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『無い』事は『ある』こと


多い事が足かせになる可能性

何でもできると言ったら何をしたいですか?
多くの選択肢が目の前に広がっていたとする。

『この中で、何でも好きな物を選んでください。
 ただし、一つしか選べません』

例えば、職業
・売れっ子Youtuber
・医者
・コンサルタント
・メジャーリーガ―
・新進気鋭のデザイナー
 などなど、、、

すべてに才能があったとして
一つを選ぶことなんてできるだろうか。

どんなに才能があっても
結局選べるのは一つしかない。

つまり、一つ選ぶ瞬間に
それ以外の魅力的な全ての選択肢が

消失することになる。

できたはずの他の経験を
その時点で放棄することでもある。

きっとそんな力や能力を持った人は
他の事もしてみたい。
でも、そういった事をできない状況に
葛藤をするはずだろう。

そして、あれをしていたら
もっとこうなっていたのかもしれないなぁ
なんて思うのかもしれない。

ありすぎる事が、逆に足かせになることがある。

自分には何も無いからこれをするしかなかった

私の尊敬する人生の先輩がいる。

その方は、学歴としては地方の私立大卒で良くも悪くも普通である。

ただ、運よく一期上の研究室からの先輩からの紹介で
本来は入るはずのできなかった日本のトップ100社の企業に
運よく入る事が出来た。
いわゆる旧帝大を含む日本のトップ校がうじゃうじゃいる中で
彼のキャリアはスタートしたそうだ。

結果として、彼は執行役員にまでなった。

1万人以上いる社員の中で執行役員になれる確率は
単純計算で0.001%程度

凄いと思った。

そうしてある時、私は聞いてみた
『どうしてこの仕事を続けてこれたんですか?』

その方は
『自分には特別な才能も、
 目立った学歴も無かった
 できる事がこれしかないと思った。
 だから迷う余裕なんて無かった。』

この令和の時代に、
どれだけ学歴が重視されるかは別として
少なくともその方が過ごした時代は
学歴社会の極みと言っても過言でない
時代背景だった事は想像に難くない。

しかも、今の時代のようにコンプライアンスや
36協定などの労働者を守る権利がほぼ無かった時代である。
若い時には土日なんて無かったそうだ。

ただ、結果としてやることがこれしかない!
という覚悟のもとで続けて
普通なら手にできないものを手に入れた
成功例と言えるだろう

『無い』ことは『ある』こと

8畳の部屋があるとしよう。
8畳の部屋をインテリアで
格好良く埋めようと思って、
大きなソファ、大画面のテレビで
理想の家を作りこむ。

そうすると、当然それと引き換えに
空いているスペースを空間は物にとられ
自由に使えるスペースは『無く』なる事になる。

また、物の定位置を決めたことにより
その場所が「テレビ置き場」「ソファー置き場」
という用途に限定されることで
その場所は自由さを失うことになる。

逆に、物がない事は
それだけ自由に
スペースを使える事になり
自由は『ある』ことになる。

ここでは、どちらが良いということではなく
単にそういう事実があるだけ。

当たり前だけれども
実は気づいていないことが多い。

実は『無い』事は同時に『ある』という事であり
考え方によっては前向きに考える事ができる。

無い事は『強み』になる

結局は、自己解釈になってしまうのだが
捉えようによっては、強みになるという事

例えば、
新入社員に経験は『無い』が、
経験を積む時間は多く『ある』

若さの中に成熟は『無い』が
成長は『ある』

逆も然り
若さは『無い』が成熟は『ある』

田舎は、遊ぶところが『無い』が
静かな時間が『ある』

こうやって、物事には
必ず両方が存在している。

要はそれを、
どう切り取れるかだと思う。

物事の反対を見つけようとすると
案外幸せだったり、意外な発見があったりする。

それぞれを生きる

どんなに多くのものが『ある』状態でも
そこに気づけなければ、幸せは『無い』だろう

時に才能が多くあるが、
水準が高すぎる事によって
何も無いと感じて潰れてしまう人達を
少なからず見てきた。

そのどれもが、優秀な人たちが多かった。

優秀さは時に足かせにもなる。

何も『無い』からこそ、そこに『ある』ものを
必死に探して幸せになることもできる。

2023年も年末にさしかかっている。

年明けまで時間が『無い』中で
あらためて何が『ある』のかを見返す
絶好の機会でもある。

そんな2023年で締めくくる年も悪くない。


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