私たちはもうコロナ前には戻れない。
わたしは大学院生の時、病気をして
それ以降、今も、これからも、
それを、持病として持つことになった。
薬さえ飲んでいれば大事ではないし、
身体を物理的に失ったわけでもない。
見た目もかわらないし、
多分、私と接している人は、
病気後、
私がものすごくかわってしまった、
という印象はそんなには、
持っていないと思う。
(いや、ずいぶんと変わってしまって
迷惑をかけているかもしれない…
いや迷惑をかけているのなら、
きっとそれは前からだろう…)
しかし、わたしの中では、
取り返しのつかない違いがある。
お医者さんに聞いても別にそれが
その病気の症状や影響とは言い難い、
らしい。
だから、親からも
「自分に甘いだけだ」と言われる。
当然、そういう側面も大きいと思う。
それでも、わたし自身
「なんで今までこんな風
じゃなかったのに、わたしいつから
こうなってしまったの…」
と思うことは多くなった。
それは、
病気後に新しく出現したこともあれば
その前から特性としてあってそれが
顕著に現れはじめた、
というものもある。
例えば異常なほどの不安。
例えば、明らかな
集中力の欠如。
例えば、体力というものがつかない。
(もっとも酷かった時は
ご飯を食べる
体力がなかったほど。)
例えば、突然の意識喪失。
例えば、
記憶力や理解力の異常な低下。
性格も少し変わったと思う。
病気だけが原因ではないけど。
それでも、どんなに少しずつ
改善しても、3年経った今でも、
そうなる前の、
病気以前のわたしには戻れない。
3年間、何度も泣いて
それでも、持病となったから
どうにかうまく生きていかなければ、
と思うし、一方で、
自分に無理しない生き方や働き方を、
人付き合いをしなければ、
もう3年前までのわたしとは
同じ夢や働き方を追い求めることは
できない、
とも思う。
そう思っているのに、
3年経っても思うような生き方も
働き方も、人付き合いも、
自分自身のコントロールもできないし、
不安と共生すると決めたのに、
やはり不安に飲み込まれてしまう
ことも多い。
おまけに、口下手、甘え下手すぎて
他者にうまく伝えられないし、
自分自身にも甘いから
結局、自助努力で上手に生きることも
できず他者に上手に助けてもらう術も
身につけられずに、
やっと、もう1人では、
どうにもならない、と認識して
助けを求めたときには
相手にとって負担が過ぎる、
ということも多い。
やっと3年かけて、
そういうわたし、を、
少しだけ客観的に
見られるようになってきた。
もともとの特性や性格に、
病気の症状や不安が相まった。
でもそれはもう、
元には戻らない。
もう、戻れない。
持病になった以上、
いつか戻ることはない。
だから、不安も、ずっと消えない。
どうにか、そんな私と
うまくやっていくしかない。
コロナウィルスが、
日本で大きく騒がれ始めたのは
3月に入った頃。
そして4月頃にはどんどんと広がり、
あらゆる企業やお店が
休業・閉店を決め
また、国民の生活も、
”政府からの自粛のお願い”で、
多くの人がリモートワークしたり、
自宅にこもったりの生活になり、
6月に入るまでのおよそ2ヶ月間で、
私たちの生活はガラリと変わった、
と思う。
働き方も、
リモートワークが増えたり、
飲み会ですらリモート飲み会、
お店も遅くまで開かなくなったし、
私は会社に属して働いている社員、
ではないので詳しくわからないけれど、
きっと営業の仕方、社交の仕方、
お店側で言えば接客や販売の仕方も
変わったと思う。
私自身は、勤務先が、
完全に休業となり私の仕事は消えた。
だから、自宅待機として
勤務時間は連絡を取れるようには
していたけれど、
仕事自体はなくなった。
逆に、医療機関や保健関係で
働く方々は、感染対策をしつつも、
感染の隣でずっと
働き続けてくださった。
きっとものすごく
疲弊していらっしゃるだろう…と。
医療従事者の皆様や、
“国民の自助努力”、
“企業の努力”のおかげで、
落ち着いたとみられ、
(とはいっても、
なかには自粛疲れとかいって
出かけて感染したなどの
考えなしの方もいたようだが)
また、これ以上自粛を、
経済的に続けられないという判断などもあって、アラートを出しながらも
お店が再開しはじめた。
それでも、コロナウィルスの感染が
きえたわけではないし、
このウィルスが消滅したわけではない。
