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正直、一般人で他人のエッセイなんて1㎜の興味もなくない?

個人的には友達や知り合いでも別に興味はない。

SNSが蔓延りまくっているこの世の中、人々は承認欲求を満たしたくてしょうがない。

顔はおろか、時には性別すらわからないような赤にも程がある人間の一部を無限に見ることができる。

ある人は好かれてバズって注目を浴び愛され有頂天な人気者。

ある人は炎上して注目を浴びナイフを向けられ時にはソレを投げられる嫌われ者。

そして何をしても特に誰にも好かれず炎上もしない者。

この層が、浴び方はどうあれとにかく注目を浴びるための手っ取り早い方法が『自分』を切り貼りすることだ。『期間限定』なものであればあるほど効果的だ。

プロフィールに『10代』『20代』『学生』『OL』『女子』など記入しておけば、それにいろんなものが群がってくる。そこに『エッセイ』『日常』など書けば効果はさらに抜群なものになる。

この情報が嘘だろうが誠だろうが、そんなことは消費する側にとっては心底どうでも良い。

重要なのはそこに『それ』あることだ。

文章を読むときに頭の中で『それ』補完したら満足できるのだから。

度々疑問に思うのだが、そんなことで数字を集めて何になるのだろうか?

中身ではなくていつかなくなる『それ』に誘われてきただけ者だけで構成された数字には、何の意味も為さないのではないか?

私はそんなものに頼るなんて嫌だ。

しかしこんなに吐き出しても、『期間限定の自分』を切り取りSNSという大海原に放り出す層と、それに群がる層にはきっと見向きもされないだろう。

多くの人々は他人になんて興味がない。だからこそ『それ』は重要で、重要だからこそ意味なんて見い出す必要がない。

意味を見い出すということは、空っぽなことを証明するということになるのだから。

想定していたよりも捻くれた文章になってしまいました。J-popヒットソングメドレーを聴き流しながら書いたとは思えない。

最後に言わせてほしいのは、私はいつか消えゆく『期間限定の自分』だけをSNSに流して虚無を集めるとかいう、自分で自分を値引きして安売りなんてことしたくない。

『知りたい』と思わせてやる。

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