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受験は戦いだ

「受験戦争って、何と戦うんだ?」
大学受験も佳境に入った頃、勉強に行き詰まった私はそんなことを考えていた。勉強してもしても追い付かず、思ったように問題も解けず、気持ちばかり焦ってついに現実逃避したのだろう。

もちろん、受験というからには合格と不合格が決まるため、受験生同士の戦いとなるだろう。定員より受験者が多い場合には誰かが受かれば誰かが落ちる。それは当然のこと。確かに受験は戦いだ。
誘惑と戦うこともあるだろう。勉強を妨げるものはたくさんある。机に向かったら端に積んであった漫画が目に入って読むこともあれば、友人から遊びの誘いを受けてしまうこともあるだろう。自分が誘惑に勝てるか。確かに受験は戦いだ。
親と戦うこともあるだろう。自分が行きたい学校と親が行かせたい学校が異なる場合には、もはやどうしたらいいのか見当もつかない。経済力のない自分には、学費および生活費を出してくれる人がいないと学校に行って学ぶことも出来ない。そんな出資者をどのように説得するか戦略を立てる。確かに受験は戦いだ。

こんなにたくさんのものと戦う必要があるのか、確かに受験戦争という言葉がふさわしいのかもしれない。そんな現実逃避をしながら受験期を過ごしていたことを思い出した。今の時代は更にスマートフォンやSNSの誘惑もあるため、現代の誘惑に耐えられている皆さんは本当にすごいとしか言うことが出来ない。


ここで、私の大学受験の思い出を話したい。
県外の大学に受験する私は、ホテルに一人で前泊し、二次試験に挑んだ。ホテルから受験する大学までは車で40分という、驚きの距離であったが、シャトルバスが運行しており、これに乗っていれば自然に到着する。県外からの受験生に優しい仕組みであった。
この日は雪が降っており、天候は決して良いと言えるものではなかった。交通渋滞に巻き込まれて試験時間に間に合わないなんてことがあってはならないと思った私は、早々にシャトルバス発射地点に向かった。
バス停には既に受験生が並んでおり、自分が乗り込むまでには時間がかかりそうだった。早めにホテルを出発したので、時間がかかることは問題ないのだが、バス停が屋外にあるため、寒い。とにかく寒い。雪が降り、風が吹く中、私はひたすら耐えることしか出来ない。参考書を見て復習しようにも雪で紙がしなしなになるし、なにより手がかじかんでページをめくることも出来ない。極寒の中、私は頭を無にしてひたすら耐えることしか出来なかった。

耐えて耐えてようやく到着したバスに乗り込み、いざ大学へ。心配していた雪による遅れはなく、順調に試験会場である大学へ到着。雪国だともはや雪に慣れているので渋滞もしないのであろう。しかし、順調にバスが到着したことで悲劇を招くとは思わないのである。

順調に大学へ到着したところ、入り口で待つ受験生が数十名。どうしたんだろうと思って入り口に向かうと、なんと入り口が空いていないではないか。開場するまでに約15分。ホテルがある市街地からバスに揺られ40分移動した場所は、市街地よりも雪深く、気温は5度くらい下がった印象。この極寒の中15分待つだと・・・? 


「絶望とは、寒空の中(辛うじて屋根はあった)雪に吹かれる現実を突きつけられることだ ―ぱやぱや―」


と名言のひとつも残したくなるくらいには絶望した。いや、シャトルバスに合わせて学校のどこか開けておいてくれよ。試験会場に無事辿り着くまでも試験ですよってハンター試験ですか?と思わずハンター試験の過酷さに思いを馳せることとなった。しかし、私はハンター試験を受けに来たのではなく、大学の入試試験を受けに来たのである。大学受験がハンター試験のように過酷なはずがない。と、寒さに耐え、足をガクガク、歯をガチガチさせながら待機をする。ここで参考書を開く気にはなれない。もはや勉強するかどうかではなく、生きるか死ぬかの戦いなのである。

「受験生の方、お入りくださーい」
開場してくれた職員さんが天使に見えた。ああ、これで救われるのだ、と1日分の気力と体力を使い果たした私は思ったのであった。しかし、あの人は寒空の下に受験生がいようとも決してドアを開けなかった悪魔なのではないかと振り返ると思うのである。

さて、受験会場に辿り着くまでに精魂尽き果てた私だが、お気付きだろうか、実は試験はここからが本番なのである。試験会場に辿り着くのはスタートラインに立ったにすぎず、これから試験を受けなければいけないのである。当時、私が受験した学校は2時間くらいで大問3つか4つを解くというものであった。つまり、ここから2時間くらいが私の本当の勝負なのである。今から学力の底上げを図るのは限界がある、私に出来ることはそう、万全の体調で挑むことだった。

