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No.966 フォーカシング学習会、そしてフェルトセンスへとどのように寄り添うのか...

6/22,23の2日間、5年ぶりに開催した池見陽氏フォーカシングワークショップへ参加したメンバーで先日学習会をした。

この2日間のワークショップで刺激を受けた参加者が多く、フォーカシングを学び、自分自身でフォーカシングができるようになりたい、との思いから全5回の学習会がスタート。

10名ほどのメンバーが集まり、zoomで1時間30分程度のフォーカシング体験をした。

フォーカシングとは、カラダの意味ある感覚へと注意を向ける必要があり、慣れていなければこのことが難しく感じる。

また、情動とフェルトセンス(意味ある感覚)の違いに気づかなければ、情動へとただただ巻き込まれ、フォーカシングは上手くいかない。

逆に言えば、フェルトセンスとは何者であり、どのようにフェルトセンスと付き合えば良いのかを理解すれば、フォーカシングは難しいものではない。

誰もが日常で簡単にできるこころの整理法であろう。

私もよく仕事中に10分ほどやることがあるが、10分程度のフォーカシングでとても深い気づきを得る。

フォーカシングとは、誰でも、何処でも自分でできるところに良さがある。それは、受け身なセラピーではなく、能動的なセルフセラピーである。

どうして、誰でもできるのか、専門家は必要ないのか、と言う疑問が沸き上がるかもしれない。

しかし、考えてみればフォーカシングにおけるフェルトセンスと言う意味ある感覚は、私たちが意図的に作り出したものではなく、私たちすべての人間に、いや、生き物すべてに、生まれた時から自然に備わっている感覚である。

皆さんは、日常において、カラダへの違和感を感じることはないだろうか。

何かを実行に移すとき、行動するとき、などなど、私たちのカラダがスッキリとせず、言葉では現せない嫌な感じやしっくりこない感じを感じることがある。

そして、その違和感をやり過ごして、実行したり、行動したりすれば上手くいかないことが殆どだ。

そのカラダに現れていた嫌な感覚やしっくりこない感覚(違和感)に気づき、そこで立ち止まれたなら、私たちの実行や行動は違うものになっていただろう。

この違和感はフェルトセンス、意味ある感覚である。

この感覚に立ち止まり、カラダへ注意を向けてみることで、私たちは新しい実行や行動を手に入れることができる。

私たちのカラダに存在するフェルトセンスに如何に触れることができるのか、それが重要である。

そのためには私たちのカラダ全体が落ち着いフォーカシングを受け入れる静かな環境が必要だ。

その静かな環境とは、物理的な環境でもあり、私たちのカラダ全体の内的環境でもある。

物理的な環境とは、静かな場所を選べば良い。

カラダ全体の静かな内的環境とは、私たちのカラダが情動(例えば、怒りや悲しみ、恐れといった苦痛を伴う感情)に支配されていないことが必要となる。

そのためには、そんな情動から距離を取りながら、内的な静かな場所を作る必要がある。

そのための方法として、クリアリング ア スペース(空間づくり)という方法が役に立つ。

著書フォーカシング 第2章の逐語の中で、以下のように説明している。

「彼女に私がフォーカシングの第1の動きと呼んでいるものを始めるように求めました。
これは、いろいろな問題を一時的にかたわらに押しやって、積み上げ、自分は引き下がってそれらの問題を眺めるという行為です。ある意味で、これは家具や整理箱や骨董品がそこら中に散らばって、座る場所もない部屋に入っていくようなものです。
片隅にほんのちょっと座る場所を空けるため、そこにあるものをかたわらに押しやるのです。勿論、部屋を空っぽにしたわけではありません。
ちょっと前まで邪魔をしていたもの、すなわち問題は、依然としてそこにあるわけです。
しかし、少なくとも今は、自分の身の置き場があります。」

このことにより、少し距離を取りながら、客観的に自分の問題を眺めることができるようになる。

そして、この問題についてのすべてを眺めながら、私たちのカラダに注意を向けることで、フェルトセンスに触れることが可能となる。

私たちはフェルトセンスを探し出し、それに触れることができればしめたものである。

あとは、フェルトセンスに寄り添いながら、フェルトセンスと共に、邪魔することなく、フェルトセンスを感じるだけだ。

この時に1つだけ大切なことがある。
それは、このフェルトセンスは「私たち日常の〇〇の状況について」または、「私たちの問題や状況すべてについて」のフェルトセンスであることを忘れてはならない。

私たちのカラダに現れたフェルトセンスだけに囚われると(よくあるのだが)、そのフェルトセンスがカラダの内側だけに籠り、窮屈な感覚に陥ることがある。

本当に私たちが知りたいのは、そのフェルトセンスが指し示してくれている日常の状況や問題についての私の感じ方や見方、関わり方である。

その意味で、私たちがフォーカシングをやりながら、フェルトセンスを感じる時、
「このフェルトセンスは私のどんな状況と繋がっているのだろうか」

「このフェルトセンスは、私が抱えている問題すべてについてのどんなフェルトセンスなのだろうか」

と言った問いかけを私からフェルトセンスへと伝える必要がある。

それによって、カラダに存在するフェルトセンスが現実の状況や問題と繋がり、どんな状況や問題についてのフェルトセンスなんだと言うことに気づく。

すると、今までとは違うフェルトセンスへと変化し、私たちのカラダはこれまでと違う感覚を感じる。

これをフェルトシフトと言う。

フェルトシフトが起こるとまた新しいフェルトセンスが現れる。

そして、そのフェルトセンスに上記のように寄り添い、フェルトセンスと共に、邪魔することなく、フェルトセンスに触れる。

この繰り返しによって、フォーカシングにおける気づきが推進するのだ。

私たちのカラダは私たちが次に何をすべきなのかを教えてくれる。

フォーカシングとは、とてもシンプルで、とても気持ちよく私たちへと気づきをもたらしてくれるものだ。

少しでもセルフフォーカシングのヒントになればと思う。





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