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生物学を学びすぎると人生に絶望しそうで怖い

生物学を学べば学ぶほど、学ぶことが怖くなる。


高校生の時に初めて触れた生物学。卵はどうやって成長していくのか、人体はどのようにエネルギーを生産しているのか。あらゆることが科学的かつ論理的に説明されて感動したのを覚えているし、今もなお感動し続けている。


生物学の本も読んでいるし、生物に関する研究結果を発信するSNSアカウントもフォローしている。


だけど、ときどき不安になる。


あるとき生物学の本『動的平衡』を読んだ。『動的平衡』に書かれている説はこちらの記事で分かりやすく解説されている。


簡単にいうと、物体というのはすべて粒で形成されていて、その粒一つ一つがある物体を構成しては崩れていくというのを繰り返している。そのバランスが保たれているものを私たちは見ている。そこに留まっているようにみえる物体は、実は絶えず動き続けているという考え方だ。


これを読んだとき、今までの物体という概念とのあまりのギャップにがくぜんとした。目の前の物体が常に動きの中にいる。でも目で見る限りそれは動いていないし、動かないものだと信じて生きてきた。


目の前の物体が常に動いているとして、では自分が今まで見てきたものは一体何だったのだろうと疑う気持ちが出てくる。信じてきたものが存在しないと言われたら、一体何を信じればいいのか、、


またあるときは、人が意志決定をしたと認識する前にすでに脳では意志決定がなされているという記事を見た。孫引きだが詳しくはこちら。


では自分たちの意志とは本当に存在するのか。今までしてきた数々の選択は実は自分の脳が知らぬ間に決定していて、自分の意志で決定したと勘違いしていたのか。ならば今この瞬間の意志とは何者なのか。


意識的な決定の前に脳が決定をしているのだとしたら、意志によって行った決定の理由に意味はあるのか。「なぜそう思ったか」「その論理は?」と考えることに意味があるのか。自分の今この瞬間の思考に意味はあるのか。


そう考え始めると、すべてがどうでもいいような気さえしてくる。


生物学を学ぶことは楽しいと心の底から思う。でもそれを知りすぎたら?そこに幸せは待っているのか。いっそのこと何も知らずに、自分の信じてきたものだけを信じて生きていた方が幸せなのではないか。生物学を学びすぎると人生に絶望しそうで怖い。


知的好奇心と絶望への不安の狭間にいる。

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