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凡庸雑記 「スナップ」

スナップは基本中の基本

撮影も色々あるが、スナップって言うのは、それはもう、基本中の基本だ。(と思う)

貪欲に街の中を徘徊しながら、自分の感性がビビッときた被写体を、瞬時に、適切な設定で撮影する。かっこよく言えばそんなもの。

撮影する対象も、目的も、意義も、価値も自分自身で決めて、結果は人に委ねる。

私小説のように、自分の日常を切り取る、スナップはなかなか認められ辛い。しかし、だからこそ奥が深く、世に名をなす名カメラマンは、ひたすらスナップをとり続け、技量を磨き上げる。

記憶に残るスナップの名手


スナップ撮影で有名なカメラマンは国内外数多いる。その中で、個人的に記憶に残るのが、ハービー山口氏と、森山大道氏。それと、初期の荒木氏もすごかった。

もちろん彼らだけじゃない、海外ではプレッソンなどなど、歴史を作った強者も多数いる。ただ、あんまり海外のカメラマンの作品には明るくなく、どうしても、日本のカメラマンが主になる。

ハービー山口氏の唯一無二の人格


ハービー山口氏の写真を見た時、被写体の瞳の素直さに驚いた。素人なのに、見ず知らずの人からカメラを向けられているのに、こんな瞳をするだなんて。

撮影者はどれほどの人格者なのだろうかと、興味を持った。


興味を持ち、ご尊顔や言葉、文章を拝観するに、ハービー山口氏の人となりが浮かんできた。

彼の表現の全てが、一つの哲学であり、それを基に対象に真摯に向かう姿勢が、あの眼差しを産んだのだと痛感した。

カメラというのはシャッターさえ押せば誰でも何かしら像が残せる機械だけど、撮影者によって、誰にも創造できない美しさの機微が克明に浮かび上がる、まか不可思議な機械であると、驚きと喜びと、そして希望を感じさせられた。

同氏の写真は、被写体を素直にさせ、見る側も素直な感動を得られる。唯一無二の創造品であると、偉そうに思うのだった。


覚悟の人

もう一人、森山大道氏。

正直言うと、スナップ撮影の大家、スナップと言えば国内外で、比類無い存在であると認められている森山氏の写真を、どうにも分からない。

すごいと言われているのだから、そうだろうと、何度も見返しても、貧困な美意識か、抜け落ちた歯抜けの観察力か、はたまた、遠浅の洞察力か、とにかく彼の写す出すものの真意が分からない。

そこで、さっき書く前にちょっと思った。彼の写真の真意は「覚悟」ではないかと。(薄っぺらさを露見してして言わせてもらうと)

森山氏。写真家としての技術はすごいものがあると聞き及んだ。大手の写真関係にに師事し、徹底的に写真家としての技術を身につけた。

それを踏まえ、街に飛び出し、ひたすら撮り続けている。

本来ならば、高度な写真技術の基礎を、遺憾なく発揮し、多種多様な写真表現が可能なのに、スナップ以外の不要なものを排除し理想の撮影に向けて最適化している。

大型の一眼レフを使用し、広角、標準、望遠と適切に交換し多種多様な表現を行なうカメラを知った人間なら誰でも行うであろうことを捨てて、カメラはあえてポケットに入る小型カメラを使用し、スナップの命である、俊敏性を高めている。

写真で生きていく術はいく通りもある。華やかで、儲かる写真もある。それを、捨てて街に出て、自分の目を信じて撮る。人生の全てを賭けた「覚悟」

その視点で写真を見直すと、すごいなあと、素直に思えた。同氏の写真の独特の凄みは、ざらついた印刷の表現もさることながら、彼の心に強く刻みついた「覚悟」ではないかなと、空想する。

少しは、同氏の写真が分かる立派な男になったのだろうか。まだまだ、分からないのは事実だけど。

巡り巡って全てはスナップに

スナップは大好きだ。と言うか、時間も金も無く、さりとてひたすら写欲ばかり肥大化している我が身にとって、撮影のための交通費など諸経費が必要なく、よろめくほどに魅惑的なポートレートを撮るために、高価なモデルを雇い入れる必要もないスナップというはとても素晴らしい欲求不満を解消する術である。

カメラを持って、ドアを開けるだけで、瞬時に写欲を満足さる。

スナップは撮影の基本、あらゆる写真の要素が詰まっている。そんなところも好きだ。

風化した商店街を撮ればドキュメンタリー写真。道端に可憐に咲いている花を写せば風景写真。気になる女性(ヒト)に向ければポートレート。多彩な撮影が行える。

だから、今日も明日も、明後日も、未来永劫(とは言えないが)スナップは、我が撮影芸術の骨格として、続けねばならないと、ここに心強く思うのであります。(そんなあほなことをよくも言う)


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