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「偏見とどう付き合うか」


先日あるツイートに返信をしたところ思いの外、反響があったので、改めて障害者や障害児への偏見について考えてみた。


ツイート内容がこちら👇👇

いわゆる保育士の偏見ともとれる話を耳にしてしまった発達障害の子をもつ保護者のツイート。
このツイートには、さまざまな意見が寄せられていた。

保育士だから、皆が偏見がないわけでない。

発信者を励ます声が、そのほとんどではある。
しかしながら、こう言った偏見は耳にしないだけまたは口にしないだけで専門職だろうと持っていることも珍しくない。

私は、私の子がまだ発達障害・知的障害があると判明していない時から療育施設で勤務していた。
すると、支援を必要とする子を療育する場所でもこういった発言が聞かれる事は日常的にあった。

自分がその立場にならないと分からない事がある。
支援者側や保育士には、どこか助けてやっているという善意の意識でやっている人も中にはいる。

私は、自分が高校生の時、不登校になり高校を中退し社会から孤立した過去がある。

そんな自分でも、「看護師や保育士になり、社会人になることもできるよ」という事実を知ってもらいたいなと思って働き出した。

しかし、今考えると、これも捉え方によっては余計なお世話とも、とれる。

つまり、捉え方は人それぞれで自由でいつも勝手である。

私たち支援される子供を持つ親は、どう思われようとやらなければいけないことがある。
我が子は、支援してもらわなければ生きづらい現状がある。


上記のツイートに私はこう返信した

このツイートに書いた「人の受け取り方は自由」と言う言葉は先日コーチングで言われたいわゆるうけいりである。
私自身ひびき、発達ちゃん家族に伝えていきたいと思っていた。

ギャルからの学び

人の考えは、本当に自由だ。
コントロールしようとする方がどうかしているのかもしれない。
それよりも、自分の心をコントロールし、快適に過ごすほうがずっと健全だ。

先日、YouTubeであるギャルが言っていたことが妙に腑に落ちた。

「全部出しちゃえばいい」

中途半端に隠すより、できないできるを言ったほうか実は自分が楽になる。
明るいメンヘラとギャルは言っており、明るい発達障害と私も自分のことを名乗っているが、よりさっぱりしていてかっこよかった。

要は、障害があろうとなかろうと自分次第でどうにかなるところも、ある。
更年期障害を疑われ、現在は婦人科受診中の43歳の母さん。

1人じゃ絶対に育児どころか自分も生きていけない。
夕方、更年期によるものと診断された手が痛くてペットボトルを落としてしまった。

私はこれからもどんな偏見の目で見られようとも更年期も発達障害も明るく言っていくことと、決めている。助けれる人に助けてもらいたいし、私も助けれる時は助けて生きていきたい。

好きで発達障害を、持って生まれたわけじゃないんだから。

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