同じ土俵に立つな、という言葉がやっと腑に落ちた

自分の意見が正しい。
自分の意見を通したい。

相手の言い分があることは分かっているけど、それも踏まえた上で、やっぱり私の意見が正しいんだ。

相手を傷つけたいわけじゃない。
ケンカをしたいわけでもない。

私は、良心から、その場全体における最適解を言っているんだ。


文章にしてみると、なんと偉そうな物言いだと思う。
しかし、家庭でも職場でも、相手の意見に賛同できない時には、本気でそう思っていた。

特に、頑固な父親の血を引く私は、父と衝突することが多かった。


つい先日、父と意見が合わず、いつもの如く「私の考えの方が正しいんだ!!!」と反論しようとしたことがあった。

ところがその前に、父のいないところでコッソリ兄に呼び出され、言われた。

お前が自分の意見の正しさを主張することは、頑固な父さんと全く同じだぞ。
結局は、相手の意見を聞き入れようとしていないだけだ。
ここはお前が反論するのをやめろ。
不満はあるかもしれないけど、兄は、お前が大人になって身を引いたことを、ちゃんと分かってる。
だからいつもと違う選択肢を取ってみろ。

ここまで全てを言われたら、私の反論したい欲も少し落ち着きを見せた。

たしかに今まで、私の意見に聞く耳を持たず、突っぱねてくる父に怒ってきた。
でも私も、その父のことを間違っていると突っぱねていた。

お互いに、自分の意見の正しさしか信じていないのに、なぜ私は、父の意見を汲み取って発言している思っていたのか。
…勘違いしていた。

それから、自分の気持ちを理解してほしい気持ちと少し距離を置いて、お父さんと落ち着いて話をできるようになった。


これは職場でも同じだった。

みんなからあまり好かれていない、自分の意見を押し付けがちの上司がいた。
こちらの気持ちは考えていないように感じていたので、私なりの言い分を反論まがいに口に出してしまうこともあった。

でも兄の言葉を思い出し、まずはその人の言うことを素直に聞いてみることにした。

すると次第に、上司の表情や口調が柔らかくなり、今まであまり言われなかった感謝の言葉までも伝えてくれるようになった。
関係性が良くなった。

まず相手の意見を聞く。
今まで自分は出来ている、と思っていたことが、本当はいかに出来ていなかったのか実感した。

“相手と同じ土俵に立つな”

自分は出来ていると思ってるうちは、同じ土俵にいるのかもしれないな。


ちゃんちゃん

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