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最後に勝つのは尊厳だ|映画『グリーンブック』感想

原題『Green Book』

舞台は1962年。公共交通機関やトイレ、またホテルやレストランの使用における人種の分離が法制度として存在し、これらは一般に「ジム・クロウ法」と呼ばれた。

1936年から1966年までヴィクター・H・グリーンにより毎年出版された黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブック。ジム・クロウ法の適用が郡や州によって異なる南部で特に重宝された。

映画『グリーンブック』公式サイト(https://gaga.ne.jp/greenbook/)

『グリーンブック』は黒人旅行者にサービスを提供する宿泊施設やガソリンスタンドをリストアップしたものである。かつての黒人にとって旅をすることにはあらゆる不自由が存在した。白人の経営するガソリンスタンドで給油を拒否されたり、宿では宿泊や食事の提供を拒まれたりすることもあった。そんな彼らにとってグリーンブックは旅の必需品となっていたのである。

映画の中では陽気でユーモラスな場面が多くある分、シビアなシチュエーションになったときほど心に突き刺さった。才能を認められた演奏者が、なぜ南部でツアーを敢行したのか。これが実話だと知ったとき、Dr. シャーリーに敬服せずにはいられなかった。


人のバイアスはどうやって作られるか

泊まる場所、使うトイレ、食べる場所が違う。理不尽な言いがかりで投獄される。劇中で描かれた”黒人の事実”はことさら重く心にのしかかってきた。

作中で印象に残った台詞がある。ホテルのレストランで働くスタッフが発した言葉である。

「個人的な差別ではなく、土地のしきたりだから」

自分の考えで決めたことではないが、昔から皆がそうだったから自分も同じようにする。人のバイアスは後世に引き継がれてしまうものだという恐怖を感じた。”なんとなく”で差別をするなんて許せない、とも感じたが「誰かがこう言っていたから、これはこうである」という伝聞に起因するようなバイアスは案外点在しているように感じられた。負の感情は、抱いた当初は勢いづくが、その扱いには慎重にならねばならない。

描かれた三つの格差

作中で描かれていた格差は三つあると感じた。

  1. 白人と黒人

  2. エリートと非エリート

  3. 移民と原住民

一つ目は映画の全体構造として描かれている黒人(Dr. シャーリー)と白人(黒人を自分たちよりも下にある存在と捉える人々)。二つ目は質の高い教育を受け社会的地位を誇るエリート(Dr. シャーリー)と無学で賃金の安い不安定な職に就く非エリート(トニー)。三つ目は移民を嫌う原住民とマフィアのような仕事をするほかないイタリア移民(トニー)。

格差はあらゆる形態を伴って社会に息づいているのだと見て取れた。ある観点では被差別対象になる人が、別の観点では差別する側にもなることができる。境界線はそれほどまでに曖昧であると感じた。

暴力は負けである、勝つのは尊厳だ

Dr.シャーリーは「差別に対する一番の対抗は自らの尊厳を保つことである。」と語っていた。Awarenessを生むという点では暴力に暴力を持って返すことは効果的かもしれない。しかし、それでは「暴力を振るったこと」事態に注目が集まり、訴えたい内容は真に伝わらない。

最近報道されたゴッホの絵画にトマト缶を投げつけた環境団体の件に例えると、話題にされたのは「トマト缶を投げつけたこと」そのものであり、彼らがどんな信条を持ち、何を訴えたかったのか、真に取り扱うメディアは見受けられなかった。一般の人々には、環境を訴える団体にはこんな野蛮な人たちがいるという印象しか残らなかったようにも感じられる。

理不尽な現実に対して何も言わずに堪えることが美徳とされてしまうことには辛い感情も生まれてしまうが、「静かな抵抗」がよりPowerfulな手段であることはしかと心に留めておきたい。(これを考えていたときに、キング牧師やガンディーの存在が思い浮かんだ。)


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