待ち時間で散々身体の冷えた私はトイレに行った。試験中にトイレに行きたくなってしまってはいけない。トイレに行ってはいけないという決まりはないが、過去問を解いていた私は知っているのだ。時間を目一杯使っても解ききれるのか怪しいということを。
試験中は試験に全集中するために、トイレに行っておくことは重要である。事前にトイレに行っておくということは過去問を解いておくことと同様に、またはそれ以上に重要なことである。過去問は解く解かないの選択の自由はあるが、排泄にはするしないの選択の余地はないのである。ちなみに、この学校のトイレはやたら綺麗だった。


「それでは、始めてください」
試験官の声を皮切りにバサァと問題用紙を捲る音が教室中に鳴り響く。ここからは時間の問題だ。
うんうん唸りながら問題を解いていると、微かに下腹部に違和感が。それは確実な尿意。え、嘘だろ?まだ大問1つ目を解いているところだぞ。時計を見ると、まだ30分も経っていない。こんな序盤でこんなピンチを迎えてもいいものか。
いや、この尿意は気のせいだ。私はきちんと集中できるようにトイレに行っているのだ。強い気持ちでやり過ごすしかない。そう誤魔化しながら問題を解き進める。


大問2つ目を解いている頃には尿意がいよいよ無視出来ないものとなっていた。時計は開始から1時間ほど経った頃。絶望。

「絶望とは、強い尿意を感じているのにあと一時間トイレにいけないことである ―ぱやぱや―」

もはや問題を解ききれなくてもいいから今すぐ試験時間が終了してトイレに駆け込みたい。あれか、からだ巡茶を飲んだからこんなにもトイレが近いのか。こんなにすぐからだを巡るお茶を開発するなんてコカ・コーラはやっぱりすげえやと考えながら尿意を誤魔化す。私は問題を解くことに集中しているのか、漏れないよう我慢することに集中しているのか、もはやわからない。
なぜこの椅子は便器ではないのかということに疑問を持ち始めた。未来には試験中に尿意をもよおしたら椅子が便器に変わり、自分の周りに壁が急に現れてすぐに排泄できるようなひみつ道具が開発されているのではないか。今すぐ22世紀の猫型ロボットに持ってきてほしい。このピンチ以上にひみつ道具を必要とするときがあるだろうか。
このまま解ききることにしがみついて社会的に死ぬか。そうすると万が一合格しても入試で漏らした人として有名になってしまう。そんなことをしたら大学生活を棒に振ることと同義である。
「すみません、トイレに行きたいです」その一言を言うかどうかをずっと悩み、この椅子が便器になることを夢見て朦朧としながら問題を解き続けていた。その後の記憶はない。


「終了です」

神の声かと聞き間違えるかのような試験官の救済の声。ああ、悪夢のやっと終わった。共に戦った椅子よ、君は便器に変わる必要はなくなったのだ。
ようやくトイレに行けると安堵しながら膀胱を一層引き締める。油断せずにいこう、トイレまではまだまだ。一瞬の気の緩みでいままでの我慢が水の泡となってしまう。

「では解答用紙を回収します」
後ろから解答を前に流すスタイルだろうと思い、待ち構える。すると、試験官は教室の一番端の受験生の解答用紙の受験番号や名前を確認し、回収した。絶望。

「絶望とは、膀胱が限界なのに一枚ずつ解答用紙を回収されることだ ―ぱやぱや―」

私は再び絶望した。一人一人の受験番号と名前を確認して回収するスタイルでは、この教室の受験生の解答用紙を回収しきるのに10分はかかってしまう。一度緊張の糸を緩めてしまった私の膀胱は10分耐えることは叶わない。どうする私、どうする膀胱。

「すみません・・・」
私は挙手をした。試験官の脇に立っていた方が私に近寄り、御用聞きをしてくれる。
「すみません、トイレに行きたいです」
2時間位心の中で唱え続けた言葉をやっと口に出した。もう、この言葉が口から出ているのか膀胱から出ているのかもわからない。
解答回収中に急に手を挙げてトイレに行くことを要求した私は、注目の的だったろう。しかし、そんなことは気にならない。私はあと10分もトイレを我慢することが出来ないのだ。

御用聞きをしてくれた方についていき、トイレに向かう。試験を受けていたところのすぐ近くだったのに永遠にも感じられる道のりだった。
「ごめんね、教室寒かった?」
御用聞きをしてトイレに連れていってくれた方がそんな声をかけてくれた気がしたが、「はあ・・・」とまともな返事も返せなかった。面接試験だったらこんな返答の時点で即落ちだろう。しかし、そんなことに気を配っていられなかった。一瞬でも気(膀胱)を緩めたら今まで我慢したことが何の意味もなさなくなってしまう。私は周りに気が遣えないほど殺気立っていたのだ。

あとで気づいたことがだが、御用聞きをしてトイレに案内してくれた人はこの大学の教授だった。私は教授を呼びつけ、トイレを案内させてしまった。教授、気軽に御用聞きしてくれるな。ビビるわ。


結論、受験とは尿意との戦いである。
受験生の方が実力を発揮出るよう、心から祈っている。


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