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211単位とった6年間を思い出して


 私、ずっと頑張ってない。

 高1が1番頑張ってた、高1以来ずっとずっと何も頑張れてない。結果出してないし。


 大学を卒業したのはもう6年半も前で、
大学院を修了したのもいつの間にか4年半前のことになった。


 大学院を修了してから過ごした時間の方が、
学部生として過ごした時間よりずっとずっと長くなってしまったし、あと2年、もしこのままの生活のままでいたら、大学入学から大学院修了までより長い時間を無職として過ごしていることになってしまう。


 いや、2年経ったら31歳になっちゃうから、
そんなわけにはいかないんだけれど。でも、このままだったら私このままずっとずっと変われないし、家を追い出されたりしたら飢え死ぬような生活を延々に続けている気がしている。そして、27歳まではそれこそをあってはならないとして、なんとか頑張ろうって思っていたはずなのに、今はもう、目の前に差し掛かっているその期限がどんなに迫っていても、本当に親に家を追い出されるかもしれないと思っても、なぜか全然焦ることができていない。


 無職で三十路を迎えるなど、あり得ないと思っていたのに、その三十路無職女の道の確率は、私が来年には自立できている確率よりずっと高い。


 大学生の時、院生の時、あんなに頑張ったのにな…


 学生時代に教職課程をとっていたけれど、
社会科に、日本史に、みたいにとらなければならない科目の多い社会科系教職の友人たちとは違って英米文学科で英語教員免許だけしかとらない私は、学部時代も院生時代も6年間、そんなにたくさんの単位を履修している、忙しいんだ、とは思わなかった。それが当たり前だったし。


 院生になってからは、
親に散々、社会人は偉い、社会人は大変、大学院生は所詮学生、社会人だったらもっと働いている、お家にお金を入れている、等々言われてきたから、院生になる前から、経験したことのない社会人という枠組みの人たちの方が大変らしい、だから大変ってきついって言わないとか、忙しいと言わないとか自分の中にあった。まあ、結局私は、社会人というような働き方を経験できていないから、今もどちらが大変とか所感としてわからないけれど。
(ちなみに大学院生時代から、そもそも大学院生と社会人は全く異なる枠組みなわけで比較できるものではないのだから比較するのはおかしいと思っていたし、比較できないものを比較してしまえるような算数のできないおつむの人たちには辟易していた。)


 まあそんなこともあって、私は
"大変だ"、"忙しい"というのは
実のところそこまで感じていたわけではなかった。もちろん大変だったけれども、その大変さ加減(大変だと感じること)を、自分の能力のなさが原因なのだと考えていたし、他の人の生活を知らないから自分の中での"きついな"という感じはあっても、それが"客観的に見て忙しい"とはおもわなかった。


 でも、学生だった頃から時間が経って、世の中には教職課程を履修していない人がたくさんいて、教職課程を履修した人でも院進しない人がたくさんいて、教職もとって院進した人でも専修免許を取得しない人がいて、ということがあるんだと、わかってから、


あれ?意外と私結構、履修してたんじゃない?結構忙しかったんじゃない?と思うようになった。(もちろんこんなことを言い始めたら、医学部や看護学部とかもっと忙しいところはあるよ、あるけどそういう限度のない多忙の上位層との比較ではなくてね、)


 別の大学出身で、別の大学院に進学して、
中学校社会科、高校日本史、宗教科(キリスト教)、司書教諭など合わせて大学卒業までに5つの教員免許を取得し大学院修了までにさらに取得してすべて合わせて6つの教員免許(うち2種類が専修免許)と取得した友人は学部生の時に200単位以上とり、大学院でもおそらく40単位以上とったんだと思う。


友人が、学部を卒業するとき、卒業単位が200単位超えたと書いていたのをみて、


「ひえええ〜、社会科は本当に大変だわ」と反応していた私は、これまで自分の修得単位をあまり計算したことがなかったが、


 6つの免許(しかもうち2種は大学院で専修免許を取得する単位を履修して)をとった彼女が6年間で240単位ほどであるのに対し、

 英語科の免許のみの私の履修単位は学部時代に136単位+教職30単位(166単位)、大学院が36単位+教職9単位(45単位)で6年間で合わせて211単位取っていて、実のところ6つも免許をとって社会科系の彼女とそうそう履修単位が大きく違うわけでもなかったことに驚いた。


 だって211単位ってことは単純計算の年単位で35.1単位履修よ。他の大学がどうなのか知らないけれど、私の大学(学部)の私の学科は1つの授業の最大単位は2しかない。


