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凡庸”名作”雑記「侍タイムスリッパー」


ようやくご対面

前から観たかった「侍タイムスリッパー」をようやく観ることができた。

こんな作品が、名も知れず始まって、名も知れず終わっていたかも知れないだなんて、世の中で知られないままの宝石が隠されているかも知れないと、恐怖すら感じた。

いろんなところからの協力のおかげで、かなり低予算ながら日の目を見た作品らしい。監督自身、日頃は農家で米を作っているよう。映画を創りたい思いに動かされて、産まれた作品。そんな純な創作欲が、作品全体から漂ってきて、(いい塩梅で押し付けがましくないのが好感)実直に何かを作り上げる、凡庸な姿勢の大切さを、思い出す。

名も知らぬ名優

有名じゃないが、演技がダメってことはまったく無く、主人公から、脇役まで、どこにこんなに味がある名優たちが隠れていたのかと、本当に嬉しい驚き。

名も知らぬ役者たちの、引き込まれるような、唸らせられるような、演技。地味なようで変幻自在に流れる物語。そして、鬼気迫る殺陣。どれもが、変な色気や力みや、欲がなく、娯楽としての姿勢を率直に貫いている。

有名どころの俳優を配した、配給生命のかかった大作ならば、こうはいかなかった。もっと、いろんな雑味が加わった、違和感を感じたはず、多分。最近、有名会社の有名俳優を使った、大作がぼちぼち作られるが、あそこにもここにも見受けられる、それも、軽々しく現れる俳優の顔がアップになるにつけ、興醒めしてしまう。

目にしたことの無い(見ているかも知れないが)主人公や、周りの俳優たちに、そんな、余計な意識をすることなく、没頭できたのが、素直に嬉しい。ちょっと違うのだけどと思いつつ、忖度で無理に入れたのでは、なんてことが無い幸福。

自然な京都ことばにただ感動

それから、何よりも聴いていて心地よかったのが、これは、関西人(四国だけど)として、関西弁(京都弁)が自然で心地良く、こんなところにも低予算の良さを見つけた。

きっと、それなりの作品ならば、重要な役は関西、特に京都以外の有名俳優を使い、彼らに京都弁を喋らせるだろう。芸達者の有名俳優には違いなく、見事に演じるだろうけれでも、あの、力の入っていない自然は京都弁は、きっと望めないだろう。

芸達者の力量のある有名俳優を使えないからこそ、地元の俳優の心地よい京都弁が画面から流れ、それがこの映画の重要な主役になった。(すいません本当に京都の人かどうかは分かってません。違っているかも。)

侍映画なら黒澤で行く

ラストの一騎打ち。これは、黒澤明の「椿三十郎」で行くんじゃないかと、待ち構えていたら、案の定、見合ったまま動かない。そうこの緊張感が嬉しい!もう、拍手喝采。完膚なきまでの愛情を、かの映画に持っていることを証明。

「椿三十郎」は、一瞬で決着するのだけど、この映画はそれからが白眉。感嘆の連続。並々ならぬ気迫で怒涛の終幕へ。そして最後は…。こいつは野暮というもの。観てのお楽しみ。

すっかり消えて忘れていた映画の熱情が再び

前々から、面白いおもしろいと噂が宙を浮いていたが、地味な作品だろうし、そのうち観れたら観てみようと、捨て置いて、最近気になる映画を複数観たが、どうにもしっくり来ず、このモヤモヤした映画への思いを払拭すべく、巡り巡ってようやく観る。

もう一度か二度観ても、天罰で雷が落ちないだろうほどの、見事な作品だった。

最近はまったく、若かりし時の映画への熱情はすっかり消えてしまったけど、こんな、映画への愛を素直に表した名作を観ると、思わず心の中で、こう、つぶやいてしまう。「いや〜、映画って本当にいいもんですね」「さよなら・さよなら・さよなら」(水野さんと淀川さんの合わせ技、知ってる人はもう数少ないかも)


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