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凡庸”映画”雑記「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」

このアニメ全体に流れる、儚さと危うさが、とても惹かれてしまう。
何気ない普通の日々が、柔らかに流れる中、手の施しようもない破滅の姿。この塩梅の良さが、作者の知性と感性の高さを感じさせる。

なぜだか、破滅の姿を見せる物語が好きだ。

とても惹かれてしまう。これは侘び寂び、儚さを、つい口にする日本人の性なのだろうか。でも、愛している全滅の物語は海外製ばかりだ、「ハローサマー、グッドバイ」や「渚にて」は今でも強い印象が残っている。日本製と言えば「復活の日」だろうか。これは最後には復活するのだけど。

砲弾飛び交う非常な日常ではなく、パンを買い、散歩を楽しみ、家族や隣人と語り合う。その何気ない日常が少し、ほんのささやかに、ズレて破滅へと滑り落ちていく。気がつけば、そして、誰もいなくなった。

この物語「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」もそんな愛すべき一つだ。

一見、愛らしく、無邪気な、ひととき愛られた下手うまの風のキャラクタたち。彼らが発する突拍子もなく、少々場違いな卑猥な言葉の遊戯。どこまでも、平穏で多感、変化の無い命。

しかし、頭上には、いついかなる時も、浮かぶ異物としての宇宙船。目的も意味もわからずただ、しんしんと不安だけを降り注ぐ。

その下、3年の時が経ち、不安の中で包まれた日常が、生活の一部になり、刹那的な感覚に囚われながらも、若い日々は未来を空想する。時折不穏に未来からの言葉が重なり、観客としての僕は、天の視点で否が応でも、潰えていく希望をただただ待つ。

日常が確実に明日を与えてくれることはなく、一意の人間ではどうしようもなく、計り知れない、巨大な不安が、一変に終焉へ押し込んでいくのが、世の中のことわり。そんな、儚く希望に満ちた終焉を体感させてくれる、本当に見事な作品だった。

今回は前半。印象的な場面が随所にあり、数箇所涙腺が緩んだ。アニメでこれだけ緩まされたのは久しぶり。5月には後半が上映される、人の世界の終焉をこの目で確かめるつもり、必ず。


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