 つまりどんなに授業をとっても、0単位(単位取得しているが卒業単位に含まれない)〜2(1番単位の大きい授業)単位である。大学院では1授業の最大単位は4(教育実習が本当は最大で5)。学部のときの最大2単位で36単位くらい取っていたということは年平均18くらい授業があったということ。


大学・学部よって単位制度も卒業単位数もGPAの計算の仕方も異なるから一概に比較できないことは言うまでもない。


 ある友人の進学した大学は落とした単位は省いてGPA計算するらしいけど、私の大学は落とした単位も0単位/1科目計算でGPA算出される。


 例えば、5つ授業をとって


 A: 2単位の講義 合格 GPA4.0
 B: 2単位の講義 不合格 GPA0.0
 C: 1単位の講義 合格  GPA3.0
 D: 2単位の講義 合格 GPA4.0
 E: 1単位の講義 合格 GPA2.0


という場合、


 そのある友人の大学での計算だと、

 不合格だったBを除いて

 (4.0+3.0+4.0+2.0) ÷4= GPA3.25

であるが、


 私の大学の成績計算だと、すべて入れるので

 (4.0+0.0+3.0+4.0+2.0)÷5=GPA2.6

という計算になる。


 これは果たして成績という結果を見た時に、同じ指標で比較しているといえるのだろうか。


 実のところ私は不出来な学生で、
特に英米文学科であるけれど外国語習得がとても苦手で、おまけに塾講時代の社畜のし過ぎで試験中に意識が飛んで単位を落とされる、あまりに多忙すぎて講義に出席できなくなって履修中止期間を超えてしまったけれどそのまま出席できずに単位を落とすなどあり、二外(第二外国語)を含めて学部の4年間で5回(5個)単位を落としている。


 その結果、大学3〜4年生で頑張って成績を取り返したが学部の成績証明書記載のGPAは2.828までしかあがらなかった。GPAが3.5か3.8だかあれば、大学院は9月の内部試験で受けられたのだが、こんな出来の悪い学生だったので大学院は2月の外部生と同じように受ける形でのAO試験で受けている。


 出来の悪い私は大学院時代も、
フルタイム×週3のアルバイトを5ヶ月ほど、その後は学内アルバイトなどをしながら学部時代に取りこぼした教職課程を9単位履修して教育実習に行って教採を受けて、なんてやっていたら、結局どっちつかずで、


 東京都教採だって一応は合格だったし
(期限付き任用で某中学校教諭として採用された)
 英語科の専修免許もとったけれど、英米文学科なのに英語が壊滅的にできないまま大学に進学し、さらに英語ができなくなって大学院に進学して、修論は先輩と友人たちが手伝ってくれてなんとか出しただけで、けれどあまりの英語のひどさに、教授たちに
「あなたの論文見てると、論文どうこうの前に英語がひどすぎてイライラするのよね」と酷評された。


 その私も、大学院のGPAは英語のひどさでついていけなかったり、教授たちに呆れられたりしつつ2年間のGPA平均はなんとか3.722だった。(わからないけれど一般的な大学院生なら3.9〜4.0は取れるんだろうから落ちこぼれには違いないけれど)。修士論文自体の評価はS〜Cが合格ラインでのB評価で、修論の成績(論文だけでなくそれまでの論文のためのレポート等含めた授業としての単位)はS評価だった。


 それで、当然自分の経験した6年間しか味わえないわけだから、他の友人たちがどう大変だったのかは全くわからないけれど、


 私、意外と、頑張ってたのかも?と  


 やっと思ったのだ。それまで私は、
自分の大学生活・大学院生活が当たり前でそれ以外の生活をしている人がいることは頭ではわかっていても、そういう人たちの生活をしたことがないから比較などしたこたがなくて、だから、自分と同じように、もしくは自分よりアルバイトやインターンや何かをしていると忙しいんだろうと、私よりみんな忙しいし大変なんだと思ってきた。自分の生活が最低限レベルなのだと無意識に思い込んでいた。けれど、よく考えれば私だって教職課程を履修している時点で、大学の卒業単位ギリギリだけとっている人よりは単位を取得する=講義などを受けレポートや課題を毎回行い、試験も受け、時に実習なども行く、など大変だったんだと。


