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親ガチャにハズレて地獄を見た僕が、SSR親になる夢を見る今日この頃

こんにちは。そらです。今日からエッセイストを名乗ることにしました。

ちまたでは最近、「親ガチャ」という言葉がちょっとした話題になっていて、テレビやニュースでもよく取り上げられています。

自分がどんな親のもとに生まれてくるかは運次第であるということを、街中やソシャゲにあるようなガチャになぞらえて呼んだ言葉。世間を見渡すと、

・親ガチャという言葉は努力しなかった若者の言い訳に過ぎない
・自分を育ててくれた親に対して「ガチャ」とは何事か
・実際に毒親に育てられた子供もいる。言い方はさておき運次第なのは本当

などといった声がありました。

僕は実は5年前の実の両親と縁を切りました。最後に直接会ったのはおそらく7年前くらい。親と縁を切ってから僕自身は事実婚という形ですが結婚をし、2人の子供を授かりました。

親と縁を切ったことは後悔していない。むしろもう二度と復縁したくない思いはあれから5年一度も変わりません。

しかし、両親と縁を切っていることは人に誇れるような話ではありません。こんな自分が子供を持っていいものかと悩んだ時期もありました。とはいえそんなことに悩んでいても仕方がない。今は、

両親と縁を切ったことを後悔しない。

しかし両親のもとに生を受けたこともまた悔やまない。なぜなら生まれなかったら今の子供と出会えなかったのだから。

だから、親ガチャに失敗した経験を活かし、自分が親ガチャでSSR(スーパースペシャルレア)になることを目指す

と自分の中の気持ちを整理しました。

このnoteは、

・親ガチャが存在することは事実である。そういう人がいることに理解を示してほしい
・そして親ガチャに失敗したと感じる子供が1人でも減るように、親はどうあるべきかを考えてほしい

という思いを込めて、書くつもりです。ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

別に親ガチャに外れたことを同情してほしいわけではない

青汁王子がこのようなツイートをしていました。

その通りだと思います。さすが自分自身でここまでの財や地位を築いてきた青汁王子。その言葉の裏には無数の血の滲む努力があったんだろうと思うと、とても重みがあります。

しかし親ガチャに外れたことを自称している僕達のような人間は、別に同情してほしいと思っているわけではありません

「君の人生が上手くいかないのは親のせいなんだね、かわいそうだね」

別にこんな言葉は期待していないのです。僕の人生が上手くいかないのを親のせいにしても、何も変わらないのですから。その環境を受け止めた上でどうやるかは自分次第と言ってもいいでしょう。青汁王子の言う通りです。

しかし、世の中

親に感謝するのは当たり前

親孝行をしていない子供は恩知らずの悪い子供だ

親と仲が悪い人は信頼できない

こういった考え・価値観を持つ人もきっと多いはずです。きっとマジョリティーです。今までこういった言葉を何度も胸に突き刺されました。

そうじゃない。

僕だってもう人の親だ。齢は30を超えている。反抗期なんてとっくに終わった。できることなら親といつまでも仲良くありたかった。親とお酒を飲みながら昔話に華を咲かせたかった。親に孫の顔を見せて一緒に子育ての大変さを分かち合いたかった。

でもそれができない。僕が幸せになるためには、どうしても親という存在が邪魔だった。それ以外に道を考えることができなかった。だから親と縁を切った。

そんな思いを持っている人がいることを理解してほしいのです。

反抗期はあったけど、やっぱり親って大事だよね。親孝行はしとかなきゃ。なんてレベル感ではないのです。

僕は親と仲良くしている皆さんが羨ましい。僕もそうありたかった。

でも僕の話をするとみんなは決まって「親と縁切るとか、どんだけ親不孝なの…」とドン引きする。

だから、「親ガチャ」という言葉が取り沙汰され、賛否両論を生んでいるこの今、僕は訴えたいのです。

親ガチャは存在する。

親ガチャに苦しんだ人たちに、同情しなくてもいい。でも理解してほしい。

苦しんだ過去や現在それ自体を理由に人格を否定しないでほしい

以上がこのnoteを通して、僕が最も伝えたいことです。

なぜ親と縁を切ったのか・・・の前に

さて、ここまで散々親と縁を切ったことを書いてきたので、おそらく「なぜ君はそんなにも親を憎んでいるの?」「縁を切るほどのことだったの?」と思っていることでしょう。

その理由について書こうと思います。

とはいえ、僕の話を書いたところで、「そんなことで縁を切ったの?」「そんなことで親ガチャに外れたと言うの?」と思う方もいるかもしれません。

別にそれはそう思う方がいて然るべき話だと思います。

伝えたいことは、

世の中には親ガチャに外れた子供がいること

そしてその子供たちが親と縁を切ったり疎遠になったりすること

を理解してほしい、ということなので、別に僕自身が親ガチャに外れているかどうかを皆さんに認めてもらいたいわけではありません。

それこそ殺されるような酷い仕打ちを受けるレベルを親ガチャに外れたと考える人もいるでしょう。一方貧乏家庭に生まれたことをハズレと考える人もいるでしょう。基準は人それぞれです。

