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タイムラプス、バスストップ

朝6時55分。毎朝たがわず6時55分。僕はそっと玄関を閉めて、なるべく音を立てないように階段を下りる。ゆっくり、こっそり下りていく。まだ眠りの中にいるような薄明るい静けさの中を、バス停に向かって歩くこの時間が僕は好きだった。そしてバス停についてからの10分間、僕は誰にも邪魔をされない時間を手に入れる。バスが来るより15分も早い、1番乗りのひとりぼっち。本を読んだり、教科書を読んだり、音楽を聞いたり、何もしなかったりする自由を僕は手に入れる。

そんな生活も半年が過ぎた。桜の花が咲いて、散って、緑だった葉が落ち始めて、枝越しに開けた空が少し薄寒く感じるようになった頃。
「…くしゅんッ!」
不意に響いたそれはオーケストラのシンバルのように朝の静寂を引き裂いた。咄嗟に顔を上げると道路を挟んでちょうど反対側にいた女の子と目が合った。目が合って、そのまま2人揃って動けなくなる。見つめ合うなんてロマンチックなものじゃなく、ただただ「え、いつからそこにいたの?」という驚いた顔がそこにあって、多分僕も同じ顔をしていたと思う。開いていた本のページが風に吹かれてパラパラと音を立てる。それでようやく、僕らは魔法が解けたように目を背けた。

翌朝、僕がいつものようにバス停に向かうと、彼女は向こう側のバス停にいて、何食わぬ顔で本を読んでいるようだった。ようだったというのは少し距離があって、読んでいるのが何なのか分からなかったからだ。あまりに見過ぎてストーカーだとか言われて通報されても困るし、そんなに気にならなかったし。それよりも、僕だけの朝の時間が実は僕だけのものじゃなかったことが判明して、ついでになんとなく負けた気がして、僕は明日から家を出る時間を5分早めることを心に誓うのだった。

季節が流れていく。僕は朝6時50分に家を出るようになって、それなのに週に何度か、僕は1番乗りを彼女に奪われた。一度、バス停に着いたタイミングで目が合ったことがあった。ふふっと余裕の微笑みというか、ドヤ顔をされた。僕は笑い返した。その日から僕の目覚ましのアラーム設定は5分早まった。
雪が降る中、手に息を吐いて温めていると彼女と目が合った。会釈してすぐに目線を外す。違う、照れてないし。照れてなんかいないし。
満開の桜を見上げる彼女は、柔らかい陽射しを受けて、何というかその、とても画になった。うっかり見とれてしまっているところで目が合いそうになった。危なかった。
蝉の鳴き声がうるさい。イヤホンを貫通してくるそいつらに顔をしかめると、彼女は手持ちの扇風機を顔に当てながら陽射しに顔をしかめていた。なんとなく目が合って、なんとなく夏は嫌だねというような表情をし合った。
赤や、茶色や、黄色の葉が道を埋めつくす。帰るころにはきっと片付けられてしまう。向こう側の歩道に目をやると、枯れ葉を盛大に蹴り上げながらバス停に近付く彼女を見てしまった。何かいけないものを見てしまったような気がして、僕は本を開いて、読みながらバス停までたどり着いた。

朝6時45分。今日はなんとなく6時45分。僕はそっと玄関を閉めて、なるべく音を立てないように階段を下りる。ゆっくり、こっそり下りていく。クリスマスまであと少し。この時期の朝の景色は、真夜中と朝の隙間に迷い込んでしまったような、そんな魅力があった。まぁ、言うほど真っ暗でもないけれど、しんと静まり返っていて好きだった。いつもの道を身を縮ませながら歩いていくと、向こうのバス停には彼女が立っている。今日は僕の負けか。そう思いながら歩を進めると、こちら側のバス停の根元に何かある。パン屋でもらうような茶色い紙の袋。なんだろう。首をひねって顔を上げると、彼女と目が合った。え?なんで?と思っていると、彼女が足元を指差す。紙袋を見て、また彼女を見る。彼女は2度、3度とうなずいて、どうぞどうぞのハンドサイン。僕は周りを見回して自分を指差す。彼女はまたガクガクとうなずく。意を決して紙袋を開ける。カサリという音、そして目に飛び込んで来る真っ赤な手袋。わぁ、なんて鮮やかな赤でしょう。手袋の上には「寒そうだったから。」と書かれたカードが乗っていた。
もう1度、顔を上げる。彼女は見たことが無いような表情でこちらをガン見している。喜怒哀楽をいっぺんに煮込んだような顔。僕は手袋を取り出して慎重に両手にはめる。怖いくらいにぴったりジャストサイズ。僕は中のカードが折れてしまわないように気を付けながら、紙袋を丁寧にたたんでポケットにしまった後、手袋をはめた両手を彼女の方に広げてみせる。彼女の表情は、まだ緊迫している。えーと、どうしよう。僕は向こう側のバス停までの距離を確かめてから、冷たい冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

「ありがとう!すごく気に入ったよ!」

大声で言って、そして左右を確認して。僕は向こう側へ踏み出した。

~FIN~

タイムラプス、バスストップ(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『真夜中と朝の隙間』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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