 教職課程を履修している生活をしていたから、私の大学生活においては、4ヶ月弱にわたって介護体験を毎週受けに行くことも、特別支援学校への実習が2日間あることも教育実習に3週間行くことも、大学生活の一部として当たり前に過ごしたけれど、よく考えれば教職課程を履修していない人にはこうした講義や実習、単位取得はない。(もちろんその分他の大変なことをしているのもわかっている)


 それで、友人や兄弟の単位履修については詳しく聞いたことがあるわけではないので私が記載した以上に履修している場合もあるが


私と同様、大学院までいった友人たちがSNSなどに書いていたりしてわかった範囲での計算をしてみた。


 私の場合 学部+大学院+教職6年間
 卒業(学部)136単位+教職(学部)30+大学院36単位+教職(大学院)9単位=211単位/6年間(年平均35.1単位)学部時代就活あり(内定してから院進が条件だったから)、卒論(日本語)あり 修論(英語)あり、都教採受験(私学なし)


 友人Aの場合  学部+大学院 8年半
 卒業(学部)136+大学院30=166/8年半
(年平均19.5単位) 学部時代就活なし、卒論提出なし 修論(日本語)あり 教採・就活なし

 友人Bの場合 学部+大学院+教職 6年間
 卒業200単位+大学院40単位ほど=240/6年(年平均40単位)、学部時代就活なし、卒論(日本語)あり 修論(日本語)あり、私学教員を受験 都教採なし


 もちろん全員学部も学科も大学も異なるし、きちんと聞き取ったわけじゃないから私が知る限りの概算ではあるし、数値だけで比較できるものではない。



 でも、大学卒業、大学院修了という履歴書の1行の中身は単位数だけでもこんなに違う。部活動やサークル活動、学内活動や学外活動、アルバイトそれぞれの人がそれぞれに何かしらを経験しているのだから、その様相は当然異なる。


 日本の就職活動においては、おそらく多くの場合、GPAや大学での単位数が聞かれることはない。卒業できるか否かもしくは卒業できたか否かとか、大学で何をやってきたか(それもほとんどの学生の場合、サークルや部活動、アルバイトといった学業以外の活動だし、企業の方も成績や学業自体に関心を持つより、おそらくそうした課外活動での活躍を見ている)ばかりである。


 もちろん、良い成績(高いGPAや優秀論文賞をとったとか学会に出たとか)は高評価だと思う。ただ、その良い成績の指標だって、論文賞だとか学会といった学外での評価を除けば、先程示した友人たちの大学と私の大学でのGPAの算出方法の違いがあるとしたら、


本当は同じ成績を出しているAさんとBさんが
GPAの高さを主張したい場合、


仮に同程度の講義、同程度の試験、同程度のレポートが課されていて、同じ程度の成績・出来であったとしても
不合格を0.0として単位に含めてGPAを算出するAさんはGPA3.25であるとしてまあまあ頑張ったのだと主張できるのに、
BさんはGPA2.6になってしまう。


こうしたこともあって成績については聞かれないのかもしれない。

 同様、私や友人Bは経歴として
「○○教員免許」とつくから、プラスで教職頑張ったんだなあ程度にはわかるけれど、取得単位数がどれほどあったか、学部の時、大学院の時それぞれどのように大変だったかは、全く異なる。


 さらに言えば、これは友人Bから、学生時代より聞いていた話なのだが、
私の大学は、教職課程指導室がかなり大きく動いていてバックアップもあり、講義の中でも指導案の作り方から模擬授業まで何度もあったし、教員採用試験にあたっても、教職課程指導室にて過去の先輩方のものを参照できたり、教職課程の先生方がチェックしてくれたりした。

一方で、友人Bの大学では、指導案の書き方も教えてもらえず、模擬授業もたいしてやることなく教育実習に直面するそうだ。


私は、不出来な学生ではあったけれど、そうした意味で講義を真面目に受けていれば、あらかたのやり方や練習の機会が与えられてから教育実習へ、教採へ、ひいては卒業後の教壇へとむかえるが、

友人Bの学部の話を想定すると、
講義を受け教職課程も履修しているけれど、
授業案の書き方や自分の進路のバックアップはないから正しいのか正しくないのかわからない中で、自ら調べて、自分で練習して、教壇に立って指摘されるまで"一般的水準"がわからない、という状況だったのかもしれない。


私も彼女も、教科・科目は異なるけれど、
同じように"教職課程履修者"であり、
同じように卒業したら教員に(実際には私は辞めてしまったのでなっていないが)なるのに、