結局僕が親ガチャに外れていると思うかどうかは僕と両親の問題であって、皆さんの意見を聞くことはあっても従うことはないのです。

なぜ親と縁を切ったのか

ではその理由を書きたいと思います。

僕は小学生の時から、「勉強以外するな」と学校の時間以外は家の勉強机と教科書しかない部屋に軟禁されていました。

テレビも見られない。音楽や漫画と触れる機会もない。ゲームなんてもってのほか。家でできることは食事・風呂・トイレ・勉強のみ。

こうなったのには理由がありました。

僕の家はそこそこ貧乏でした。極端な貧乏ではないので、もっと貧乏だった方からすれば「何をその程度で」と言われるかもしれませんが。

僕は父親が50歳の頃、つまり僕が20歳の頃の父親の収入を聞いたことがあるのですが、その金額は僕が新卒1年目の年収よりも低かったです。

東京で就職した僕と地方の会社員の父とではもちろん収入も異なりますが、とはいえ僕は別に特別高かったわけではありません。50歳時点でそんな感じです。

母親は専業主婦でした。

僕が小学1年生くらいの頃だったと思うのですが、買い物中に欲しいおもちゃを見つけたので、「これ買っていい?」と聞きました。「いいよ」と言われ買い物かごに入れたのですが、帰ってからレシートを見返した母親がおもちゃの値段にキレ、「何こんな高いもの買ってるのよ!!!」とボコボコにされたことを今でも覚えています。確か700円くらいでした。

小学1年生がものの高い安いなど判断できるわけがないと今では思います。

それ以来、親に何かをねだることはやめました。

母親はかねてより、貧乏な家庭に苛立ちを感じていました。自分も働けばいいのに、と安直に思いますが、母親は豊かな生活を送るために僕にこう言いました。

「うちの父親は仕事ができないから稼げない。私もお前がいるせいで仕事してる余裕なんてない。だからお前が一流大学に行って、一流企業に就職して、しっかり稼げ。それから私たちを養いなさい。育ててあげるんだから、そのくらいの恩返しはして当然よね

小学3年生くらいでしょうか。母親はそう決めてから、僕に勉強しかさせなくなりました。

部活動に入ることも許されませんでした。

学校からは基本的に直行直帰。たまに午後休校の日なんかに、7限まであると嘘をついて友達と遊びに行く以外、休日を含めて友達と外出したことは一度もありません。嘘をついて遊びに行くにしても、お金を持っていないのでファミレスで友達にドリンクバーを奢ってもらうくらいしかできないのですが笑。

テストで悪い点を取るとぶん殴られました。「お前は本当に頭が悪いな」「仕事ができないクソみたいな父親と同じだ」「私に似れば頭よかったのにね。残念」「ほんと無能なんだから、ずっと勉強してろよ」と罵声を浴びせられます。一瞬ならまだしも、基本的にはこの頃テストなんて学期に1回くらいなので、その学期中ずっとことあるごとにこの辺りの罵声フレーズがひたすら出てくる感じです。

ちなみに父親は早い段階で家事・育児を放棄していました。父親とまともに会話した記憶はありません。いつも帰るのは夜遅く、家ではまるで岩のように全く動かず、横になって漫画を読んでいるだけ。

家庭で流れる音声は、父親と僕を罵倒し、自分の過去の栄光を自慢する母親の声のみ。それを一切無視して無言を貫く父親と僕。

テレビもラジオもネットもないので、響き渡るのは母親の罵声のみ。

思い出すとゾッとする環境なのですが、当時は辛くはあるもののそれに慣れてしまっていました。

一方ネットもないですし、変なプライドが邪魔をして友人などにも相談できなかったので、どうやったらその家庭から抜け出せるのかもわかりませんでした。

家出を試みますが、路上で暮らす勇気はなく、大抵知り合いの家を訪れていたので、すぐ連れ戻される始末。

そんな中僕に見えた逃げ道は、母親の希望通り一流の大学に入って、一人暮らしをすること

地元は地方ですから、一流の大学を目指すには東京なりに出なければいけません。父親には地元での仕事がありますから、そうなった場合僕が一人暮らしをするくらいしか大学に行く手段はないはずです。

僕は高校までの青春を捨て、親の希望通りに勉強しかしないことを選びました。

文字通り勉強しかしていないので、本当に勉強以外の思い出はほぼありません。

修学旅行くらいでしょうか、楽しかったことと言えば。あとは昼休みなどに友達とサッカーをしたこと。

それ以外は勉強をしただけです。

それだけ勉強をしてきたので、まあ当然といえば当然なのですが、ちゃんと一流大学に現役で合格し、晴れて僕は東京で一人暮らしをすることになったのです。

一人暮らしを始めた日のことを今でも忘れません。人生最良の日でした

しかし一人暮らしを始めてからも、母親の干渉は続きました。

毎日鳴る電話。「ちゃんと勉強しているのか」「遊んでいないか」「大学の成績で一流企業に入れるか決まる。お前は頭悪いんだから調子に乗るな」と刷り込まれます。

電話を無視して、「寝てた」とでも言った日には、「遊んでるんじゃないだろうな」と鬼電。数時間鳴り続けます。それでも出なければ今度はメールの嵐。ショートメールで何通にも分割して罵詈雑言のテキストがひたすら送られ続ける。

