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オリンピック開催の意義

【はじめに】
本稿は、現在の五輪の開催過程などを題材に、日本の総理大臣がこんな風に、五輪開催の意義を伝えたら、、と綴った架空のメッセージです。フィクションであり、五輪の賛否を論ずるものではありませんので、予めご了承いただきご覧ください。。

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これまでの7月、8月は、国民の皆さんにとって、家族との思い出づくりや、友達との交流の多い月ではなかったかと思います。
夏休みに入り、山や海にレジャーに出かけたり、夏祭りや音楽祭、花火大会といったイベントなど、楽しい行事があったりもしたでしょう。

しかし今年も、政府の力が及ばず、再びコロナ禍の中での夏休みとなってしまいました。
一国の首相として、大変申し訳なく思っています。

一方でこのような状況下でも、生活を支えるエッセンシャルワーカーの皆さん、医療関係者の方々をはじめ、感染対策に協力くださる皆さん、日々奮闘している皆さんに、ありがとう、と感謝をお伝えしたいと思います。

さて、今年は東京でオリンピック、パラリンピックが行われる年でもあります。
このような機会は中々ない機会でもあり、国民の皆さんと貴重な体験や学び、交流の場を作っていきたいと尽力して参りましたが、このような状況となってしまい、開催か、中止かの選択を迫られています。

このことについては、国民の皆さんにも、賛否のあるところであることは理解しています。
一方で、日本だけのイベントではなく、世界も注目するイベントであり、世界の世論も二分しています。
そして、世界中のアスリートの皆さんはこの日に備えて、頑張ってきました。
彼ら彼女らは人生をかけて臨んでいます。
国の期待も背負っています。そして私たちの賛否の声に何が正しいか自問していると思います。
そう考えると私たち以上に悩んでおられるのではないかと思います。

それゆえに、開催を期待する方の声、感染症拡大に対する不安から中止を望む声、どちらのご意見も、それぞれの立場にたって考えると、どちらにする、とは言い難い難しい判断をしなければならない、と考えています。

しかし、国としては国民の皆さん、世界の皆さんに、どうするべきかをお伝えしなければなりません。

そこで国としては、IOC、IPC、東京都、大会組織委員会、そして政府の五者会議にて議論し、開催を期待する方の声に開催という形で実現する一方、無観客試合という形で中止を望む声に配慮することといたしました。

反対される方には、開催すること自体が危険である、とのご意見があることも理解しています。

しかし、大会関係者からの感染者を0とすべく、できることを全て行い、市中に出さないように尽力したいと思います。
また、これにより負担を強いてしまう医療関係者の方、現場の大会関係者、ボランティアの方など、サポートいただく方には、心苦しいのですが、五者で支援していきますので、引き続きご協力をお願いしたいと思います。

緊急事態宣言発令時の対応など、詳しい対策は後日発表します。
ここではまず皆さんに決定の背景について、ご説明させてください。
以下、オリンピック、パラリンピックの総称を五輪と呼んでお話しします。

今年東京で開催することは、日本にも世界にもリスクがあることは誰の目にも明らなことは、私も理解しています。
しかし、コロナを前に世界が分断されようとする機運が高まる中、あえてこれに挑むことで、もう一度世界の心を一つにできないか?
と考えました。

かつて五輪の歴史では、政治的な理由や、戦争から、中止やボイコット、出場停止など、悲しい出来事がありました。
しかし、各国のアスリートたちはそうした中でも、五輪に再び参加し、世界との交流の懸け橋となり、平和に貢献してきてくれました。
そしてその時代の人々に感動や、世界の広さを見せてくれました。
こうした苦難の歴史を踏まえたとき、今年の東京開催もまた、苦難の歴史の一つになるであろうと思いました。

私たちは今、コロナという未知の経験に不安を持っています。
しかし、その不安に打ち勝つことが必要です。
これは根性論ではなく、私たちが生きていくために乗り越えなければならない試練です。