そこまでに経験したことや得られたものは異なる。


 州ごとに法律が異なるアメリカでも、
大学の成績の付け方は全米的に統一されているにもかかわらず、日本の大学では文科省が管轄であるにもかかわらず成績評価も成績基準も大学ごとに異なる。異なり過ぎている。


 そうなれば、企業の側としても仮に"(学力面で)できる学生"が欲しいと思っていたとしても大学の成績を当てにはしないだろう。そうなれば大学名と、大学時代何をやってきたのかにおもきをおくほかない。


 それで結局、学生の多くは、成績評価が基準にはならないわけだし、学生時代に力を入れていたこととして、部活動・サークル、学外活動、アルバイトに精を出したりしてそれを持って就活するんだろう。

 企業側はガクチカ以外で高校名や大学名を見る他ないとなれば自然、高校受験、大学受験でどこに入るのかは重要となり、こうして中高生は(高校・)大学受験こそがピークに学力が大事となって多くの学生が大学受験まで頑張った、になるのかもしれない。


でも、ふとした時に、私と友人Aと友人Bは、
進んできた道も、努力してきたことも、経験したことも、大変さも、取得した単位数も、講義等の評価のされ方も、全然異なるのに、一律大学院卒で同じ扱いなんだよなあと思うと、

変だな、と思う時があるのだ。


履歴書のコンテクストが省略されることへのモヤモヤ感はおそらくこうしたところにあるのだと思う。




 まあ、とはいえ、別々の人生を歩んでいて別々の目的や苦労や経験を積んでいて比較するものではないのも前提であって、だから比較してどうこうだけが言いたいわけではないのだけれども、


 無職になってからのこの4年半、さまざまな人の学生生活の話を読んだり聞いたりしていくなかで、

 "GPAとるの大変だった"と語る場合のAさんとBさんとCさんの、そのそれぞれのGPA計算が大学ごとに全く異なるのに、

「大学でGPA4.0で卒業した私」といった話や記事が


私はこのようにして努力しました、


と出ていると
当然GPA4.0をとるのは苦労が伴うのはわかっていてわかった上で、


大学が違ったらGPA計算がこれだけ違うんだからどのくらいすごいのか、ということは語れないんじゃないかなと思った。


 その上で、私自身は、大学・大学院生活が大変だったのは、


確かに大変だったけれど、まあ私が不出来な人間だし、私がダメだったから大変に感じただけよ、

と強く思うようにして生きてきたけれど、


私が不出来であることを除いても、
客観的に見て結構大変だってのかもしれないな、過去の私を見る時、私はいつも
「自分はなんも努力してきてないじゃないか!」と思ってしまうけれど、過去の私は過去の私で、まあまあ頑張ってきたんだな、と思うことにしよう、と29歳になってやっと、考えるようになったのだった。


だってほら、大学1年の秋とかは、
月曜日〜金曜日まで大学あって、
結構課題もあって水曜日とか18:10まで講義あったりして平均して1日3つ講義あったのに
週3日金曜日に5時間、土日に11時間アルバイトしてたし、そのほかにも学内のアルバイトもしてたし、祖父母は入院して亡くなって、とかあったし。
大学1年冬〜2年の時もフル単位で週5で1日3講義とかあったし。大学1年23授業数履修しているし、おまけに2年次ゼミなんて鬼のように課題出る先生のとっていたしその先生の、さらに鬼のように課題出る授業履修していて、私だけじゃなくて同じ講義をとっていたできる友人も、1日5時間近くは机に向かわないと課題が終わらないって感じの中でフル単位で、塾講あれだけやっていたわけだし。
2年次も1年間で26授業履修していたし、
大学3年の時は就活もしていたのに19授業履修していたし。

それに私が小中学生の時から大学2年まで、弟が反抗期長くて家で暴れているのが常だったし、特に私が中3くらいから大学2年が終わるまでは長い長い深い深い、大反抗期時代で家は暴力と大声と暴言と叫び声とでいっぱいだった。



それから、

大学院時代も、週7〜8つの授業の合間に
フルタイムで週3バイトして途中は家庭教師も2〜3ヶ月くらい掛け持ちしたりもした。

そもそも大学・大学院の通学往復3.6〜3.8時間くらい毎日よく通ったわよ。

そりゃまあまあ忙しいわよね。


大学を卒業してしまうと、いつか今度は
別のことを勉強しに大学に入学するとか、
海外の大学に通うとか、新しい道も考えていたこともあったし、海外の大学院は修士の後の博士課程とか、日本で修士をとった後の修士課程と博士課程進学で仄描いていたこともあったけれど、


日本の学部・学科を卒業するのにだってこんなに忙しかったなあと思うのに、海外大学でのBachelorやMaster取得を私はちゃんと考えていたのか、と思うと


実は全然現実として描けていなかっなんだなと突きつけられた。そうよ、学部時代忙しいから教職を優先して図書館司書取るのやめたくらいなんだからさ。そんな私に務まるとでも?


