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打楽器のコーチ

中学校時代に吹奏楽部にいたとき、ときどき顧問の先生が知り合いの楽器奏者を呼んでコーチとして練習を見てくれることがあった。

今考えると、先生の知り合いで上手な人だったり、仲が良い演奏者だったりが、他人に演奏を教えたこともないけどとりあえず呼ばれていたんだろうなあと考える。

だいたいコーチが来るのは7月頃と11月から12月頃だった。7月は夏の吹奏楽コンクールの直前で、11月から12月にかけては3年生が引退して、1,2年生が大きな目標も特にない状態だったので、基礎練習的なものを見てもらう感じで呼ばれたのであろうと考える。


私はその呼ばれるコーチがめちゃくちゃ嫌いだった。

どんな人だからではなく、コーチという存在がめちゃめちゃダメだったのだ。なぜなら自分の演奏にそれはもう絶大な自信を持っていたからである。

他のパートのコーチは全然関わる機会がないし、ついでに合奏も見ると言ってもどうせ管楽器を見ることになるはずだからそんなにあれこれ言われない、などなどの理由か嫌いな意識はなかったのだけど、打楽器を見にくるコーチだけがもうそれは本当に大嫌いだった。

だってあたしめちゃくちゃ上手いし。大人だからいろいろ口出ししてやろうとか思ってるんだろうけど、うるせえよ。てめえに用ないから帰れ。

てな感じだ。コーチがくる途端めちゃくちゃ性格が悪くなる(一応口には出さない)。

顧問の先生はその間学校の業務をやったりしていたんだと思う。他のパートを見たりすることもあったかもしれないけど、基本的にコーチと私たちと顧問の先生、という感じの空間はなかった。

私は顧問の先生にはすごく気に入られていて、いい子だと思われていたので、まさかコーチが来るのを嫌がるなんて思っていなかっただろう。実際にかなりいい子だったと思う。素直だし何でも信じるし練習熱心だし練習大好きだし。メトロノームが友達なんじゃないかと錯覚するぐらい基礎練習が大好きで、本当に毎日欠かさずやっていた。


記憶にあるコーチの話をする。

そのコーチは背が高く中肉中背よりも少しぽっちゃりめな女性で髪が長くて仕草や動きかたがゆっくりだった。それだけで「こいつドラムはできないタイプの打楽器奏者だろうな」と見下していた(偏見がひどい)。

フォームや腕手指の形、基礎練習などはとても大切ですということを話すのだが、暇さえあれば古い机を叩いて基礎練習しまくってる私は「知ってるからもう帰れ」と思いながら適当に頷いていた。後輩たちはとても素直な子なので「へええ〜」とかいう顔しながら聞いている。

そして、みんなで音楽室の中で等間隔に間を開けて基礎練習をしましょうということになった。個別で手の形や叩き方を見て回るらしい。私は自分のとこにコーチが来なきゃいいのになと思っていた。だがやっぱりやってくる。

なんて言われたかもう覚えてないけどやっぱり指摘されていた。コーチの発言に対して食い気味に返事して追い払おうとする。相手は大人なので「そういう子もいる」とか思っていたのかな。とても悪い態度を出す私。

そのあとご丁寧に基礎練習これやったらいいよってやつを紙に印刷して配り始めたのだが、それが私が書いて後輩に渡してるものと全く一緒のもので、後輩もこれにはノーリアクションだった。チェンジアップという練習法で、管楽器の人たちも基礎練習でやっている。

「ほらみろ!!!お前は必要ないんだよ!!!!!」とでも言いたげな顔でコーチを睨みつける。

コーチの前で各々やるが、みんな慣れているので難しいとかはない。だけどそれでも何かしら首を突っ込んでくるコーチ。またも食い気味で返事をしていい子最大の抵抗をして追い払おうとする私。私は本当に毎日やっていたし、コーチがくる直前もやっていた。もうやりすぎてそんなの見ないでもできる。それでも何かと粗を探そうとするのか何かしら口出ししてきた。


コーチが帰った後、唯一の最年長でパートリーダーだった私は後輩を集めて

「今日言われたことは当たってることもあるかもしれないけど、コーチよりも自分が一番わかってると思うので、今までと変わらず自分の良くないところを見つけて伸ばす基礎練習をしましょう。あとさっきもらった紙は私が渡したやつと同じなので捨てていいです

と言って解散した。


水野谷のその後

それから高校で軽音楽部に入って、すごく上手なドラマーの先輩と出会って教えてもらおうと思ったが、なんだかうまくコミュニケーションがとれなくてたくさんは教えてもらえなかった。

大学でジャズ研究会に入ったら、3人の個性あふれる素敵なドラマーの先輩に恵まれた。3人から個性あふれる指導と長年の癖を矯正していただいたおかげで、それまでずっと両腕に抱えていた腱鞘炎が一瞬で治った。

大学にもコーチは来たけど、全く抵抗感はなくて、むしろ尊敬である。今でもまれにその人のライブに行くくらいには。


今考えればおそらく、私の中の抵抗感は「実際に叩いてるところを見たことない奴が上から目線で教えてくる」というのが気に食わなかったんだろう。

あとは小学校も中学校も打楽器パートに同期が一人もいなかったり、コンクールのメンバーオーディションで先輩たちよりも先に名前を呼ばれたりしていたからか、プライドがものすごく高い子だったのだろう。世界の頂点は私だと本気で思っていた。

そんなやつと技術を見せていないやつを鉢合わさせてはいけない。事前にビデオかなんかでその人の演奏を見せてもらえればよかったのかもしれない。


大人になって「上には上がいる」という経験を死ぬほどして、本当によかったと思う。少しはマシな人間になれてよかったね、私…



告知

私がドラムを叩いているtowel(タオルと読みます)というバンドがあります。

生形拓人というシンガーソングライターを愛する人と組んだバンドです。

性格の悪い時期も経て練習を積み重ねてきた私のドラムが聴けるので、よかったら聞いてみてね。


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