凡庸雑記「ラーメンとアニメ」
昔、日本映画に興味をなくし、それどころか、映画自体にも気持ちが離れ、なんかおもろいもんはないだろうかと、毎日ぼんやり考えていた。
そんな時、夜寝る前の慰めものとして、日頃決して目にしない、アニメなんかでも見てみるかと、この間中止が発表されたGYAOをiPadで開いた。
その中で、寝る前に気楽に楽しめそうなものは何かと眺めて、高校生ぐらいの女の子と、仏頂面の男子。惚れたはれたの学園恋愛もんは、気持ちも気分も気楽で楽しめるはずと、再生ボタンを押した。
何話か見て、びっくり驚いた。
いったい、ぜんたい、何を僕は観ているのか。これって、よくある可愛い学生女の子愛でる、中身も意味も価値もないもんだろう。そのはずだろう。だのに、どんどん引き込まれていく自分に戦慄を覚えた。
贖い難い、旋律に戦慄した。
物語の展開、俳優の演技、演出の確かな深刻さ。さりとて、学園アニメとしての、柔らかないい加減さを捨てていない。だからこそ、より描く彼らの悲喜交々な人生が浮かび上がる。
おいおい、どうしたんだよ。これって、深夜アニメってやつじゃぁないか。本当に、一部の物好きしか観ない(すいません好きな人には)アニメだろ。こんなに、人の心情か痛く深く描くのか。
費用対効果として、あんまりにも効率が悪すぎる。劇場アニメでなければ、映画でもなく、日本とアメリカのアカデミー賞に声がかかるはずもない。それなのに、これなのだ。
地位や名誉や、ましてや収益などは蚊帳の外として、命を削って作り上げた紛れもない、文学的創作品だ。と、僕は胸を震えさせた。
この、深夜の放送枠の片隅に、こんな創作を可能とする天才があるだなんて、日本の映画が衰退著しいのに、いったい、映画界は日本の芸術界はどんな節穴なのだと、(悪話でも僕のその時の思いなのご勘弁)映画好きとしては深刻に思った。
まだまだ、日本の中にはこんな表現を創作することができる才能がいるのだから、日本の国レベルで、創作の機会と仕組みを作らないといけないのじゃないかと、アニメ創作者を強引に映画に引っ張ってきた方が彼らにも、映画界にも幸せに違いないと、身勝手甚だしく夢想した。
ちなみにそのアニメは「とらドラ」
話は大いに関係なくなるが、海外からの観光客にインタビューすると、必ずと言って食べてみたい日本食として、ラーメンを口にする。
ラーメンと言えば、紛れもない中華料理。つまりは、中国の食べ物。
日本のラーメンを褒めてくれるのは嬉しいのだけど、中国の方々には本当に申し訳ないと、思ってしまう。
だけど、今や日本のラーメンは独自の発展を紛れもなくし、百花繚乱、異次元の美味しさを提供している。醤油や、塩、味噌に、とんこつ、魚介などなど、多彩で美味しい。
挑戦的で、それでいて繊細で深い確かな味わい。日本だけじゃなくて、世界が納得する食べ物になった。
巨大てチェーン店もあるが、行列ができる名店は、こだわりの店主がコツコツと味を突き詰めて作り上げた一杯を提供している。限りなく小さく、簡素で、効率と効果、収益と名声をかなぐり捨てて、ひたすら個人の理想に寄り添った結果。(だと思っている。)
「アニメ」と「ラーメン」どちらも、人知れず世界の片隅で、自らの夢みたいなものに目を向けて、狭く深くひたすら理想を追い求めた結果。広い世界で高く評価される存在になった。
利益や成果、効果や効率なんかとは違う、私心的誠意がなせる技のなかもしれん。間違いなく、のらりくらりと、ええことないかとウロウロしている僕には、到底、できそうもないことだ。
なんたって、人様に褒めてもらわないと、すぐ、やる気をなくしてしまうのだから。
単純には言ってはいけないかも知れないが、日本人が何かを成す場合は、こんな場合が多いのではないかと思う。
戦略や、リーダーや、組織や仕組みや収益を考えるより先に、小さく柔らかい個人的な行いを、誤りや正しさを度外して、行う。それを許しはしないが、見て見ぬふりをする余裕ではないどちらかというと、無関心な装いを持っている社会かも知れない。誤っているかも知れないが。
だから、比較的に自由に動けるかも知れないが、そこからの結果を、具体的な形で配分できないところもある。得られた収益。身も蓋もなく言えば、関係者のお給料や待遇を上げるとこに、さほど関心ない。それどころか、儲かったからそれを与えても、より良いものは出てこないかも知れない。それなら、あえて与える必要はなく、内部に溜め込むか、一部の特権だけで握ったまま。
みたいなことになる。そういえば、ある社長は、成果が出ても遠因的にそのへの行動を黙認した、自分の成果であり。そのための成果は自分に起因する。そして、それを社員には給料や、福利厚生で配分はしないというか、する気がない。
と、胸を張って宣言していた。
私的、個人的、思いや夢に突き動かされ、類を見ない真摯さで、素晴らしき結果を出したから。その負の部分として、利益の配分の正しさが、結果に結びつくということが、理解できないのかも知れない。
世界的に(どれほどかは不明だけど)評価されているアニメ。収益も着実に上がっている。だけど、それを作る多くのアニメーターや関係者の劣悪な環境と、乏しいお給料が、しょっちゅう話題に出ているが、ちゃんと仕事をしたなら、なるべく豊かになって
欲しい。
それに、お給料が増えたら、少なくとも仕事への満足と幸福は上がるはず。
なんだか、変な方向に進んでしまった。もうそろそろ辞めないと。それでは。 なんだか、全くまとまらなかった。本当は、すっきり結論に落とし込みたかったのでけど。ほんま疲れた。
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