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読書革命

私は、生まれながらに目が悪い。
本当に生まれつきなのかは定かではないが、物心つく頃から遠くの物を見るときには目を細めてピントを合わせていたし、ぼーっとしているときには物が何重にも見えていた。指1本を目の前に立てて、2本にも3本にも見えるなーと一人遊びしたことがあるか。私はある。寂しい話だ。
後に、私には近視と乱視が混在していることを知り、眼鏡をかけ始めた。しかし、視力は上がりきることはなく、ギリ運転免許を取得出来るくらいなので、正常よりやや下くらいの視力で生きてきた。

そんな正常よりやや下の視力で生きる私が苦手なものが読書であった。この読書とは、学校などで推奨されている文字だけの本を読むことである。私の通っていた小学校では朝に読書の時間を15分程度もうけられており、その時間だけ読書をしていた。いかに読みやすい本を選び、この時間を過ごすかということに力を注いだ結果、読書好きの小学生が通るハリーポッターシリーズとダレン・シャンシリーズを通らずに小学生を終えた。ハリーポッターシリーズの原作と映画の違いに同級生が沸くなか、シリーズの新刊を同級生が我先に図書室で借りようとするなか、わたしはさくらももこのエッセイにハマり、話題の中に入っていけなかった。

小学校の朝の読書時間という読書の強制力がなくなると、私は読書をしなくなった。読む本は漫画がほとんどとなり、文字だけの本を読むことはほとんどなくなった。この後、読書に触れなさすぎるままに大学生になり、論文や資料を読むことに苦労したことは苦い思い出である。

小学校の強制的な読書時間から時間を減ること約20年。私は読書をするようになった。もはや自分が一番驚いている。
それは、このコロナ禍で時間ができたことも影響するが、もっとも大きな影響は電子書籍を活用するようになったことである。手軽に持ち歩ける、本が増えなくて引っ越しが楽、など様々メリットはあるのだろうが、私にとって一番のメリットは「文字の大きさを変更出来る」ということだった。
目が悪い私にとって、本の文字はあまりに小さすぎる。見えないわけではないが、読むことに大きな労力がかかる。本屋に行って、気になった本をパラパラとためし読みしてみようと思うが、文字の小ささに思わず本を閉じてしまう。
更に、本の見開きで書かれている文字の量がとても多く感じてしまう。どうやら私は1ページに大量の文字がある状態で文章を読むことが苦手なようだ。この世に生を受けて数十年の時が経ったが、今更気付くこともあるものだなぁと新鮮な気持ちになる。あの文字を読み続けられる人、マジで尊敬する。

今、私が読んでいる電子書籍の画面は1画面に5行と実際の本に対してかなり文字数が少ない状態となっている。その状態であればさくさく読み進められることがわかった。
今まで、読書が苦手だと思っていたが、電子書籍という文字を拡大し、目に入る文字数を減らす手段さえあれば、苦手意識はかなり薄れることがわかった。いや、どちらかというと小説への没入感はかなり好きかもしれない。登場人物を自分の想像力次第で変えられるのは小説ならではの特権であろう。
ここまで書いて1つ思い出したことがある。私が中高生時代には自分でホームページを作ってブログや小説を書くことが盛んに行われていた。そのときにハマったのが漫画の二次創作の小説だった。まだガラケー全盛だったので、パケット使い放題を良いことに毎日毎日お気に入りのホームページにアクセスして小説を読みまくっていた。ほとんど漫画しか読んでいない時期だったが、そのときの小説は読めていた。もしかして、携帯電話の設定次第で自分の読みやすい文字の大きさを変えられていまので、読めていたのではなかろうかと今となっては思う。

電子書籍はあまり好まないという人もいるかもしれないが、私にとっては読書への苦手意識を払拭する技術革新であった。そして、本が苦手というよりは大量の小さい文字を読むことが苦手だという、目的ではなく手段の問題であったことを教えてくれた。
まさにこれは革命、読書革命なのである。

書店員から話を聞く機会があったときに、「読書は書を読むことなので、漫画でも雑誌でも電子書籍でも読書ですよ」と話しており、私の読書の概念が変わった。これもまた読書革命である。

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