見出し画像

アダム神父様に捧ぐ~香港日本人カトリック会とともに


日本をこよなく愛する宣教者

かつて家族の仕事の関係で2000年から約5年間香港で暮らしました。日本で受洗したばかりの3歳の娘とともに、海外でありながら毎週末に日本語のミサに与る事ができたのは、「香港日本人カトリック会」を永年支えてくださっていたアダム・グダルフスキー神父様のおかげでした。

ポーランドにルーツをもち、メリノール会司祭であるアダム神父様は、若いころにアメリカの駐留軍として戦後の日本の惨状を目の当たりにします。そして軍のチャプレン(従軍司祭)の姿に感銘を受け、自身も神父になって日本を助けたいという思いを募らせたそうです。アメリカに戻り神学校にはいり、30歳で叙階されたのち最初の赴任地は念願の日本。今度は司祭として、再び日本の土を踏みました。北海道をはじめいくつかの地で弱者に寄り添いながら働きますが、十数年ほどでネパールに、そしてその後は香港に派遣されます。香港での約35年間、そこでも日本人にかかわりたいという思いから、アジア各地をまわるミッションをやり遂げながら、日本人カトリック会の活動も支えてくださいました。

とにかく日本が、そして日本人が大好きだと常々おっしゃっていました。毎週日曜日の日本語のミサの司式だけでなく、香港に住む日本人や日系家族会員の受洗や初聖体、結婚式の司式をはじめ、家庭の祝福や幼稚園のサンタクロース役など、生活に関連した様々なことにもかかわっていただきました。神父様の誰も真似することができないとてつもない行動力はもちろん、ユーモアと温かさをあわせもつお姿に、誰もが魅せられていました。年の暮れには手書きのメッセージ入りのクリスマスカードが届き、送付数は800枚と聞いたことがありました。晩年は1000枚を超えていたかもしれません。

私は帰国後、香港へは巡礼旅行の添乗という形でも何度かグループで訪問し、そのたびに香港日本人カトリック会と交流をしたり、アダム神父様とも再会することができました。毎回「もしかしたらもうこれがお目にかかれる最後かもしれない」とどこかで不安を感じながら、再会の機会を重ねあげてきました。

香港ではなく、アメリカでコロナの犠牲に

宣教への情熱を常に持ち続けたアダム神父様は、赴任地で自分の使命を全うすることを希望しておられましたが、病気とご高齢のためリタイアしてアメリカに戻るようにとの修道会の指示に従うことになります。2019年12月に叙階60周年のお祝いを香港でひらいたのち帰国されました。その後コロナが流行り出すとSARSのことを思い出し、最初は「ああ、香港に比べたらニューヨークは安全。よいタイミングで戻られてよかった。」と思っていました。ところが、神父様はまた香港に戻ってきたい思いを持ちながらニューヨークで過ごしていたところ、修道院内に蔓延したコロナに自身も感染し、亡くなられてしまわれたのでした。ちょうど1年前の4月24日のことです。

コロナ禍で香港日本人カトリック会でもzoomによるミサを開始しており、次の週からはアダム神父様もニューヨークから参加する準備をしていたほどで、ご本人もまさかこんなことになるとは想像もしていなかったでしょう。ニューヨークに戻らず香港にいたらまた事情が変わっていただろうという無念の思いや、もう会えない悲しみや寂しさは、あれからたったの1年では到底癒えることはありません。

Webサイトがつなぐ縁

私は香港から帰国してすぐの今から約15年前、ホームページ作成の勉強をはじめたのですが、初めて手掛けたWebサイトは、この香港日本人カトリック会のサイトでした。課題として何かを作成しなければいけない中、お世話になったカトリック会に少しでもお役に立てればとの思いを込め作成しました。その後つぎの方が更新作業をしていく過程でサイトは多少リニューアルされましたが、海外ということもあり担当者の引継ぎも難しく、このところしばらくは誰もサイトに手をつけないままほぼ放置状態となってしまっていたようです。サイト運営のなかなか難しい点でもあり、永遠のテーマでもあります。ただサイトのところどころにかつて私が手掛けた昔の面影がまだ残っており、私としては思い入れのあるサイトの一つでもあったため、更新する人がまた出てくるまで、とりあえず今また更新に再びかかわっています。

サイトに掲載してあるアダム神父様からのメッセージを読み、日本への、そして会のメンバーへの温かい思いに触れると、感謝の気持ちがさらによみがえってきます。一度リニューアルしたとはいえ、常に進化するネットの世界では、すでにもう古さを感じてしまうサイトのスタイルなのが少し気にはなりますが、サイトは新しければいい、というだけでもないでしょう。

そして私たちがいたころにくらべ、だいぶ規模も小さくなってしまった香港日本人カトリック会も、この先どのような形で続いていくのかはわかりません。香港日本人カトリック会の歴史と神父様の確かな足跡をたどれるよう、まずはその証をサイト上にしっかり残せておけたらいいのかな、と思っているところです。Webサイトのもつ様々な可能性を教えてくれる、私にとっての原点のサイトを、これからも少しでも長く公開しつづけられますように。

★香港日本人カトリック会サイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?