「愛人」

どういうわけか、読んでからずっと頭から離れない小説がある。

マルグリットデュラスの「愛人」。

もともとこの作品については小説ではなく映画から知った。

この作品に出会った当時は高校生で、少女と中国人青年の関係にばかり注目して作品を捉えていたが、

何年か経ってもう一度この作品に向き合ってみると、印象が大きく変わった。

この作品は、フランス人の少女と中国人青年の関係だけでなく、実に多くのことを包含している。

(実際にこの作品の世界を見てみたくて、舞台となっているベトナムのサイゴンや、サデークにも行ってみたのだが、このことは後日また別の記事に書こうと思う。)


あくまでも私の個人的な感想であるが、この物語の中で描かれている、いろいろなテーマについて述べてみたい。


1.貧困

主人公の少女はひどく貧しい家庭である。ある意味、少女が船で富豪の中国人青年と出会った時に、彼について行き、のちに愛人になったのは、まだ若いが彼女にとっては自然に思いつく"最適な選択"だったのかもしれない。まだ10代の少女が、しかもステータス的には上位であるはずの宗主国の人間であるのに、そうするしかなかったほどに貧しい生活をしていたということは、この物語に向き合う上で理解しないといけない。その事実と、作品中にも随所で描かれている富豪の中国人青年との大きな貧富の差に、虚しさを感じてしまう。

2.ジェンダー観

この作品の中では、アジアと西洋でのジェンダー観の違いがみえる。

青年は、中国の伝統では結婚相手は処女でなければいけない、富豪は結婚しても愛人を持つことが多い、などと話す。

いわゆる"男尊女卑"の考え方だ。

少女は、処女でなければ結婚できないという話を、まるで理解できないというような態度で聞いており、友達の売春の噂に好奇心を寄せていたり、「北の愛人」の中でも"操を守らない"というようにも書かれており、アジア(中国)の伝統的なジェンダー観には終始相反する態度である。

しかしながら、固い中国の伝統的ジェンダー観を持つ青年が完全に少女の虜になってしまう姿や、青年と自分は結婚できないということを理解しながらも少し悲しげな表情をする少女からは、2人がお互いのバックグラウンドや伝統の違いを超えて愛し合った様子が分かるだろう。

3.レイシズム

映画を観た人は分かると思うが、作品中で、フランス人家族による中国人青年への蔑視が描かれている。少女が中国人青年に面と向かって「中国人は大嫌いよ」と言うシーンや、少女の家族が青年と一緒に食事をするシーンで、全員が青年の話を無視するシーンは特に衝撃的であった。(そのあと青年が財布から大金を出してお代を支払うと、皆の目の色が変わるのだ。普通ならばこんなことは、立場が大逆転して胸がスカッとするようなシーンかもしれないが、ここではその前の無視が残酷すぎて全くそんな気持ちにはなれなかった。)また、家族に青年との関係がばれてしまった時、兄がひどく憤慨し、母が絶望するシーンは、フランス人が中国人の愛人になるということが、当時のベトナムではいかに不名誉、屈辱的なことかということを表しているのだと思う。少女に関しては、このような人種差別的な思考をどのくらい持っていたかどうか、分からないが…(作品中で少女によるレイシズムととれる発言、態度はあまりなかったような…?でも愛していたとはいえ、心の底では差別意識や屈辱感とかゼロではなかったのかなぁ、とか色々と思ってしまう)

4.家庭崩壊

少女と中国人青年の関係に注目しているとあまり焦点が当たらないのだが、この作品では少女の家庭環境が深刻である。貧困だけでなく、上の兄が薬物中毒で、借金をしたり使用人のお金を盗んだり、下の兄に暴力を振るったりと、手に負えない状態だ。また、母はなぜかそんな兄を溺愛しており、下の兄や少女には同じような愛情を注いでくれない。言葉で表しきれないほどの悲惨さである。このような状況から見ると、少女が中国人青年の愛人になったのは、ある種の"逃避"というような意味もあるのだろうか、と思う。少女は青年に「あなたが私を愛していないほうがいいと思うわ」と言っていたが、本人には自覚がなくても、本当は金銭だけでなく、青年によって愛されたいという希望を心のどこかで抱いていたのではないだろうかと感じる。


この他にも色々とあると思うが、以上の4つが個人的にこの作品で注目したテーマである。

初めてこの作品に出会った時は、なぜ少女が中国人青年にあのようなことをしようと思ったのか、全く理解も共感もできなかった。

しかし、このように整理してみると、少女があのような行動に走るのも、少し分かるような気がした。

少女が身を売ったのは、お金だけでなくむしろ、

家族との間では満たされることのなかった愛や安心感、優しさ、自分の悲しみを埋めてくれることを、中国人青年に求めたではないだろうかと、私は思った。

少女の悲しみを受け止めてくれた男性の大きな愛、

当時の少女には自覚できなかったかもしれないが、青年への人種や伝統の違いを越えた、確かな愛、

どちらもとても美しく、切なく、読者の心を掴んで離さない。


「愛人」は決して幸せな話ではないが、

私にとって、本当に美しい物語だ。

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