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【Day12】自分のことも俯瞰で見る

『#書く習慣』を続けていますが、はたしてこれは書くことが目的なのか自己分析がメインなのかを時々考えますが、どちらもなのだろうと思っておくことにして続けていきます。

ここ何日かはネガティブに寄った内容になっていたなと反省もしていますがテーマがテーマだったからと割り切って、今回は『得意なこと』ということで、ただこれも人によってどう映るのかなと思うようなことだったりはします。

補助と言われるポジションにいることが、これまでの経験で多くありました。
補助なのでメインで動かす人ではありません。けれど、補助なのでその人がスムーズに動けるように、見逃していることがないように取り組んでいるものを広い視野で見ることが無意識に癖づくようになりました。

目の前のことを話していても、それをさらにひろい範囲で見て「このまま進むとたぶんこちらに向かおうとしているのだろうな」というのを観察するようなことが良くも悪くも多いです。
悪くも、というのは周囲がやる気であったり乗り気であっても「こっちはまずいのではないかなあ」と周囲に溶け込まずに浮いたところで考えることも少なくないからです。

『俯瞰で見る』ということを意識的に、見るものに対して行っていて、それはもちろん自分のこともです。
そのときの『自分』は観察対象なので感情的なものは切り離しています。
なので見方は往々にして辛いです。
『足りないところ、必要なもの、変えたほうが良いもの』を洗い出して「たぶんこう変えたほうが良いものになるのだろうな」というのを実現できるか否かは置いて考えて「前よりも良いものにする」という意識だけは貪欲です。

もちろんその意見が通るところは限られるわけですが。

あと、俯瞰で見る場合は対象をある程度理解していないととんでもない見当違いのことになってしまうので、門外漢のところではそれはしませんというよりできません。
そのためにもいろいろなところにアンテナを張って勉強ができそうなところには顔を出したりということにも意欲的です。

自分にとってこわいことはたぶん『変わらないこと』なのだとも思っています。このままで良いとは思えないものがそのままなのが耐えられないから、どうにかして少しでもいいからなにかとっかかりを見つけて変えられないものか。
部屋のレイアウトから仕事まで、そういうことを考えつつしていることがもう自分の中では基本思考になっています。

人によっては「余計なお世話」であることは理解しているので、そこの見極めは気を付けようということも肝に銘じてます。
いまはなので、もっぱら自分に向けてだけそれは発揮されてます。

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