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ダメ人間でもいいよ

YouTuberの五彩緋夏さんが、努力についての動画をあげていた。参考になったので自分なりの解釈も合わせながらまとめてみようと思う。

「努力してないから自分はダメなんだ」という考えについて。

こういう風に自分を責めた経験は、病みやすい人なら特にあるのではないかと思う。

この考えには
①努力さえすれば自分は「ダメ」ではなくなることができる
②自分(人間)は「ダメ」ではいけない
という前提がある。

①について。この考えは「努力していないから」ということを自分の「ダメさ」の原因としているということ。つまり自分はほんとはポテンシャルはあるんだ!と考えているということ。だから動画では緋夏さんは「それって逆に自己肯定感高くないか?」というようなことをおっしゃっていた。

人間には向き不向きが必ずあって、ある分野で努力してもその分野に向いている人には敵わない。というか向いている人も努力はしていて、でもそれを努力と思わないくらい「努力に必要な労力」が小さいから、向いていない人よりたくさん頑張ることができる。そしてまたさらに能力も高くなって…というサイクル。

だから努力したからって「ダメ」じゃなくなれるとは限らないということ。

次に②について。少なくとも私は無意識に、あらゆる分野で「並以上」とか「ダメじゃない」自分を目指さなければいけない、そうじゃなきゃ価値がないと考えていたことに気がついた。

でも(最低限の自立への努力は必要だとしても)そもそも「ダメ」な自分ってほんとに「ダメ」なのか。

人にはさっきも書いたように小さな労力で努力できること、逆に努力するためにたくさんの労力が必要なことがある。大抵の人は何も頑張っていないわけはなくて、ただ「頑張ってる」ことに気付いてない(それくらい努力にかかってる労力が小さい)だけ。

だから努力していないという意味での「ダメ人間」は多分なかなかいない。仮に自分を「ダメ人間」だと思う気持ちが拭えなくてもそれならじゃあ「私はダメ人間なんだ」と、それを否定せずに開き直って理解して好きなことと最低限生きる努力だけすればいい。

「努力してないから自分はダメなんだ」って言うけど、その努力ってほんとに必要?と考える。その分野は「ダメ」でもよくない?と考える。

自分がほんとになりたい像とか好きなことをまず考えてそのための努力はする。あとの部分はSNSとかでキラキラした、憧れるなあ~~みたいな他の人を見ても惑わされない。よそはよそ、うちはうち!という感じで。

まあその、少ない労力で努力できる範囲を見つけることが案外難しいから、あれもこれもできてなきゃ!となっちゃうのだろうけど。

他人の「キラキラ」ばかりが見える世の中だから病んじゃうこともたくさんあるけど、全部頑張るなんて絶対無理。だから捨てるとこは捨てて自分はどこなら「キラキラ」させられるかな~って考えるようにしようと思った。

まずは「私ってダメ人間なんだ」と開き直る、受け止めることから始めよ~。



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