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私が炭酸に手を伸ばした日の話。

「未練なんて売り払っちゃえよ!」
グラスに入った氷をカラコロさせながら、あっけらかんと穂香は言う。
「売り払うの?振り払うんじゃなくて?」
「元カレを思い出すような物は、プレゼントから何から全部メルカリで売っちまえばいいんだよ!後ろ向きな気持ちを売り払って前を向け!みたいに言うじゃんか!」
熱弁する穂香ちゃんには悪いけれど、それは『売り払う』じゃなく『振り払う』の間違いなんじゃないかなぁなどと私はぼんやり考える。気になるけど、言わない。雰囲気悪くなるのも嫌だから。気になるけど。

付き合っていた人とお別れして1年が経つ。付き合っていた期間が1年無いくらいだったから、正直に言うと顔はうっすらとしか思い出せない。そのくせ、家への行き方とか、好きな食べ物とか、プレゼントした物なんかの記憶が日常のふとした瞬間に残り香のようによみがえる。
「今度はピンクグレープフルーツかぁ…」
三ツ矢サイダーの限定フレーバーは2か月間隔、多いときはひと月に1度売り出される。三ツ矢が好きと聞いてから、私はコンビニに入ると新作をチェックするようになった。コンビニチェーンや店によって、置いている商品が違うこともあるから、こまめにチェックして差し入れしたり、お知らせしたりしていた。習慣というのは怖いもので、今でも必要が無いチェックをしては彼のことを思い出す。細部のぼやけた顔と声。

久々に会う友達に、そんな話を何気なくした。愚痴でもなく、相談したつもりもなかったのだけれど、かわいそうとか売り払えとか言われてしまった。こんな感じの、細かいことを気にしないで元気に真っ直ぐに感情を出すタイプなら、彼も分かりやすくて良かったのかな、そんな考えが快速電車のように通り過ぎる。愛情表現が苦手な私。表情に出すのも、言葉にするのも苦手な私。そもそも他人と過ごすのが、苦手な私。

あの日、彼と最後に会った日。私はどうやら「誰かと一緒にいると疲れる」というようなことを言ってしまったらしい。それは私にすれば一般論で、喩えて言えば「息を止めると苦しいよね」というのと同じような感覚の、その程度の話。だけれど彼にとっては大変にショックだったようで、そのデートの数日後、お別れを切り出された。私は引き止めなかった。彼が真剣に考えて決めたことに対して異を唱えるのは失礼だと思ったから。

「あたしは、バッチバチに刺激が強いヤツも好きだし、時間が経って刺激が無くなった、甘ったるいヤツも好きなんだよなー。」
いつの間にか話は恋愛論に突入していた。サイダーの話をしたからなのか、それとも元々炭酸が好きだったのか、そんな喩え話をしている。気を遣われているのかもしれない。もっとも当の私は無炭酸カルピス派なので、全然ピンと来なかった。別に甘やかされたい願望は無くて、あくまで飲み物の好みの話だけれど。
「それにさ、炭酸抜けたなー、刺激が足りねぇなーと思ってる時期でも、ふとした瞬間に泡が復活すんだよ。背筋がゾクゾクする感じって、泡立つって言うよな?ビールに割りばし突っ込んで泡復活するみたいな感じで、それがまた燃えるんだよなー!」
穂香ちゃん、粟立つっていうのは怪談とかを聞いたときに恐怖で鳥肌が立つことだし、割りばしを炭酸に入れても復活するのは泡だけで刺激は復活しないよ。頭の中で私は優しく言う。もちろん、本人には言わないけれど。

思えば、細かなことが気になってしまう性格で、付き合い始めの頃は、よく声に出して指摘していた。授業しているみたいで、なんだか先生と生徒になったみたいで妙に楽しかったのを覚えている。そして、それがいけなかったことも覚えている。何回目かのケンカのときに、何も知らない馬鹿だと言われているみたいで苦しいと言われた。それ以来、私は彼の前でも、言葉を呑み込むようになった。他の人の前でするのと同じように。

物知りだねと言ってもらえた子ども時代に戻りたいなと思う。本当にたまに思う。恋とか愛とか、カラダとかココロとか言わなくてよかったあの頃は楽だったな、なんて。あるいは、私以外の子たちは、恋とか愛とか、カラダとかココロとか、言っていたのかもしれないけれど。
間違った言葉が気になる、理屈っぽくて頭の固くて、退屈な重たいオンナの私は、これから幸せになれるのかな。心の中、少し前にキラキラとシュワシュワで満たされていたグラスに向かって呟く。少しだけ残っていた液体を飲み干す。刺激も甘味も無い、炭酸の抜けたサイダー。強いて言えば、ほんのちょっぴりしょっぱかった。何の味かは知らないふりをすることにした。

「あれ、グラス空じゃん。何飲む?」
穂香ちゃんの声が遠くから聞こえる。どうせなら白くてとろっとした、とびきり甘いのが飲みたいな。少しくらいの刺激も欲しいかもしれない。カルピスソーダくらいの。
「ねぇ、穂香ちゃん。」
「ん?どしたどした?」
「誰か男の子、紹介してくれない?」

~FIN~

私が炭酸に手を伸ばした日の話。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:しゃるろっと様
『炭酸の抜けたサイダー』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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