「そういえばお前調子乗って彼女とか作ってないだろうな。馬鹿が一丁前に恋愛とかするなよ。子供育てる余裕なんかないんだから夢見るな」と言われたこともあります。

正直うんざりでした。

学費は奨学金ですし、家賃含め生活費は自分で出していました。すでに親に依存している状況は終わっていました。一方親からの干渉はなくならない。まあそりゃそうですよね、一流企業に入れて僕から仕送りをもらうことが親のゴールなのですから笑。

僕にはこの状況で親と縁を保つ理由が思いつきませんでした。一方で親と縁を切るということ自体、やはり勇気はいりますし、なかなか行動できるものでもありません。

しかし決め手になったのは、ある日見た夢でした。

夢の中で、両親は事故に遭って亡くなっていました。葬式か何かのシーンだったと記憶しています。

僕はその夢の中で、表情や言葉には出さないように努めながらも、心から両親がいなくなったことを喜んでいました。ついに解放された。もう自由だ。もう好きに自分の人生を歩める。

起きた時に愕然としました。

人の死を喜んでしまった。

夢から覚めて両親がまだ生きていることに絶望してしまった。

自分がそんなことを望んでしまった。

泣いたのは久々です。そしてあれが最後です。両親がいなくなったと思ったらゆめだったことに絶望して泣いたのか。それともそんな汚い最低な心を持ってしまった自分に絶望して泣いたのか。自分の心を正確に捉えることもできず、気持ちが沈みました。

両親と縁を切ろう。

その時に決意しました。

その人がいなくなることを望むなんて、健全な関係なわけがない。そう信じて、行動に移しました。

たまたま知り合いの家に使っていない部屋があるということで、そこを数年間使わせてもらうことができました。

両親が住所を知っている家を引き払い、そのタイミングで電話番号やメールアドレスも変えました。一言「もう縁を切りたいです、今までお世話になりました」とだけ連絡をし、返信を見ないまま。

まだ大学に通っていましたし、戸籍などは同じところに入っているので、連絡を取ろうと思えばおそらく取れるはずです。探す手段が全くないわけではないでしょう。

しかしそれから、両親からコンタクトは一切ないまま5年以上が過ぎました。この調子だと仕送りは難しいと思ったのでしょうか。金ヅルにならないと思ってもう僕の存在を忘れたのかもしれません。

この5年、自分がやりたいことをやり、自分の責任で失敗をして、自分の力で生きてきました。辛いことももちろんたくさんありましたが、本当に楽しかったです。

そして父になる

色々すっ飛ばしますが、そんなこんなで僕のこのような境遇も含めて分かり合える女性と出会い、子供を授かりました。今では2人の子供の父親です。

僕は「暖かい家庭」いやむしろ「普通の家庭」を知りません。家庭とは地獄の象徴でした。

家庭は悪口が延々叫ばれている場所。勉強しかすることがない場所。

それが僕にとっての家庭です。

こんな自分が立派な親になれるのか、、そんな不安がかなりあったのですが、生まれてきた子供を見たら、そんな不安など消し飛ぶくらいにかわいかったです。

あまりの可愛さにびっくりしました。

同時に、「この子には自分と同じ経験をしてほしくない」「自分は子供に、この親のものに生まれてよかったと思ってもらいたい」という思いが芽生えました。

自分の家庭を反面教師にすればいい。僕はその時、初めて自分の家庭が自分の人生に生きた気がしました。

僕の境遇はさておき、親ガチャに理解を

僕の身の上話は一旦これくらいにしますが、

さっき書いたように僕が親と縁を切ったことを肯定してほしいという意図もなければ、僕に同情してほしいという意図もありません。

要は、いろんな理由で親と縁を切ったり、そうしたいと思っている子供がいるということを理解してほしいのです。

そして親孝行をすることや、親と仲良しでいることが常に正義なのではなく、そうではない人たちも何かと戦い、自ら決断してそうなっているかもしれないことをわかってください。

最後に、僕は自分の家庭をどう反面教師にして、自分をどうやってSSRの親に成長させるかを考えたので書きます。

ここからは有料記事とさせてください。はっきり言って大したことは書きません。情報の対価として払っていただくには見合わない金額だと思います。

僕の子供は今、ゲームセンターにあるアンパンマンのゲームにハマっています。アンパンマンを画面から探すゲームです。1回200円です。

もしどこかに、僕と僕の子供の幸せを願ってくれる優しい方がいらっしゃいましたら、子供のアンパンマン代を1回分お支払いいただけると嬉しくて嬉しくて泣いてしまいます。

僕は子供に、子供のことが大好きなじーじとばーばを用意することはできなかったので、家庭の話を数回のアンパンマンゲーム代のきっかけにして罪滅ぼしをするつもりです。我儘ですみません。

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