これは病に打ち勝つということだけではありせん。
医療的な隔離という感染回避の手段から生じた、社会的分断により、互いを尊重しなくなる社会とならないよう、分断が新たな争いの火種とならないよう、もう一度この世界が一つになる日を通じ、私たちは分断された存在ではない、互いが尊重しあえる存在であると、確認する日とすべきと考えました。
そしてそれが次の未来に、次の子どもたち、アスリートたちが平和に暮らせる社会の礎となる、と確信したからです。

一方で、理想だけで現実の感染者を見ていないのではないか、といった意見や、五輪のスポンサーの立場にたった結論ではないか、といった批判もあるかと思います。
他にも様々な批判はあるでしょう。

しかし、そうした利害や感染拡大の回避だけでは語れないものもあります。
普段はスポーツは見ないけど、五輪はやっぱり見たくなる、と言った方、五輪を見て競技に興味を持った方、五輪を見て海外に興味を持った方、メダルだけでない、ひたむきなアスリートのプレーに感動した方、
対戦相手を互いに称える姿や、大会に関わる各国の市民のその国ならではのおもてなしや交流の話題に心温まった方など、五輪から何か心動かされる瞬間をもらった、という体験をした方もいらっしゃると思います。その感動が、五輪後の未来において、希望となればと思い、無観客開催の判断に至りました。

その皆さんがもらった感動たちは、決してウソではありません。
利害も関係ありません。
アスリートたちの真剣勝負や、そこでの人と人の温かい交流が生み出すものだからです。
その感動を少しでも皆で共有することが、この分断されつつある難しい時代を乗り越えるに必要なことではないか、と考えました。

今、人々はコロナにより、物理的にも精神的にも隔離された状態、分断された状態になりかけています。

病は気からという言葉が日本にはあります。
コロナは病気なるだけでなく、罹っていない人の心に入り、不安を煽り、罹らないようにソーシャルディスタンスを作り、個人の隔離、社会の分断を煽ってきました。
これによりコミュニケーションによる相互理解を弱め、対立を生みやすくしてしまいました。

コロナにかかるかもしれない、という不安の気が、隔離行動を作り、コミュニケーションが難しくすることで、分断という社会的な病を作り出そうとしているとも言えます。

だからこそ、共有できる感動で一つとなり、一人一人が、苦しいのは自分だけじゃないんだ、と気づき、勇気の聖火を胸に、意見を戦わせるだけでなく、他人を傷つけるのでもなく、もう一度互いに尊重し合える平和な暮らしに戻れるよう、協力しあえる道を作っていきたい、そう言った願いと、現実の感染症対策の対応も考慮し、無観客試合の開催を決定しました。

会場では応援できませんが、私たちの時代にはネットワークがあります。
歓声は届かないかもしれませんが、感動や応援を伝えることはできます。

SNSや五輪のホームページを通じ、アスリートたちに声援を届けてください。
良いプレーを見たら感動を伝えてください。
勝ち負けだけでなく、全てのアスリートに
大会を支える皆さんに感謝と労いを届けてください。

そして、皆さん自身も彼ら彼女らの全力のプレーに、
エキサイティングなパフォーマンスに感動して
勇気を持ち帰ってください。

そこから明日に立ち向かう勇気が生まれると、
また、互いに尊重しあえる気持ちが芽生えると
信じています。

このような決定となったことが、開催を期待していた方、中止を求めた方、両方の方に、納得のいかない結果であることを残念に思います。ただ、相反する二つの結果を完全に両立はできないことから、苦渋の決断から、このような形となりました。

しかし、賛否の意見を出し問題提起をくれた方々、悩まれた方々、結果を固唾を飲んで待ってくれた方々、全ての方々に感謝します。

そして納得はいかない結果であったかもしれませんが、成功のためには皆さんの協力が必要です。
試練の時ではありますが、五輪を通じ、未来に向け皆で共に乗り越えていきましょう。

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