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凡庸“Netflix”雑記「ターミネーター 0」

Netflixでターミネーターゼロがやっていたので、勇んで観た。予告があんまりにも良かったから。期待が最大限に増し増し、ラーメン二郎じゃあるまいし。

で、先ほど見終わったのだけど、正直、しっくりこなかった。

硬質で直線的な感じが、ターミネーターだと思う。疾走感があり、硬くブレのない中で、アクションやストーリーが進んで行く。感じ?

それが、このターミネーターは、実にウェットな仕上がり。まるで、雨季の湿った渓流のように、高い湿度で、あらゆる方向へ曲がりくねり、それは、確かに目的を持った、表現だったかもしれないが、どうにも、アメリカで産まれたターミネーターとは、似て非なるもののような感じかした。

タイムリープのこと、人の思考とAIの感情のありよう、話が曲がりくねり、肝となるターミネータの純粋な暴力からの恐怖が薄まってしまった。途中、いったい、何を眺めているのだろうかと、立ち止まり思案することになった。

いろいろ、勝手に思いついたことを書いてしまったが、今のことろ正直な感想。

最後も、たいして盛り上がらず、呆気に取られて終わってしまった。(そう感じた)完全に捨て置かれ、消化不良の思いを抱えて、考えたことは、このもどかしさをきっと次のシーズンは解消してくれるだろうと。

次があればの話だけど。ほんと。あるかなぁ、次。

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