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苦い記憶と溶ける時間

「アイスコーヒーの中で溶ける氷って、ずっと見てられる。時間まで溶けちゃうのよね」
 これは夢だ。僕は異世界にいるはずで、この子とは異世界に来る前に終わってしまったのだから。今の僕は魔道具職人で、工房の作業台で昼寝中。だからこれは夢だ。
「ずっとって言っても、氷はいつしか溶けて無くなってしまうから、ずっと見ていることは不可能だし、そもそも時間は過ぎるもので溶けるものではない気がするんだけど」
 夢の中の僕は難しそうな顔で返事をする。若かったなぁと今の僕は思う。それがある種の言い回し、単なる文学的な表現だということが、今であれば理解できるし、ゆったりと流れる時間を慈しむ、そんな雰囲気に身を委ねることもできる。この子は、しばらく僕のことを面白がってくれていたけれど、いつしか疲れてしまったと言い出して、それでお別れすることになった。美しく苦い記憶だ。

「ししょー!起きてくださいよー、ししょー!」
 弟子の声がする。こんなときは遠くから小さな声が聞こえるのだとばかり思っていたけれど、わりと近距離でそこそこ大きな声。というか耳もとで叫んでいるレベルの声だった。
「あぁぁ…」
「ししょー!しめきり!しめきりが!」
 獣人族のガチ声量は鼓膜にクるなぁ…などと考えながら僕は体を起こす。作業台での居眠りは心地よいけれど関節が文句を言うのが難点だ。もう若くないことを認めなくてはならない。
「起きた!ししょー!」
「はいはい、おはよう」
 僕は目覚ましを止めるように弟子の頭にポンポンと手を乗せる。
「王様への献上品のしめきりが!」
「そうだね。そろそろデッドラインだ」
 僕は立ち上がると、体を伸ばし、素材棚へと向かう。
「なにか思いついたのですか!?」
「ちょっと夢の中で、ね」
 棚から瓶やら小粒の魔法結晶やら羊皮紙やらを取り出していく。抱えたそれらを作業台に広げ、僕は思いつくままに羊皮紙に筆を走らせた。
「円筒形のガラス瓶に琥珀色の液体と氷結魔法を組み込んだ結晶を3個ほど封入。瓶の底に境界条件となる魔法式を埋め込んで、経過時間と液体温度をトリガーに結晶側へ再起動命令を飛ばすようにして…」
「ししょー、またブツブツ言ってますねー」
「あ、あぁ…、ごめんごめん。とりあえず、結晶側の試験だな。回路自体は簡単だから…よし、これで良いかな。ちょっとお皿に水を持って来てくれる?」
「はーい」
 僕は持って来てもらった水に指先よりも小さな、欠片のような魔法結晶を1つ放り込む。小さすぎて音もせず、あっという間に見えなくなる。と、次の瞬間。
「わ!わー!」
 僕と弟子の見守る先で、急速に氷が生まれ育っていく。
「なんでー!なんでー?」
「結晶に氷結の魔法を刻み込んであるんだよ。周囲にある水分を使って氷を作ってくれる。あ、ちょっと待って。やばい、大きさの制限式を忘れてた」
 目の前には、立派なミニチュア氷山が出来上がっている。
「形状に関する式もだ…。これじゃ瓶が割れちゃうな。あっぶな…」
「ししょー、なんか…育ってませんか、これ?」
「え?」
「あと、なんかのどが渇いて…」
「あー…、あ!水分捕捉制限もかけてなかった!大気中の水分まで使ってるってことか!?」
 僕は慌てて強制終了魔法を発動する。
「追加で大きさの設定と、あとは完成したら魔法が切れるような設定を入れないと永久に凍ったままになって風情が無いな。改良改良っと。」
「あのー、これ、戦場で使ったら」
「そうだな…ある程度の水分がある場所なら、魔力無しでそこそこ大きな氷塊が作れてしまうかもしれないね」
 どう考えても新型の魔導兵器だ。しかも戦略級の。これは解析禁止魔法を2重…いや、3重掛けに決定だ。
「まぁ、対策と改良を加えて、あとはできてのお楽しみということで…」
「えー!ちゃんと解説してくださいよ!ししょー!」

「…ということで、この工房からの献上品がこちらとなりまーす」
 作業机の上には金銀細工で装飾が施された円筒形のガラス瓶。上下ともに密封された中に、あの日のアイスコーヒーを思わせる褐色の液体に氷が浮かぶ。
「氷がぷかぷか浮かんでます!きれいですー!…けど、これ何にどうやって使うのです?」
 弟子は首を傾げながら眺めまわしている。
「いや、ただ眺めるだけだよ」
「だけ…ですか?」
「きれいだろ?」
「…王様に殺されませんか、さすがに」
 弟子の声まで凍りつくように低くなる。カランと音を立てて氷が崩れる。僕らは無言で眺め続ける。氷はいつしか溶けて無くなっていた。
「あのー…」
「ほら、来るぞ」
 3、2、1。僕のカウントダウンに応えるように、瓶の底で氷が生まれ、ゆっくりと浮かび上がっていった。
「な?きれいだろ?」
 見とれている弟子に声をかけて、僕もそれを眺め続けた。
「確かにずっと見ていられる。時間があっという間に溶けるな」
「ししょー、時間は溶けませんよ?」
 僕は弟子の頭を撫でた。
「溶けることもあるんだよ」

~FIN~

苦い記憶と溶ける時間(2000字)
【One Phrase To Story 企画作品】
コアフレーズ提供:花梛
『アイスコーヒーの中で溶ける氷』
本文執筆:Pawn【P&Q】

~◆~
One Phrase To Storyは、誰かが思い付いたワンフレーズを種として
ストーリーを創りあげる、という企画です。
主に花梛がワンフレーズを作り、Pawnがストーリーにしています。
他の作品はこちらにまとめてあります。

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