ウィルス感染からの復活というのは、
3.11(東日本大震災)の時の復興とは
全く異なる。
(ちなみに、最近ちょこちょこと
現れる地震はこの9年前の
東日本大震災の余震が続いているのだ
とどこかのニュースでやっていた。)
あの時も、多くの人が亡くなり、
大切な人を亡くした多くの人がいて
家やお店を失った多くの人がいて、
何年も家に戻ることができずに
避難所生活をすることになった方々、
致し方なく故郷から離れた地に移住し、
そこで定着したがために故郷に、
戻ることができなくなった方もいる。
東日本側(特に東北)の方々は、
本当に、日常が突然奪われた。
そして、多くの方が、
支援に、復興に動いた。
日常を、取り戻す
ために。
東日本大震災が起こった時、
私はまだ高校生だったのだけれど、
高校生の時から、あの復興の時の、
コトバ、には違和感を感じていた。
その後、大学生になり、
現代社会学の授業などを
受けているなかでも、
ずっと考えていた。
例えば、やたら叫ばれた
キズナ、絆、kizuna、
日本人、
今こそひとつに、みたいな言葉
1日でも早い復興を。
など。
1日でも早い復興、に関しては、
少し説明しようと思う。
この疑問や違和感は、
病気になる以前の話だが、
その私でも思ったのだ。
当時、私は東京にいたし、
親元で生活しているし、
経済的打撃も受けなかったし、
生活も大きく変わることはなかったし、
家族・親族たちや友人が
あの地震で亡くなった話は
聞かなかった。
だから、私自身、あれから
学年があがり、
さらには大学生になって、
時が経つにつれ
3.11が
どこか過去のものになっている
自覚はあった。
それでも、経済的な復興や
被災した多くの方が1日でも早く
安心して生きられる復興というものは
願いつつも、
その復興が急がれるなかで、
大切な人を亡くした心の痛みや
震災にあった経験という痛み、
という簡単には埋められないものも、
1日でも早く日常に、今まで通りに、
戻ることを被災した方々が
要請されているように
感じていた。
大切な人をいきなり失った痛みや
津波が来るのを目の前に逃げた経験、
長く続く余震の中で避難所で
暮らした経験、
家や職場や、
そういう居場所を失った痛み、
仕事再開どころか、
生きるための場所を失った方々の不安、
一瞬のうちに、目の前で
大切な人が居なくなって
もう二度とは帰ってこない心の穴、
避難所生活をするなかで、
プライバシーが失われ、
心の安寧を保つ場所が失われ、
多くのボランティアに支えられて
何とか皆で協力し、
皆が頑張っているからと
努力し我慢し、何とか前を向こう、
と生きた人々。
それらを経験した人々にとっては、
この震災を乗り越えて、
これまで通りの生活、
安定した収入を得られ、
安全な生活を営める場所を取り戻し、
命の危険を身近に感じずに、
今まで通り学習機会や労働機会が
与えられること、
早急に、そういう、
これまで、に戻れることを
願っていたと思う。
一方で、心の不安というものは
急速な社会的・経済的復興のなかで
簡単に埋められるものではなく、
むしろ、一度抱えた不安や喪失は
消えなかったと思う。
だからこそ、早い復興に
心が追い付かずにいる人たちは、
たくさんいたのではないか、
今も、9年経っても、
心の中の穴がポッカリと
空いたままの人は多くいるのでは、と。
復興して街の景色が、
たとえ元に戻ったとしても、
あの3.11 の前に戻ったわけではない。
東日本大震災から9年。
今度は3月の同じ時期頃から、
日本でコロナウィルスの感染の危機が
迫り、ついに3月下旬から4月、そして
5月と、日常が次々と失われた。
3.11 の時と同じく、ありがたくも、私は今も親元にいるので、
仕事がなくなっても
すぐに食えなくなってしまう生活に
ならなかった。
しかし、多くの人、特に
接客業の多くは閉鎖・閉店・休業に
追い込まれ、それ以外の多くの方は
リモートワークに切り替わったと思う。
3.11 の時は、
ボランティアでなんとか乗り越えた
“私たち”は、今度は
自粛の“お願い”で
約2ヶ月耐えてきた。
私の親や兄弟はリモートワークを
していたが、接客業の私は、
休業状態だった。
そして6月になり、
休業明けにおよそ
2ヶ月ぶりに出社した。
先にも書いたが、
コロナウィルスが
消滅したわけではない。
私も仕事に復帰したものの、
勤務先もマスク着用、
