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恭庵書房のオススメ書籍 2021/6

暮ラシカルデザイン『房総コーヒー2』

鋸山縦走チャレンジから、 香豆珈琲 - kou's coffee に出会い、ここのご夫妻を 鋸山照前展望台 に案内し・・・掲載された。千葉の素敵な珈琲屋が満載。


アンヌ・カロン、メロディ・ダンテュルク『大人のためのコーヒー絵本』

イラストが可愛らしく、内容も良い。コーヒーを概観するにはとても良い一冊だ。「絵本」というタイトルで実際絵本だが、情報量は十分。コーヒー飲むならこれぐらいは知っておいたほうが絶対に楽しい。


烏賀陽弘道『フェイクニュースの見分け方』

ネット上のものだけでなくマスメディアの情報もあやうい昨今、自分なりの情報の見分け方をつくるヒントになる一冊。印象で喜怒哀楽を感じ、確認もせず確信してしまう可能性は誰にでもある。そういう行為を戒めるとともに、トンデモ情報に騙されない基準を持つ必要がある。
僕自身は学生時代にイランを旅した時から、一次情報の情報の重要性を感じ、主張しているが、他人の言説にもそれを当てはめて判断しようと思っている。
しかし世の中には根拠のない噂話が蔓延しており、自己の情報防衛だけでなく、説得力のある発信が不可欠だとフェイクニュースの流れ方を見て思うのである。

新聞やテレビにかぎらず、一般に、根拠となる事実が弱いと、修飾語が過剰に強く、大げさになる傾向がある。論拠の強い事実があると、その事実を余計な形容なく描写するだけで、その主張や分析の正しさはたちどころに証明される。それがない、事実が弱いとわかっていると、人間は無意識にそれを補おうとして言葉が強くなる。だから「意気込んだ」「決意を語った」「胸を張った」的な強い修飾語が頻出している文章を見ると、私は疑うようにしている。(p.94)
専門家たちは、科学や合理に基づいた真実を発言するとは限らない。「利害」や「立場」にそって発言をする。(p.216)
マスメディア情報に疑問を発するときには、自分の問いかけのゴールが何なのか、具体的かつ明確に決めて動かさない姿勢が必要なのだ。「何を知りたいか」に照らして、どれぐらいの重要性があるのか、査定してみる。重要性がないと思えば、いかにマスコミが騒ごうが、耳目が集まろうが、捨てる。マスコミが集まっている、世間が騒いでいるニュースがあなたにとっても重要であるとは限らない。社会全般が集団で価値判断を間違っていることも多々ある。(p.241)
人は何の根拠もない、事実とは真逆の内容を、強い断定調で語る、ということだ。それに疑義を挟む者を罵倒しさえする。そしてそれは多くの場合、善意を装ってさえいる。(p.254)


小熊弥生『世界一100人を同時通訳してわかった「最速」で結果を出す人の成功哲学』

「ありえない」を乗り越えて「イタコ通訳」を確立した同時通訳者の本。世界的に有名な方々の習慣や特徴から法則を見出していることも興味深かったが、著者本人が障害を跳ね除けて今の立場を築くに至った心の変化が面白い。常識に囚われず自分の思いで道を開いてきた人の話はとても参考になる。

100人以上の世界一の方を同時通訳してきて、すばらしい人、世界中の人を魅了している人に、早口の人はいませんでした。
世界一の人には、受けての理解・感情を重視する、「着信主義」のコミュニケーションが習慣づいています。(pp.64-67)


三浦 瑠麗『日本の分断 私たちの民主主義の未来について』

独自の調査により、日本では支持政党とリベラル・保守の違いがほとんどないことを示した点は面白い。政治にまつわる状況は諸外国に比べて特異で、これからも同様だろう。分断というか健全な意見の相違ときちんとした議論が必要だ。
レビューなどで分断について賛否両論あるが、分断の定義がそもそも分断している。

つらいことだが、政治とは、それ程理想が異なるわけではない人々を分断する活動である。双方が同じくらい理想だと思える社会を提供できるはずなのだが、両者の力点の置き所が異なるゆえに、政治闘争が生じてしまう。そして、本来はそれ程異なるわけではない政敵にレッテル貼りをして、そのレッテルを責める、という不毛なゲームである。(p.141)
直接民主制は、国民の散発的な決断の結果に一貫性を持たせるためにマンモスのような官僚機構を必要とする。(p.190)


宇野重規『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』

保守主義の歴史的変遷が、よくわかる良著。日本でも保守・リベラルと論じられるが、なんとなくわかったつもりでこの言葉を使うのは意味がないんだな。

いま生きている人間は、自分たちが生きている時代のことしかわからない。それゆえ現在という時間によって制限された人々の理性は、過去と未来の世代によって補われる必要がある。バークは現在の人間の視点を、時間軸に沿って拡大しようとしたのである。
以上のように、バークの保守主義は、すべてをゼロから合理的に構築しようとする理性のおごりを批判するものであり、一人の人間の有する理性の限界も偏見や宗教、そして経験や歴史的な蓄積によって支えていこうとするものであった。
人間社会は決して単線的に設計されたものではなく、むしろ歴史のなかでたえず微修正されることで適応・変化してきた。そうである以上、社会が世代から世代へと受け継がれてきたものであり、また将来世代へと引き継がれることを忘れてはならない。バークの保守主義はそのことを説き続けたのである。(pp.62-63)




パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。