そうして振り返ってみたら、
私は理系ではないし、文学部だし、文学研究科だし、だから全然忙しくなかったし、と私自身かなり思っていたけれど、客観的指標で数値として見たら、暇だったこともないんだなと思えて、


なんだ、私まあまあ頑張ってきたんじゃない、ちゃんと過去の私は、不器用なのに、不出来なのに、積み重ねていたんだから、過去の私の積み重ねたものを仇にしちゃかわいそうじゃない、と思えるようになってきた。


もう頑張れない、そう思って、
死ぬか辞めるかという勢いで新卒3日目には辞めてきた教員。


あれから、何もかも頑張れなくなって、
正規労働で雇ってもらえないまま長い時間が経ったら、本当に正規雇用と同じだけなんて働けない、無理したらぐったりして倒れ込んでしまう身体のままになっている。


もちろん、無理して倒れてしまうことは良くないし、無理ができないのも、体力がもたないのも、(仮に数値としての何かの結果にでなくても)本当のことだ。そしてそのために、非正規雇用に甘んじて、大学生のアルバイトより働けないままで、本当は得られるはずだった生涯年収もキャリアも何もかも手放してしまったままなのは私に不利益として返ってきている。そうして私は結局、親元を離れられないような生活を続けているし、何もできなくなって頭も身体もいっぱいいっぱいでぐったりで、家事労働もできていない。(まあこれは、自分の意識のなさもあるが。)


あんなに、頑張ってきても、
今の私は大学院時代の努力も、大学時代の苦労も、高校生までの結果も無にしてしまっている。そして、11ヶ月と少し経ったら私は30歳を迎えてしまう。


頑張れない気持ちと、頑張らなきゃという思いと、このままじゃ将来の自分がという不安とに駆られて

頑張らなきゃ頑張らなきゃ頑張らなきゃ、と
言葉だけ頑張らなきゃの人間になっていた。


頑張ったら結果が出るわけじゃないなんて、
高校生の時にもわかっていたのに。


それでも頭の奥は目の前のあまい生活が、
甘えられる環境が、ゆるゆる生きられる今の日常が延々続くような心持ちでいたのだ。そしてその心持ちで、努力もできない、頑張れない人間に成り果てた。し、それも仕方ないじゃん、と心のどこかで思っていた。


過去の私は頑張ってた、でも今は違う

でも仕方ないじゃんって。


確かに過去の私とは全く体力も健康も境遇も異なるけれど、仕方ないじゃん、でいたら、


私は過去に頑張ってきたこと、
苦しいけど結構大変だったけれども、
それを当然にこなせるように必死に努力してきたこと、

全部無にしてしまうんだ、
と突然気付いたのであった。


いつも、

友人たちはなぜあんなに
大学の授業に、課題に、バイトに、遊びに
たくさんできるんだろうと思っていたし、
その度に私はなんて不器用で何もできないんだ、私はダメなんだ、不出来なんだと思い知らされるようだった。


でも実は、私にとって大学生活の
"当たり前"が、自分の生活と同じだと思い込んでいるだけで、


案外、私だって、結構色々頑張ってきたんだよ、とちゃんと認めるべくは認めて、


得たものや努力したことは、その結果をちゃんと糧にした肥やしにして、もっと活かしていきたいと思うようになったし、29歳になってやっと、思うようになった。


noteとか誰かの話とかで私はGPA高かったとか、学生時代こんなことやあんなこともやったとか聞いたりみたりすると劣等感に駆られていたけれど、GPAだけ取ってみてもこんなに内情が異なるわけだし、それこそ、比べることじゃないんだ、私は私でちゃんと自分のこれまでを見つめてあげようって。


学生生活を終えて6年も経ってやっと、そう思えるようになった。


そして、noteでそうしたことが書いてある記事を読むときは、大学によって全然異なるんだし比べないってちゃんとわかっていたい。そうじゃないとすごい人だらけで生きるのが辛くなってくるんだ時々。


さて、私はこれからは、何ができるだろう。何をしたいだろう。


#単位

#大学

#卒業

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