パン屋になったわたしの話


朝の誰もいない工房の窯 自然光ですごくかっこいい

パン屋になって4カ月。継続は力なり。
昨日から始まったパン屋としての修行記録。

従業員としてであっても、気持ちは修行。
でも行動はそうであってはいけない。
修行だけれどお給料が出る。だから修行だとも言い切れない。
修行です!といいたいところだけど、
ドリアンの一員として「働く」という責任感がある。

実は最初、この「働く」という部分に自信がなくて。
自己紹介をするときにはっきり言えない自分がいた・・・
わたしなんかが名乗ってよいのか?
「ドリアンで4月から・・・働いて?います。笑」
のような、今考えたら「働く」という気持ちにしっかりとなれていなかったような歯切れの悪い言い方だ。今考えるとさいあくです。とほほ・・・

そんなわたしは4カ月で、色んなことを考えた。
自分がパン屋だったら。
こういうことをやったらどうだろう?
これは誰かの真似事ではないか?
あんなふうになりたいな〜でも私じゃ無理だ。
わたしらしさって何?

一旦迷路にハマったら、これを解決するまでひたすら出かけて人に会って話をして。話をしたって結局自分がどうなりたいかが重要だから、
実は答えは自分の中にあるはずなんですけどね。

そんな日々を過ごして行く中で、
昨日は工房で「これからのパン屋」についての話になった。
その時に、わたしという人物を知ってもらう一つの要素として
「先生」という部分は外せないんじゃないかな?と・・・
今まで教育とパン屋をかけざんできたらいいなと言っていたけれど、
なかなか想像できなかった。
それが、実際に今から薪窯パンやさんを開業しようとする人たちを目の前に
自分の口で語ったその言葉が、なんだか本物のように感じた。
少し緊張しながら、でも自分の言葉で話をすることで、
より自分のなりたい姿が想像できたということだ。

かっこいいからとか、おしゃれだからとか、そういうことに飛びついて夢を
描いたこともあったけれど、そこには「わたし」がいなかった。
やっぱり、「パンやになったわたし」を想像するときに、必ず子どもたちが
目に浮かぶ。
夢にも時々出てくるあの子やあの子。
実は昨日も出てきたんだ。笑

子どもたちとの時間が大好きだったと再確認した昨日、
先生ではなくて、子どのたちの空間(環境)の一部としての
パン屋になるんだきっと。と感じた日となりました。

今日もおつかれさまでした🍀


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?