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凡庸雑記「狭さ」


僕は心が狭い。

最近頓に狭くなっている。

自慢じゃないが平和主義者で、博愛主義者かつ、希望的傍観者である僕としては、ありとあらゆる世の中の事柄に、押し並べて無関心に平和に偏らず生きてゆくつもりだった。

それがだ、最近、気がつけば自分の好き嫌いを世の中にぶつけている。

今、愛しているものを、それだけを、愚かにも愛おしく囲い、心の中で優越を感じている。これを理解できる自分は、特別なのだと。

で、案の定。それを否定されるのじゃなく、それを、愛さない人を見ると、無性に心がガザガザしてしまう。見たくないと考えてしまう。哀れなものだ。

ちなみに、その自画自賛の人生の愛用品は何だと言えば、こんなものがある。

カメラはNikon。音楽はクラシック。それの重箱を突くと、指揮者はヴィルヘルム・フルトベングラー、ピアノはグレン・グールド。でも、ちょっとミーハーなのが恥ずかしい。

そして、パソコンはMac。スマホはiPhoneで、iPadようはApple信者。

ちなみにスポーツ系は、それだけは、どうなろうが心は一切動かない。全くもって運動下手としては、それには囚われなくて、安堵している。まあ、ワールドカップなんかはにわか野郎になるのだけど。

おまけに、最近はこれに「日本すごい〜」が加わり始め、別に日本で生まれて育って、大した幸福を感じたことはないし、若かりしころは、日本独特の閉鎖的な社会制度にヘキヘキしていたのに。

日本のことを悪く言われると、ガザガザ。心がすり減る。収まりの悪い右寄りみたいで、気恥ずかしい。天皇陛下の写真が飾られていた、ど田舎の百姓の小倅だから、仕方がないと勘弁してほしい。

人は人、キヤノンが好き、ソニーが好きなんて当たり前。と言うか今の世の中、ニコンを選ぶなんて、よっぽどの物好きの懐古趣味しかないのだけど。ニコン以外を使っていると、ヤキモキする方が、人生大いに間違っている。

これは、MacやiPhoneでもそう。世界的に見ればかなり少ない様子。それに、日本でもAndroidを使っている人は間違いなく多い。

もっと、平に、広く、無関心に生きていきたいと思う日々。だけど現実は、それが歳のせいだとは言いたくはないが、考えと感情が狭く固くなっていると、実感している、心の狭い男なのだ。



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