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晴れ舞台 オブ ザ イヤー

「ありがとう、そう言うだけで良い」
 佐伯明日香は低い声で、父、昨真に言った。昨真の体は逃亡しないように上から下まで帯でグルグル巻きにされていた。身動きが取れない彼は、しかし、意地の悪い笑顔を浮かべていた。おちょくられている、遊ばれている。もとより、そういう人間だ。明日香は己の中にその血が混じっていることを呪いながら、湧き上がる殺意を押し込める。本日だけでもう何度目か。数えることすら馬鹿らしいと思えた。

「よし、復習しようじゃないか。あと6時間ほどで、私の婚約者が訪れる」
「やぁ、よく来たね来俊くん」
「そうだな。そうやって爽やかに出迎えてくれ。ただな、私の婚約者は”いくとし”で、”くるとし”ではないんだよ」
 ハリセンが鳴り、昨真が高く嗤う。またハリセンが鳴る。
「やぁ、よく来たね往俊くん」
「そうそう、それでいい」
「それじゃ、さようなら」
「帰すな、阿呆」
 明日香の蹴りでダルマのように父が転がる。ダルマは笑顔を崩さない。
「僕の方に用は無いからね」
「残念だったな、私らにはあるんだよ」
 踏みつけられて舞台が進む。
「寒かっただろう。そこに座るといい」
「そうだ。主人はお客さんを労って席をすすめるもんだ。で、往俊が言う。お父さん、娘さんを僕にくだ」
「お前は誰だ!」
「往俊だって言ってんだろ!」
 ガスッ。良いのが脇腹に刺さる。
「いいか、もう名前は知っている設定だ。自己紹介があっても無くても気にせず進めろ。ほら、続きだ。お父さん!」
「何でしょうか!」
「娘さんを僕にください!」
「断る!」
「断るなって言ってんだろ!」
「喜んで!」
「私は刺し盛り3点セットじゃねぇんだぞ!」
「こんなんでいいの?」
「自覚はあるけどそれは言うんじゃない!」
「…しまった!」
「なんだ!」
「お前にお父さんって呼ばれる筋合いは無いって言うの忘れた!」
「言いたかったのかよ!」
「醍醐味じゃん!」
 昨真は転がされたままでなにごとかブツブツと言い始め、明日香は明日香で最近ドラマでこの手のシーンが無いのは何故かと唐突に考察を始める。そのうち、昨真は静かに寝息を立て始めた。無理もない。稽古は昨晩から夜を徹して行われ、2人はまだ1度も脚本の最後まで到達していなかった。明日香はふと我に返るが時すでに遅し。父は蹴れども揺すれども起きることはなかった。もてなしの料理のことも考えれば、ここらが潮時デッドラインというもの。娘は握っていた帯の端をこたつの足に結わえ、台所へと向かう。

 そして、幕は上がる。

 日が暮れ時刻は18時。暗い暗い田舎の道を爛々と切り裂く光が2つ。車に乗ってやって来たのは、明日香の彼氏、御堂往俊。緊張した様子で降りてくると、恐る恐る玄関のチャイムを押す。間の抜けた音が戸の向こうで響くと、明日香の返事がこだました。
「いらっしゃい、遠くまでごめんね」
「大丈夫、そんなでもなかったよ」
 父との稽古とは打って変わり、声高く笑う明日香。表情は柔らかく、今にも抱き着いてしまいそうにそわそわとした様子。
「早速だけど、明日香」
 明日香の色香はさらりと躱され、往俊はいざいざと決戦の場である和室へと滑り込む。ドンと座るは佐伯昨真。笑顔とともに先手を1つ。
「やぁ、よく来たね往俊くん。寒かっただろう。そんなところに立っていないで、こっちに来て座るといい」
 明日香の爪が手の平に食い込む。舞台はまだ始まったばかりだ。まだ安心はできない。
「はい、ありがとうございます。こちら、つまらないものですが」
 礼を言いつつお土産を明日香へ流し、昨真の視線はぶれることが無い。
「お父さん」
 ごくりと唾呑む音がする。誰が飲んだか音がする。すべてが止まる音がする。
「明日香さんを僕にください」
 搾り出す往俊の声。昨真は目を閉じ受け止めた。10秒が過ぎる。返さない。20秒が経つ。まだ返さない。束の間の永遠を彷徨う若い二人は、しかし黙って昨真を待つ。カチカチと古い時計が秒針を鳴らす。40秒が過ぎたころ、昨真がついに動き出す。目を開き、呼吸を1つ。手を伸ばし、御猪口に入った酒をひと口。さては台詞が飛んだのか。明日香に疑念が生まれた矢先のことだった。
「ありがとう」
 通る声が空気を揺らす。
「私に似て、至らぬところしか無い娘を選んでくれて、ありがとう」
 往俊が顔を上げる。明日香の頬を涙が伝う。
「ありがとう」
 脚本はいよいよ最終ページ。あとは往俊が返事をするのを待つばかり。さぁ言え、往俊。幸せにすると声高らかに言ってみせろ。それで決着、大団円。しかし往俊、声を出せずに泣いている。昨真、思わず拳を握る。
「頑張れ、来俊!」
 ボォーンと1つ除夜の鐘が鳴り響く。明日香が昨真の頭をバシン!と小突けば、往俊は目を丸くして笑い出し、二人が呆気に取られる中で、涙を拭き拭きこう言った。
「お父さん!明日香!僕、幸せになります!」
 父娘は思わず吹き出した。
「お前がするんちゃうんかい!」

~FIN~

晴れ舞台 オブ ザ イヤー(2000字)
【シロクマ文芸部参加作品 & One Phrase To Story 企画作品】

シロクマ文芸部お題:「ありがとう」から始まる小説 ( 小牧幸助 様 )
コアフレーズ提供:花梛
『意地の悪い笑顔』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
シロクマ文芸部、参加させていただきました。
ここまでお読みいただいてありがとうございました!

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One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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