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美しく、蝶々は燃えて。

「寒くはないかね」
「そうね。だから何?」
「そこに見える暖炉のようなものに火は入れぬのか?」
「ストーブね。…灯油の値段、上がったのよ」
「以前話していた、”えあこん”は無いのか?」
「電気代も上がったのよ」
「…寒くはないかね」
「えぇ、そうね」

 5年前に異世界召喚を喰らった私が現実世界に帰ってきたのがつい2カ月前。ちょっとした山奥で孤独に自給自足するタイプの生活を送っていたのが幸いして、周囲の人間の記憶をいじくり回さずに済んだし、各種支払いは口座引き落としにしていたから、私は失踪扱いにならずにスルーされていたようだった。
 買い出しに行くと、やけに視線を感じる。と思ったら、ご婦人から無言でマスクを手渡された。顔を隠せということだろうか。顔面偏差値が高くないのは自覚していたけれど、それなりに化粧もしてきたのに…と思って見回すと、全員がマスクをしてこっちを見ていた。目が据わっている。政情が不安定な街や、魔物に襲われた村に訪れたとき特有の、ざらついた視線を思い出す。警戒や怯えや不快感を隠さずに押し付け、不躾に対象の脅威を判定しようとする目。おとなしくマスクをしたら彼らは何事もなかったように去っていった。
 気を取り直して買い物をしてみれば、物の値段が上がっている。あるいは量が減っている気がする。あれ、このお菓子ってこんな値段だったっけ。首をひねり過ぎて痛くなってしまった。帰ってネットで情報収集。感染症だとか、戦争だとか。暗いニュースばかりが目につく。なるほど、私の留守中に、世界は異世界寄りになってしまったらしい。若干ショックを受けた。

 主人の留守中に自然の驚異に晒され続けた我が家の手入れと修復に1カ月ほどかかった。季節は厳しい冬。エアコンと暖房をがっつり使ったら、光熱費が私の想定を超えてきた。思わず声が出た。昔の家計簿を見た。気のせいではないと確信する。物価の急上昇なんて、向こうでは貴族の横暴イベントとか、魔物による街道の封鎖なんかで、よくあることではあったけれど、まさかこっちでも経験することになろうとは。

「寒くは…ないかね」
 思い付く限りの厚着で全身を固めて、火の入っていないこたつに埋もれている私の隣で、同じように背中を丸めた魔王が不服そうな声を出す。
「着込めばいいのよ」
 氷雪系ダンジョンを攻略したときに比べれば、吹雪も無い、魔物もいない。ただ寒いだけ。そう自分に言い聞かせて白い息を吐き出す。本日は1月8日。テレビに映る番組からは、既に正月の色合いが失せていた。

「…さっきから何してるのよ」
「サラマンダーを召喚しようと思ってな」
「ちょっと、やめてよ!この家燃やす気!?」
「魔鋼製の鳥籠にでも入れて、火を吐かないように言えばいいのだ」
 魔王は空間魔法でアンティーク調のお洒落な籠を取り出すと、召喚したサラマンダー2匹を中に入れる。仄かな紅玉ルビー色の光。なるほど、温かみがある。しかし。
「…ねぇ、光弱まってきてない?」
「あぁ、これは…」
 近くで見るサラマンダーは眠たそうに目を薄く閉じ始めた。見た目爬虫類な彼らの生息地は火山地帯。寒さに耐性があるはずもなく、本能に従った彼らが取った行動は。
「冬眠だな。」
「冬眠ね。」
 このままでは彼らの命の火の方が文字通りに消えかねないので、早々にお帰りいただくことにした。

「炎が出る系は魔法も魔道具も却下」
 イライラして爪を噛む私。熱のみを安全に享受することがいかに難しく、尊いものなのかを、まさか文明の発達した現実世界で思い知ることになるなんて思ってもみなかった。魔王が震えながら呟く。
「この部屋を暖められるような精霊となると、最低でもキラーベア程度のサイズになるな」
「却下却下。何か…熱だけを発するような…なんだっけ、なんか思い出しそうな…そうだ、思い出した!」
 イメージそのままに私が虚空から取り出したのは。
「それは…獄焔竜の」
「そう、鱗よ!」
 タブレットほどの大きさの鱗が5枚。赤く艶やかなそれはほんのりと、しかし確実に発熱している。私は早速、服の下に1枚入れる。
「勝った…!」
 魔王に1枚渡して、残りをまとめてこたつの中に放り込むと、5分もしないうちに天国が完成する。
「昔、魔王城攻略したあんたんち行ったときに、これでお弁当温めたり、お茶沸かしたりしたのよねー、魔力節約したくて」
「なるほど、涙ぐましい人間の知恵だな」

「そうか、数で攻めれば良かったのだ」
 鱗を抱いていた魔王が突然テレビと部屋の電気を消す。
「何するのよ」
「まぁ、見ておれ」
 魔王の指が鳴らされると、真っ暗な部屋に紅蓮蝶の群れが現れた。幻想的な光景に思わず目を奪われる。
「ふん、2週間ほど遅かったわね」
「なるほど、次は気をつけるとしよう」
 私は魔王を温めてあげることにした。特別だ。
「寒いのも悪くない」
 紅く色づく夜の部屋に、まんざらでもなさそうな声が響いた。

~FIN~

美しく、蝶々は燃えて。(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『イライラして爪を噛む』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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