくなるまでは、新しいものの侵入も断ちたい。
ちなみに断捨離の最後の「離」については、自覚的に実践するのは難しい気がする。我が父の場合だって、修行(?)のすえその高みにたどり着いたわけじゃなくて、ラッキーなことに元々物欲がないっていうだけだし。今の私の物欲まみれな状態からすると、「離」は正にラスボス。まずは一旦、「断」に取り組んでみたい。
では、どこまで使えば“使い切った”ということになるのだろうか?
靴底がすり減ったら修理し、服に穴が空いたら縫い…というのが、ものを大切にするという観点から言えば理想だろうが、あまりに清潔感がなかったり、貧乏くさいのは嫌だなぁと思うのは、現代社会に生きていれば至って普通の感覚だと思う。
とりあえず靴。足裏のゴムが擦り切れきって、底面の素材に到達したら終わりにしようと思う。次に、布でできたものーーシャツやパンツーーは、破れそう、もう生地がすっかり薄くなってそろそろ透けそうだな、と思ったらやめどきにしたい。あるいは、襟袖の黄ばみがどうしても取れなくて目立つとか。生地が厚いコートなどの上着類は、破れとまで行かずとも、襟や裾が擦り切れるまで使ってみたい。
とりあえず今月については、4月中は何も買わない!!と決意したばかり。まだ月の半分も過ぎてないのに気が早いけど、5月、6月…と不買実績を伸ばしていけたらいいな〜と思っている。
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