peach

まぁるいわたしが、トガりつづけて生きていく。

peach

まぁるいわたしが、トガりつづけて生きていく。

最近の記事

タコは小さいほど、怖い

チュクミという小さいタコを使った韓国料理が流行っているらしい。 タコの大きさは5cmほどで、コチュジャンぽい真っ赤なタレに絡ませて炒めたり、鍋物に入れたりするらしい。 わたしはその料理を見て気付いた、 タコは小さければ小さいほど怖いということに。 一口で頬張り切れるほどの大きさが怖い。 普段店で売っているタコ(足だけだが)を見てもあまり何も思わないが、一口で丸呑みできるタコがぎゅうぎゅうに鍋に詰められているのが怖い。 パック詰めのシラスに稀に入っているらしい、シラスと同

    • お香がぐにゃり

      お香を炊くのが好きだ。 そしてお香を眺めるのも好きだ。 お香を炊くと、灰色になった部分が自立できずに曲がり始める。 それがポトリと落ちる瞬間を見逃さずにはいられない。 お香の上半分が、じわりじわりと塔が傾くように、左右どちらかに傾き始める。 ある女性の半生を早送りしているように、だんだん腰が曲がっていくさまに見える。 と思えば呪いのビデオで体の一部が一瞬で欠落する映像のようにも見える。 いつも亀裂が入る瞬間を見たいと凝視するのだが、お香は目にも止まらぬ速さで折れる。 そ

      • わたしは、焼け石

        年を重ねると、意識してやらないと新しい体験をしなくなる。 わたしには、ずっとやりたいと思いながらなかなか実行できずにいることが一つあった。 それはサウナへ行くことだった。 テレビや動画で誰かがサウナに入って「ふー」とか「はあぁー」とか言いながら気持ちよさそうにしているのを見るのが好きだった。 「共感的快適性」とでも呼びたくなるような、一緒に気持ちよく感じているような錯覚に陥るのだ。 繰り返しそんな光景を見ているうちに、わたしも実際に気持ちよくなってみたいと思うようになってい

        • 炊き込む、かき込む

          生活が荒んでいる。 「絶対にソファにだけは洗濯物を置かない」と固く決意したのに、ソファの上は毎日洗濯物の山で溢れている。 帰宅して録画したテレビ番組だけを惰性で見たら早々と布団に倒れ込む。 紙パックの野菜ジュースと味のしない食パンを何の感情もなく口に放り込む。 そういえばスーパーで、大葉やミョウガを買わなくなったなぁ。 わたしの生活にはすっかり彩りがなくなってしまった。 そんなわたしにも「あぁ炊き込みご飯が食べたいなあ」という感情だけは残されていた。 コンビニ飯でも、レトル

        タコは小さいほど、怖い

          迫る 初夏

          夏がきらいだ。 暑いから夏がきらいだ。 暑さで人々のテンションがおかしくなるから夏がきらいだ。 もちろん、夏の風物詩で好きなものはある。 花火、かき氷、素麺、プール、枝豆… ただ、その魅力を一気に帳消しにするくらい、とにかく暑さが憎いのだ。 何が嫌って汗をかくのが嫌。 ベタベタした服とベタベタした体とベタベタした髪で居続けなければならないのが耐えられない。 風呂上がりにすぐ脱衣所ですぐ汗をかくのが耐えられない。 汗腺を全部封じます的な手術があったら即受けたい。 だから出

          迫る 初夏

          忙しいという言葉がきらい

          大人は何かにつけ、「忙しい」と呟き「忙しい」を言い訳に使い「忙しい」自分に酔っている。 忙しい〜と困ったフリをしながら、すべきことに溢れて時間が足りないことに対して、心の奥底で優越感に浸っている。 だからわたしは「忙しい」という言葉がきらいだ。 「忙しい」という言葉を出されると、水戸黄門に印籠を出された気分になる。 これが目に入らぬか、お前には有無を言わせんぞ、と言われている気分になる。 ははぁ〜と頭を下げることが出来ないわたしは、水戸黄門さまに背を向けて遠ざかることしか出

          忙しいという言葉がきらい

          平日15時の人間観察

          和のテイストを売りにしている飲食店に、14時半に一人で入った。 平日しか食べられない貴重なランチをいただくため、わたしはひとりウキウキしていた。 ウキウキを必死に隠して冷静なフリをしているわたしは、平均年齢57歳ほどのおばちゃん4人組の隣のテーブルに案内された。 おばちゃんたちはおしゃべりが大いに盛り上がっており退店する気配はない。 ただ、全員のグラスが空であり、おかわりし放題のコーヒーを今から注文する気配もない。 退店する気配はないがこの先長くはいないだろう、と察知した。

          平日15時の人間観察

          3秒以内でも食べられない

          昔は平気だった。地面に落としたものを食べるのが。 いつから食べられなくなったんだろう。 いくら3秒以内でも、いくら息でフーフーしても、「落としたものは汚れてしまっている」としか思えなくなった。 起きた結果はどうあがいても変えられない。付着した塵、埃、微生物は取り除けない。時間は逆行しない。 日々知識が増えるのはワクワクするが、こういうときに知識は要らないな、と思う。 今思えば、友達や家族と「3秒!3秒!まだセーフ!」と言いながらガハハと笑い合えるから、落ちたものを食べられ

