見出し画像

凡庸”映画”雑記「BlackBerry」

さっき、Netflixで「BlackBerry」を観た。

今さらBlackBerryとは。どうしてだろうか。AppleやGoogle、Facebookなどなど、綺羅星のような、今をときめく企業ではなく、もうすでに消えてしまった(どうもそうらしい)会社のことなんて。

と、不遜なことを頭にちらつかせながら、それでも、いっ時は世界中のビジネスパーソン(それもできるイケイケの)が使っていた、スマートフォンだったから、懐かしさが先立って、クリックした。

どうせ、つまらなければ、ストップすればいいのだからと。(これも、すげぇ不遜)

観始めると、これが結構面白い。演技も自然。変な違和感がないのがすごい。さすが海の向こうの役者というのは、豊かだ。有名かもしれないが、あまり見知ったことの無い、役者たちだったが、それが真に迫って、上手いのなんの。

幅というか、厚みというか、豊かさというか。芸能の底じからをしみじみ感じる。

結果、最後まで、止めることなく、楽しめた。自分にとっては、つい最近の事だからかもしれない。それも、IT製品に憧れ強い趣向癖を持っていたのが、より強くしていたのは否めない。

BlackBerry。この今はなき携帯電話。

手に収まり良い、具合の良い、道具としての佇まいが只者で無い。しっかりとした打ち心地を体感させてくれる、キーボードがイメージや、憧れ、妄想でないことを実感させる。

iPhoneが発表されて、あっという間に、市場から聞かなくなった。こともなかったかもしれないが、日本では元々さほど普及しなかったから、あやふやなところがある。

そう言えば、パームのCEOなんてのも登場した。

びっくりするぐらい、不遜で傲慢な輩だった。これもiPhoneが出るまでは、ポケット端末の優だった。一時期、ガジェト好きや、人より頭ひとつ上がもしれないと妄想しがちなビジネスマンや研究者が使っていた。僕もその妄想癖のある人間の一人で、こいつで、人生の全てを、効果的に効率的に、そして、優越的に引き上げようと、苦心していた。

白黒のパームを使って、連絡帳やカレンダー、文章作成、そして、携帯と繋いでメールの送受信。アプリも確かあった。そのうち、もっと、もっとと、最後はSONY製のパーム端末に行き着いた。

精細な液晶で、動きも快適、読書など使っていたと、思う。かなり忘れてしまったけれど。

今思い出すと、何が便利だったかというと、PCとケーブルに繋いだドックがあり、それに、パームを置いて、ボタンを押すと、もろもろデータが移される。

当時はこれが、驚くほど画期的で、便利だなぁと興奮した。

今や、放っておいても、iCloudで勝手に確実にMacに入れたアドレスや、メモ、それに、データのでかい写真なんかも、一緒になってしまうのだから、すごい世の中になったものだ。案外、想像以上に生きているのかもしれないと、つくづく思う。何にも、成し遂げたものなんてないのに。

そして、改めて思わされるのが、iPhoneの革命的なパワー。

僕が、使っていて、これぞ、未来だ!と、興奮して使っていた全てを、駆逐してしまうだなんて。それも、彼らが、どうしても叶えることができなかった、人の夢を、成し遂げて。

その力は絶大で、Googleは手っ取り早く、模倣したAndroidを作り、WindowsでMacを模倣して大成功したMicrosoftは意固地に独自モバイルOSで勝負して、案外個人的には良かったのだけど、消えてしまった。

栄枯盛衰だなぁと感慨深く想う。

そんなことを言いながら、iPhoneが発表された直後は、iPhoneは本当にスティーブ・ジョブズなみに、胡散臭く。それよりも、黒光りするBlackBerryに心が傾いていた。

まあ、そんな傾きも時間の問題で、あらゆるもどかしさを次々解決して、実績を見せつけてきたiPhoneを、創世記から信じ愛していたごとく、Apple信者だ、iPhoneマニアだと、喚き散らしているのだから、世の中いい加減なもの。

さて、もう一つ。アメリカなのか、どうなのか、とんでもないほど、ビジネスの世界はえげつない。一つの判断で、天国になったり、地獄になったり、楽しんだり、喚いたり。そいつが、ありあり描いていて、人生の勉強になったのか、ならなかったのか。面白かったのは間違い無いけど。

こんな、えげつない、いや、立派な行動力と知恵がないと、それなりのものにはなれないのか。適当な人生だから、手に入れているのも適当なんだと、しっかりと、知ったりしたりして。それが、幸せだったりもして。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?