凡庸雑記「iPad」★その正しい使い方★
3回目のワクチン
3回目のワクチンを打って、体調がすぐれないので会社を休んだ。と言うか、休むつもりでいた。
だけど悲しいかな、そうは問屋が卸さない。休みだと言っているのに、次々とメールや電話がやってくる。
あんまり来るもんだから、休みにするのがアホらしくなり、勝手に在宅勤務ってことに。
だけど、身なりを正し、ちゃんと椅子に座って机に向かい仕事をしてたわけでなく、布団の上に寝転がって、腹の上にiPadを乗せ、ラッコの様なの姿でキーを打ち、あちらこちらから訪れるメールをちぎっては投げ、ちぎっては投げ、処理をしていた。
こんないい加減な感じで、休みの日もとい、在宅勤務が慌ただしく流れていく。
気が乗らないが小心者は処理をする
つくづく、平日に休もうというのが愚の骨頂だったのだと、骨身に染みて実感してしまう。
無視を決め込んで、ありとあらゆる事を非情に切り捨てるのが正解だとは思うが、目に入ってしまうと気になって、ついつい手を出してしまう。日本人としてのサガなのか。はたまた、個人的な器の小ささなのか。
休みとしているのだから無視すべきだろうが、そんなことをしていたら、今あるとぼしい飯の糧が消えるかも知れないと、小心者の性が顔を出す。
こうして、気分が乗らない中で、なんとか気持ちを上げ、ごまかして、目の前の仕事を処理していった。
こんな時にはiPadがいい
こんな時は改めて想う。本格ガッツリなんでもできるMacBook Proよりも、出来ないことが多いが無茶に気楽に使えるiPadがいい。
大したことはできないiOSのだけど、すぐ使え、気安く動いてくれくれる。それに、用意された専用アプリは、軽く直感的に使えるものばかり。
背筋を伸ばし椅子に座り、机の上のディスプレイを凝視して、忙しなくキーを指で叩く。そんなこととは無縁のお気楽な愛すべきiPad。
仕事の全てがiPadで出来れば、どれほど仕事が楽しく楽になるだろう、常々そう思う。
現実はiPadが全てではない
だけど、現実はそうはならないのは使うほど痛いほどよく分かる。
やっぱり、何も考えずMacを使った方が絶対正義。m1Macが出てからは、その流れは加速し、iPadの影は薄くなった。素晴らしい効率の高い性能を持ちiOS顔負けの、速さと安定を手に入れた。
もう、iPadは必要無くなったのかも知れない。
iPadでややこしい仕事をするなんて、そもそもの過ちだったか。
iPadは夢を見させてくれる機械だ。だから、日常業務の全てを寝転がりがら、右へ左へ処理できるのではないかと、錯覚に近い希望を悲しいかな持ってしまう。
やっぱりアニメでも観ながらヘラヘラするのがiPad
そうだ、スティーブ・ジョブズがこれを開発した時の動機が、決して仕事なんて楽しくもないものをするのではなく、カウチで座り写真を見たり、本を読んだり、友人や愛すべき人と短い会話を楽しんだり、日常にささやかな幸福を得るためのものだった。そう、物の本か、発表会かで見聞きしたことがある。
こんなことを考えると、iPadでエクセルやワード、画像処理や、動画編集など、ややこしいことなどを望むのは、すっかり捨てて、Netflixあたりでアニメを見ながら、ヘラヘラしているのが、正しい使い方なのかも知れない。
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