          3秒以内でも食べられない

          玉ねぎをかう

          今、わたしは玉ねぎをかっている。 玉ねぎを68円で買って半分だけ使った。 残りの半分をビニル袋に入れて常温に置いておいた。 忙殺される日々が続いて、玉ねぎの周りにいろんなビニル袋が置かれていった。 いつの間にかわたしの記憶から「残り半分の玉ねぎ」が消え去っていった。 常備するミートソースを作ろうと「玉ねぎ…玉ねぎ…」と冷蔵庫を探しながらハッとした。 「残り半分の玉ねぎーーーーー!!!!」と心の中で絶叫した。 存在に気付いた時には、既に食材ではなくなっていた。「残り半分の

          玉ねぎをかう

          車に岩のステッカー

          前を走る車から目が離せなくなってしまった話。 リアガラスに、灰色と薄い紺色の中間みたいな色のステッカーが貼られていた。 ナンバーをひと回り小さくしたくらいの大きさで、他の車で見かけるステッカーよりも比較的大きめだった。 ステッカーに描かれている形は、ウニをポップにデフォルメしたみたいな形で、初めはポケモンのメタモン?かと思ったが、メタモンにしては縁が尖りすぎている また中央部あたりにへこんでいるのか突き出ているのかよくわからない陰影がある それから、そのステッカーが岩にしか見

          車に岩のステッカー

          走りゆく車をながめる

          走りゆく車を眺めるのが好きだ。 電車を見ても、飛行機を見ても、船を見ても、あまり心を動かされないが、車が次々と走りゆく光景は、3歳の男の子のように口を開けて夢中でずっと眺めていられる。 特別難しいことを考えることはなく、「あ、車だ」「あ、車だ」と一つ一つを認知して視界から外していく。 今どきの言葉っぽく言うと、目の前のことだけに集中している。マインドフルネス。 分かりやすく言うと、流しそうめん台にそうめんが流れてきて「あ、そうめんだ」「あ、そうめんだ」と白い塊をそうめんだと

          走りゆく車をながめる

          つめに感謝する、切り落とす、待ちわびる

          足の指はつめが伸びるのが遅い気がする。 手のつめはいつも目に入るからか、一ミリでも白いところが伸びると気になって仕方なくなるしすぐに切りたくなる。 でも足のつめはなぜか気にならない。そもそも見ようともしない。 わたしが靴下を履いているときは一分一秒を争うくらい焦っているときだし、帰宅して靴下を脱ぐときもつめに注目するほどの余裕が残っていない。 すぐに布団にごろんとなることとか、洗濯をしなければならないこととか、今からなら何とか図書館に本を借りに間に合うことしか考えていない。

          つめに感謝する、切り落とす、待ちわびる

          今、真逆に伸ばされているところ

          出勤しない日はスマホのアラームをかけていない。 たいがいは5時前になると自然と体が目覚めるのだが、疲労が溜まっているときは渾々と眠り続けることもある。 寝ぼけ眼で細く目を開けると、カーテンの下からうっすら光が差しているのが見える。 「ハッ、ヤバい!」 から2秒後「今日休みだったぁ」と安堵する瞬間が好きだ。 人生終わったくらいの絶望的な危機からの、速攻で救われて安全が確保される感覚がたまらなく好き。 前振りのおかげで、安堵感40パーセント増し、みたいな感覚。 そして二度

          今、真逆に伸ばされているところ

          逆走するタイミングを見逃した

          エスカレーターに小学生が乗っているのを見かけると、「あぁエスカレーターを逆走したい」という衝動に駆られる。 別にその小学生が逆走しているわけではないのだが、どうしても「小学生=エスカレーター逆走」の方程式がわたしの中から拭い去れない。 その光景を実際に見かける頻度としては、5年に一度くらいなので決して多くはないのだが、逆走する彼らのあまりにも無防備で危険を顧みない奔放な姿に、若干羨ましさを感じてしまう。 というのも、わたしは昔から冒険できない子供だった。 いつも人目を気に

          逆走するタイミングを見逃した

          歯医者から出てきた敗者

          外出先で、どんな場所であっても扉から屋外に出ると多かれ少なかれ開放感を感じるものだ。 買い物ができるお店だったら「あー買ったぁ」とスッキリするし、病院だったら「薬もらったから何とかなる」と思える。 ただ歯科から出てきた人はなぜか浮かない顔をしていることが多い。 胸に何かが詰まっているような、スッキリしない顔。無表情の、営業回り中のサラリーマンみたいな、まだまだ何かを抱えているような顔。 そういうわたし自身も歯科から出て、「あースッキリしたぁ!」と言えたためしがない。 なぜ

          歯医者から出てきた敗者

          丸まるフラミンゴ

          「フラミンゴって何色?」と訊かれ 心の中で「そりゃピンクに決まってる」と思ってしまった。 余裕がない。なさけない。 わたしの中のブロックをうまくぎゅうっとして、下の段から順番に消していけたらいいのにと思う。 まだ明るさの残る中、開放的に花びらを丸く開かせたピンク色のチューリップを見ながら、フラミンゴみたいだと思った。 花びらのピンク色には少し筋のように白色も混ざっていてまさにフラミンゴを想起させるような、花びらだった。 背中を丸めたような曲線が美しかった。 フラミンゴのこ

          丸まるフラミンゴ