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【Day5】覚えているのは本を読んでいたことくらい

年を重ねると『子ども』の概念が変わってくる気がします。
昔は小学生くらいの年齢までだったのが、いまでは高校生でも「まだ子どもじゃないか」という感覚になっています。
タバコなどの年齢制限の観点から見ても未成年なのですが、それとは別の感覚として「子ども」というイメージを浮かべるようになりました。

そう考えると、自分の子ども時代はふたつに分かれます。

ひとつは、『いい子』をやっていた中学時代まで。
もうひとつは、それをやめてついでにちょっと世の中とも距離をおいていた時代。

昔はいわゆる『いい子』でした。
言うことは素直に聞くし塾に通えと言われれば夏休みその他が全部なくなったけれど通い続けたし、受験先も指定されたものを目指していました。

自分がなかったのではなく、反抗する力がなかったのに加えてそこまでしてやりたいことがなかった、というのがたぶんいま考えると大きいのだと思います。

それから変わったのは高校受験の滑り止めを受かったとき。
「これでもう良いだろう」となにかが切れた、らしいと言われています。
漠然としていますが、実はさっきから書いていることすべてあまり記憶にないのです。

自分がなにをしていたのか遊んでいた友だちがいたはずだけどどんな子だったか。
担当教師に至るまで、ほとんどのことを覚えていません。

中学時代にとあることがあったのですが、それきっかけで頭の中の記憶という線とついでになにか別のものも切れてしまったのか、本当に思い出せないのです。
断片は出てきます。特にいじめられたであるとかいうネガティブなことは。
でも『子ども時代の自分の全体像』というのがまったく頭に浮かびません。

本はものすごく読んでいたんだろうなということは覚えている。
いつ頃だったワープロをおさがりでもらってそこから文章をワープロで書くようになったのも確かである。
思い出せるのはそういう断片だけです。

年齢も年齢なので事細かに覚えている人のほうが稀なのかもしれないと思う気もします。何十年前の話だということですから。
そういうのを誰かと比べて話すこともする機会がないので、それこそnoteなどで見て「よくこんなにみなさん覚えてるものだなあ」と思ったりする感じです。

ただひとつだけ、本と書くことが好きだったのは確かです。
それがいまでも好きでいられることは、たぶん良いことなんだと思います。

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