つじつま合わせにこだわらない
言っていることがコロコロ変わる。そんな人を見ると、信用ならない。そう思うかもしれません。一貫性を持つことはたしかに大事なことです。信用を得るためには、大事なことです。
しかし、自分が苦しんでいる、つらい状態だ。そんなときにもつじつま合わせを自分に課す。これは、酷だといえます。なぜなら、状態や状況が変化している。それにもかかわらず、理屈を合わせることを優先している。これだと、ますます苦しくなる。つらくなるからです。
そのため、つじつま合わせにこだわらない。そういう意識が大切といえます。
そもそも、全てを言葉に表せられない
つじつまが合う。それは、自分の浮かんだ考え全てを言葉にする。そして、それが論理的に1つにつながる。そういうことではないでしょうか。
しかし、そもそも自分の感じること全てを言葉に表すことは困難です。言葉自体に限界があるからです。そして、言葉にできたとしても、一貫して理屈が通る。そんなことも不可能です。論理にも理屈にも限界があるからです。
言葉は、意思疎通に役立ちますが、万能ではありません。論理も、人を納得させるに役立ちますが、万能ではありません。自分の感じたことが言葉にならない。論理としておかしい。そう思うのは、逆に考えてしまっています。
言葉、論理自体に、限界があるものなのです。自分の感じたことがおかしいのではありません。
自分の感じたことを基に行動するのが大切
苦しいとき、つらいとき。こうすれば、良い方向に行く。こういう風に本当はやっていきたい。そう感じたりひらめくことがあるかもしれません。ただ、理屈が通っていないと、これはおかしいことだ。そう思って、自分で自分を否定したりします。あるいは、理屈が通らない分、人に話して反対されてしまう。そういうこともあると思います。
ただ、自分や他人を理屈で説得させることが人生ではありません。自分の感じたことを基に行動し、自分の人生を進める。それが人生です。言葉にできたり、理屈になるのは、ずっと後の話です。その渦中にいるときに、理路整然でいられるはずがありません。また、理路整然でいる必要もありません。
自分の感じたことを基に行動する。それを小さな範囲でもいいから実行してみる。それにより、失敗しても、成功しても、自信が生まれます。理屈にならないからといって、やめてしまう。それだと、いつまでも自分の人生が更新されません。過去の経験の上で形成された理屈の範囲内だけで、生きることになります。
つじつまは、後から、勝手に合うものです。また、いつまでも合わないものもあります。それでいいのです。大事なのは、つじつま合わせにこだわらなし。そして、その時、自分の感じたことを大切することです。
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