見出し画像

海も暮れきる

自由律俳句の俳人・尾崎放哉は『赤毛のアン』好きの友人が教えてくれた。『赤毛のアン』の舞台となったプリンスエドワード島へ行き、作者モンゴメリのお墓参りをしたとき、放哉の句「墓のうらに廻る」を思い出してお墓の後ろにも廻ってみたという。友人らしいエピソードに笑ってしまったが、尾崎放哉についてそれ以上知ることはなかった。

今年の春、吉村昭記念文学館で行われた「吉村昭の手紙展」を観に行った。『海も暮れきる』は尾崎放哉の晩年について書かれた伝記的小説だが、吉村氏自身が結核に侵された闘病の経験を重ね合わせて描いた「私小説であり、自分の本音が隠されている小説でした」とお世話になった方に宛てた直筆の手紙を鑑賞した。友人が話していた尾崎放哉への興味が少しずつ私の中で育ち始めていた。

先日、その友人に会ったとき、今度は手紙好きの私のために放哉の手紙にまつわる句を書き出してきたと以下の句が手書きされた便箋をもらった。

紅葉あかるく手紙よむによし

ここ迄来てしまって急な手紙を書いてゐる

すきな海を見ながら郵便入れに行く

ポストに落としたわが手紙の音ばかり

眼をやめば片目淋しく手紙かき居る

ねそべって書いて居る手紙を鶏に覗かれる

心まとめる鉛筆とがらす

「尾崎放哉句集」より

自由律の俳句になじみはなく、最初は少しとっつきにくく感じたが、何度も読み返しているうちに言葉の向こうに広がるなにかを感じ、もっと尾崎放哉について知りたくなった。そしてようやく吉村昭の『海も暮れきる』を読むに至ったというわけだ。長い前置きで申し訳ない。

読後感

吉村昭の文章に飽きることはないが、読み始めてみれば、尾崎放哉の酒乱で生活力ゼロの困ったダメ男っぷりに眉を潜めてしまう。俳人としての放哉ではなく、病人で性格にも難ありの放哉の方が強烈な印象でだんだん辛くなってくる。

放哉の心理描写を読むのが怖くなってくる。死と向かい合う放哉の日々は厳しい。早く死にたいと願いながら時々襲ってくる恐怖に慄くあたりの描写を読むと、私の最期はどんなであろうかと思わずにはいられなかった。

病気が体を蝕んでいくのを感じながら厳しい極貧暮らしの中で、句作と文通だけが唯一のよりどころとなっている。そんな状況にあるからこそ冴えわたる句。小豆島に移り住んで亡くなる前の8ヶ月の日々で詠った句は、苦しみの最中とは真逆の研ぎ澄まされた静けさを感じる。

吉村氏はあとがきに書いている。結核になった時には、唯一の慰めが読書だったが、それも病気が進むにつれて文字を読むのがしんどくなってくるので読めるものは限られてくる。そこで文字数の少ない句集を読んでいたが、その中でもさらに尾崎放哉の句のみに親しむようになったのだと。小説を読む限り個人的には、尾崎放哉に対して人としての魅力はほとんど感じないが、尾崎放哉からいでた俳句には、ロウソクの炎のような落ち着きとやすらぎがよりそってくる不思議な魅力があるようだ。