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恭庵書房のオススメ書籍 2020/12

田中元子『マイパブリックとグランドレベル』

軒先を開放したり、路面店で外に訴えてみたり、最近では 鋸南エアルポルト -Kyonan AIR-port で、まさやんのエクストリーム流しそうめんや僕のパクチーハウス鋸南のように外でやるアート活動を過去15年ぐらいいろいろやっている。本書で出てくる「マイパブリック」とか「グランドレベル」という単語は、僕が言語化できていなかったそれを、見事に説明したものだった。
著者の田中元子さんとは約9年前に会った。日経アーキテクチャーの取材でPAX Coworkingのことを書いてもらい、当時やっていた建築体操についての面白い話を聞き、しばらく会っていなかったが、十勝イノベーションプロクラムで再会したり、知り合いのグッドデザイン賞の受賞を祝いに行ったらその会場でお見かけしたり・・・。
ちょうどPechaKucha Nightでトークしたそうで、本書にも繰り返し登場している「ベンチ」についての動画も見つけたので、動画見て本も読んでみてください!

行政と市民の関係が成熟していない日本だからこそ、あればいいなと思う公共は、自分で勝手に作れば良いのだ。
家の中でこもってしていたような、好きなこと、やりたいことを、外でやる。それだけで、多くのものを、多くの人に、与えることになる。
もし、本当に地域に暮らすあらゆる人々を、分け隔てなく受け容れるパブリックな「場」を作る気があるなら、それはすべて誰からも見ることのできるグランドレベルでやるべきなのだ。ビルの一室で一夜花咲いた、笑顔一杯のその賑わいなんて、地域の誰が知ることができるというのだろうか。
問題は人口そのものではない。実際の人口よりも、一日を振り返ってみて、まちで目にしたひとの数がどれほど多いかどうかだ。見かけるだけでもいい、声を掛け合うでもいい、長話すゆでもいい。ひととひとが、どれだけ快適な距離感でもって、関わり合えるかどうかだ。

『木のいのち 木のこころ』

3部作。僕は1990年代の本を3冊それぞれ読んだが、新潮文庫からまとめて出ているみたい。これはお買い得。

宮大工の精神を描いた良書。現代的な「ビジネス」とは真逆の世界だが、棟梁から受け継ぎ自分の仕事場として鵤工舎を立てた小川氏は、現代の文脈の中に飛鳥からの精神を生かす工夫をしている。この本が出た頃には理解する人はほとんどいなかったかもしれないが、27年経った今、平成の後悔を経てこの発想の一部でも自分の身につけたいと思う人は多いのではないだろうか。
小川三夫『木のいのち木のこころ(地)』

棟梁の道具は数が少ない。仕事をするのに、昔は道具箱ひとつですんだんだ。ところがいまじゃ軽トラック一台分もある。電動ものが多くなっているからな。いまはそれだけ道具がなくちゃ仕事ができなくなっちゃった。道具を使うんじゃなくて道具に使われるようになってきているな。

2週間前に読んだ《地》編の小川三夫氏の親方の本。急がないこと、癖(個性)を活かすこと。今の政治や教育が唱えるお題目が、いかに表面をなぞっているだけかというのがよくわかる。大工やものづくりに興味がなくても、生きることに関心があれば読んでほしい。答えは1つで、ググればそれは見つかるというようなネット時代への警鐘の書ともいえる(本書の出版はインターネットが一般に知られる直前)。
西岡常一『木のいのち 木のこころ《天》』

出来が悪かったら、まあ学校にでも行って、会社に入ったほうがいいですな。組織のなかやったら少しばかり根性なしでも首をすくめていたら何とかなるでしょ。
均一の世界、壊れない世界、どないしてもいい世界からは文化は生まれませんし、育ちませんわな。職人もいりません。なにしろ判断の基準が値段だけですからな。

続いて《天》と《地》を聞き書きしたライターによる3部作の3冊目。飛鳥時代から受け継ぐ宮大工の精神が時代が変わり、さらに家を飛び出し、現代人に組織として引き継がれたことを記録したドキュメンタリー。インタビュー時点で鵤工舎で働く全員のインタビューが、子供たちが継がなかった宮大工に年月をかけて弟子入りした小川三夫の組織(だいぶ語弊のある言葉だ)づくりの正しさを証明している。多くの職人が、本を読んだり人づてで西岡常一棟梁や鵤工舎を知るに及んで、いてもたってもいられず奈良を訪ねるというのがすごい。
塩野米松『木のいのち 木のこころ《人》』

