見出し画像

秘された歴史 茨城という茨の城❶

僕は生まれが東国三社のお膝元であり、古代史を調べていくのも畿内からではなく、茨城から始めました。
都道府県別人気度ランキングで最下位常連のこの地域。
まるで意図的に悪い印象を植え付けられて、おとしめられているような、
そんな気までしてきます。

しかしその茨城も、古代まで遡ると興味深いことばかりです。

茨城には難読地名というものが多く存在します。
そしてその地名の由来がこれまひどい。
常陸国風土記によると
大洗(おおあらい)→鬼洗い
潮来(いたこ)→痛く殺す
江崎(えさき)→吉く殺く(えくさく)
安伐(やすきり)→安く伐る(やすくきる)
物騒な名前の多いこと!

よっぽど大和朝廷に反抗した勢力が多かったんでしょうね。
だから東国三社のような大神宮を建て、そこを要塞にしたんでしょう。
茨城には三社のうち二社が存在します。
そしてその二社のうちで有名な鹿島神宮でない方、
息栖神社の御祭神はクナト神です。
古代史好きの方ならばご存知でしょうが、クナト神とは古代出雲族、
ドラヴィダの神です。
大和側の神ではありません。

また息栖神社のある神栖市には地元の伝承として金色姫伝説というものがあります。
これは浜辺に流れ着いたインドのお姫様が、この地に養蚕の技術をもたらしたというものです。
古代出雲族、つまりドラヴィダ族はインドからやってきたと富家の伝承にありますね。
出雲から大和への国譲り。僕は決して穏便なことだけでは済まされなかったと思っています。

そして地名の由来からもわかるとおり、
古代においてこの地域で新勢力VS旧勢力の大規模な争いがあったのではと勘繰っています。

大和朝廷以前のこの国の歴史を調べるときに、古代出雲族というのは避けて通れない存在です。

茨の城を創ってまで封印しなければならなかった存在。
それは古代出雲族やそれ以前の民族なのではないのでしょうか?

日本神話にはテナヅチ・アシナヅチという夫婦神が登場しますが、この二神はタケミナカタゆかりの諏訪市、手長神社・足長神社に祀られています。
手足が長かったのでテナヅチ・アシナヅチと呼ばれていたのでしょう。
古代出雲族はドラヴィダ人だと言われていますが、ドラヴィダ人の特徴も手足が長いとされています。
つまりテナヅチ・アシナヅチはドラヴィダの出身で古代出雲族ということになります。


浅草奥山生人形 歌川国芳

そして常陸国風土記には土蜘蛛というエミシ(朝廷にまつろわぬ者)が多く登場します。蜘蛛といえば手足が長いのが特徴です。

手足が長く、大和朝廷に反抗する者とすれば、それは古代出雲族の流れを汲む者たちに間違いないでしょう。
そして最後まで抵抗し続けた古代出雲族が東国三社のある千葉・茨城付近に多く住んでいたのでしょう。

古代史を見ていると、敗れた者たちはだいたい東へ逃げます。それは東国がもともとの故郷だったからだと思います。

茨城の古代史にはそういった反逆者が数多く登場します。
時代が変わろうとするとき、
そういったかつて敗れはしたが異なる価値観を持つ存在に光が当たるものです。

なぜならかつての反逆者が持っていた思想、
それは以前の世界では神と崇められる論理を持つ思想だったからです。

時代が変わろうとするとき、求められるのは旧来の思想を覆す新しい価値観です。
しかしその新しい価値観とは未来からやってくるものではありません。
遠い過去、すなわち太古の世界から蘇る、僕たちの遺伝子に刻まれた価値観です。
人類史とはそういった革命的な揺り戻しの連続です。
だから歴史は繰り返す。

これからの時代を生きていくために、太古の叡智を学ぶこと。
僕はそう思って古代史を調べています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?