「Coda あいのうた」鑑賞レビュー(リトルダンサー好きな人は必見)
あらすじ
豊かな自然に恵まれた海の町で暮らす高校生のルビーは、両親と兄の4人家族の中で一人だけ耳が聴こえる。陽気で優しい家族のために、ルビーは幼い頃から“通訳”となり、家業の漁業も毎日欠かさず手伝っていた。新学期、秘かに憧れるクラスメイトのマイルズと同じ合唱クラブを選択するルビー。すると、顧問の先生がルビーの歌の才能に気づき、都会の名門音楽大学の受験を強く勧める。だが、ルビーの歌声が聞こえない両親は娘の才能を信じられず、家業の方が大事だと大反対。悩んだルビーは夢よりも家族の助けを続けることを選ぶと決めるが、思いがけない方法で娘の才能に気づいた父は、意外な決意をし・・・。(公式サイトより)
感想(ネタバレ無し)
家族の中で唯一「聴こえる」主人公のルビーが見つけた自身の才能が、周囲を、家族を、そして自分自身を見事に変えていく物語は、とても王道の映画的展開ではあるが、家族の「普通」の振る舞いや、陽気さや、労働環境の不遇さ、そして、最も近しい距離の家族が彼女の才能に「気づけない」という運命的不運さが怒涛の展開を起こし、最後に、たたみかけるように家族の「愛のカタチ」を見せつけられて、涙無しでは見られない。特に、終盤のシーンで家族がルビーの才能に気づくときには、コミュニケーションの多様性を改めて思い知らされる。
私の大好きな映画、「リトルダンサー」に似たところがあり、大好きな作品!
特に、父親と兄の演技にあっぱれ!
感想(ネタバレあり)
そうか、実家に彼氏を連れ込んで、イチャイチャしていても、両親には気づかれないのか。
そうか、実家で大声で叫んでいても、両親には気づかれないのか。
それはそれでいいなと思いながらも、逆に、両親たちも自分がいることを認識していないと、自分たちの世界に入り込んでしまう、、、自分がいるのも知らず、となりの寝室で、、、どっちつかずか。
昨今の映画で、主人公が不自由なところがあり、それを周囲がサポートして、成長していくという作品は、何本もある。が、この映画は、主人公だけが、ある種「普通」の人間である、というところが、特筆すべき魅力だと感じる。
えっ、主人公、歌が上手いじゃん!普通じゃないじゃん!
って思うと思うが、彼女は、先生に言われるまで、自分の才能には「気づいていない」。
才能とは、周囲の認識があって、初めて生まれるものなのだ、とここで思い知らされる。彼女は、歌が上手いことを知らない。だって、今まで家族に認識されていなかったから。
彼女は、普通の高校生。音楽コースを選んだのも、たまたま好きな男の子が選んでいたから。という理由。そのどこにでもいそうな普通の女子高生だから、この映画は、後々とてつもなく映画的感動を見せるのだ。
彼女の家族も何ら、「普通」の生活を送っている。耳が聞こえない以外は、
ただ、生きていくためには、相手とやりとりをする必要があり、そのためには、今のこの世のかなでは、「通訳」が必要で、「健常者」の彼女が必要なのだ。
そこで、出てくる、家族の生活か、彼女の歌の才能か、、、
クライマックスのコンサートのシーン。
映画は、耳が聴こえない家族の視点で、シーンを捉える場面がある。その時には、彼らなりの「普通」の視点から、その状況を見ている。(「歌」には聞き入っていない、なぜなら聴こえないから)
ただ、終盤、彼らは、彼女の歌の才能に初めて気づく。それは、彼女の歌を聞き入る周囲の、笑う表情や、泣く表情を見て実感するのだ。聾唖者と、健常者が、歌を通して、コミュニケーションを取る、という、この映画の象徴的なシーンである。すごく素敵なシーン。
そして、最後に、さらにいいのは、そのあとの入学試験で、
彼女の歌を通して、彼女と、家族が面と向かってコミュニケーションを交わすシーンである。とてつもなくいい。
彼女の歌の才能に気づき、送り出す決意をする家族の愛のカタチを垣間見る。
これは、私の大好きなスティーブンダルトリー監督作品の「リトルダンサー」とも通じるものがある。
この映画も、炭鉱の労働制度に苦しむ父親と、男の子だけどバレエに目覚める少年の話で、終盤に、父親が、少年の才能を認めるシーンは、涙なしでは見られない。
ともかく、本作「Coda あいのうた」は、
・自身の才能は、周囲の認識によって生まれるもの
・コミュニケーションの多様性
を思い知らされる作品です。
あなたの中にも、まだ気づいていない才能があるかもしれません。
それに気づいてくれる人に、出会っていないだけです。
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