齊藤義明『イノベーターはあなたの中にいる』

野村総研が地方の自治体や金融機関と行うイノベーションプログラムの成り立ちを概説した本。僕も革新者の1人として2年半前から関わっており、十勝・山陰・琉球を訪ねたことがあるが、全体の流れはよくわかっておらず楽しみながら読んだ。
スケールさせるだけでない地域の起業が起こるメカニズムを丁寧に作り上げてきたことは注目に値する。現行の4カ所以外では実現に至らなかったようだが、同様のプログラムを走らせることは地域の価値となるだろう。何より「面白い」で人生を動かす人が増えると地域は楽しくなる。
南房総地域でもやるといいと思う。唯一の郡として残った鋸南町が主体となって、南房総全体を盛り上げる試みを率いたらどうかな。都内からも参加者を募り、南房総で起業したい人の集合体をつくる。みなさん、ぜひ読んでください!

なぜイノベーション・プログラムでは外部の社会ニーズではなく自分の内部にあるウォンツにこだわるのか? それは、社会課題や成長市場などの外部要因分析から考える事業アイデアではどれもが小利口で似たようなものになりがちであり、その人に特有なユニークな解決策を生み出すことができないからである。

おおたとしまさ『いま、ここで輝く。 ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』

子供を「全承認」する。現在の、結果としての教育の真逆にある態度を、自らの経験を通じて実行するようになった数学教師の話。授業見学が絶えないとのことだが、授業を見ても、本を読んでも、その境地にたどり着くのは容易ではないだろう。これはテクニックではなく生き方の問題。
だからこそ、こういうあり方を広め、できる人は自分なりの方法で実践。できない人は他人を邪魔しないことに徹するべきだ。教育や社会の改革はどこか別の話じゃないし、誰かが与えてくれるものでもない。自分の周囲89mにどれだけ真剣に取り組めるかがすべてだ。

子どもたちが未来をつくるのであって、当たりっこない未来予想図に合わせた子どもたちをつくるのではない。
教室内がざわつこうが、一部の子どもが問題発言しようが、イモニイは黙って見守る。すると、生徒たちの自律性が、集団としての秩序と文化を醸成した。「ここではどんな発言をしてもいいのだ」という安心感が共有されている。
「僕たちは、勝手に子育てや教育を複雑にしているんですね。それで子どもたちに窮屈な思いをさせてしまっているのかもしれない」
奇跡ではない世界つまり現実をつくっているのは私たちが無意識にもってる無数の思い込み。現実こそ思い込み。その思い込みがものごとを複雑にしてしまい、人々の身動きを封じる。そうやってひとは不自由になっていく。歳をとるごとに人生が不自由になっていくってそういうことなんじゃないですかね。
でも論理的に考え、手を動かし、間違え、根拠を疑い、試行錯誤して、思い込みをひとつずつ捨て去ることで、ひとは再び少しずつ自由になれる。
エビデンス自体は否定しないけど、現場の感性と食い違うエビデンスを信じるのはやめたほうがいい。そのエビデンスを導き出した前提自体が、実際の現場とは違っているかもしれないんだから。

大久保 淳一『いのちのスタートライン』

サハラマラソンつながりの大久保さんの感動の書籍が、文庫化されました!

土屋敦『男のパスタ道』

ペペロンチーノのレシピを書いた1冊の本!究極の勝負ペペロンチーノを作るための膨大な実験。ときに細かすぎ、ときに割愛しすぎていて文章はジェットコースターのよう。しかし、著者のこだわりを端々に感じる。ラスト数ページに4つの究極のレシピが載っているが、それを目当てにするなら本文は読まない方がいいだろう。実験の内容を踏まえて、著者の「究極」をじぶんなりにアレンジするための一冊だ。何にせよ、ここまで深掘りする姿は素敵だ。


パクチー(P)コワーキング(C)ランニング(R)を愛する、PCR+ な旅人です。 鋸南(千葉県安房郡)と東京(主に世田谷と有楽町)を行き来しています。