入口に除菌ジェル設置、
お客さんが入る時に熱を測定、
1席ずつ間隔をあけて着席、
コロナ前とは風景が変わった。
街のお店で再開したところも、
客と客の間は1席あけ、
店員と客の間には壁を設置したり、
マスク着用必須だったり、
お店の入り口に除菌ジェル、
接客の仕方はガラリと変わった。
接客業以外も、リモートでできる仕事は
もうリモートにしましょう、
という流れが
できている会社もあると思う。
おかげで、要らぬ風習が消えた会社も
きっとあると思う。
良くも悪くも、
私たちは、もう、
コロナ前の働き方、
環境ではなくなった。
もう、
コロナ前には、戻れないのだ。
それは、働き方や環境だけではない。
私たち自身の、
価値観や思考、意識、も。
良くも悪くもそう働いていると思う。
ソーシャルディスタンスのおかげで
距離感が近すぎる人や
物理的にセクハラをするような人を
周りも“あの人の距離、おかしい”と
言える雰囲気ができたかも、
しれないし、
被害者側が嫌だという理由に、
相手を刺激しない程のいい理由が
できたかもしれない。
一方、逆にリモート飲み会なるものが
生まれたおかげで、
形を変えたセクハラパワパラや
嫌がらせもある人も多いという。
働き方だって、
この期間にリモートが増えたことで
今までリモートでできるはずだけど
会社でやっていた何かが、
リモートでできる、ということが
実証されて働き方ややり方を
変える企業も出てきたかもしれない。
今までだって多くの人が、
マスクもせずに咳き込む人や
くしゃみをする人、に嫌な気分を
していたと思うけれど、
そんなことを気にしてこなかった
誰かが、この期間に気にするように
なったかも、しれない。
(まぁ大抵そういう人は、
人に嫌なことをされたら嫌だと思う
わりに、自分が他人にしている意識は
ないのだけれど)
どこもかしこも、
除菌、消毒になって、
例えば私は、潔癖症ではないので
特段、カフェで一度
机を拭かないと座れないとかはなくて、
せいぜい電車のつり革や手すりを
持ちたくない、とか
ハンドジェル型の消毒液を
持ち歩いているとかその程度だが、
そんな私も、何度手を洗っても
手がカピカピになるのでは?
と思うほど消毒しないと
なんだか
気持ち悪くなった。
新型インフルエンザが流行して、
おさまったときのように、
コロナも本当に落ち着いたら、
元どおりに戻ることもあるのかも、
しれない。
でも、多分、
おそらくだけれど、
意識や働き方や価値観や、
今まで踏ん張って我慢していたことも、
もうすっかりこの期間にかわって、
コロナ経験前の意識には、
戻れないだろう。
いや、戻れないからこそ、
うまく、新しいやり方をはじめたり、
これまでの悪習をやめたりもできる。
戻れないから、
これを機に、
不安や新しい環境と
うまく付き合っていく必要もある。
これを機に、
無駄な風習や
今まで声を上げられなかったことに
声を上げる機会でもある。
震災からの復興と、
病気との共生、
感染症と生活、
を並べて比べることはできない。
それでも、“非日常”が日常と化した
生活を続けた私たちにとって、
これまでの“日常”が、
もうすでに過去のもの、や“非日常”に、
変わってしまったこともあると思う。
コロナ渦で、外にも自由に出られず、
遠出もできず、
やっと慣れてきた仕事も
休みになってしまって、正直私も
ずいぶんとストレスがかかった。
非常事態宣言が解除されて、
予断はならない状況ではあるけれども
いつ再開できるのかわからない仕事、
収入のない状態から少し回復、
と不安が払拭された部分もある。
でも、やっと2年間、
毎日ではなくても、1日8時間ではなく
ほんの数時間でも、
習慣的に働く、出勤して、勤務して、
家に帰る、
そういう生活をしながら、
少しずつ働く時間が増え、
体力もついてきて、
体調を崩す頻度も減ってきて、
このまま頑張れば再び転職活動を
はじめられる、
そう思っていた矢先に、
コロナで休職になり、
収入も減り、再び仕事復帰したものの
やはりシフトが減ってしまい、
このコロナの落ち着かない情勢のなかで
体力だけは落ちないよう、
毎日のように歩いていたのに、
集中力や記憶力が
明らかに欠如し、
精神的に不安定に
なりやすくなっているのを
6月にやっと仕事に復帰して感じた。
そして、やっと気づいた。
もう、
病気になる前と同じようには
身体がもたない。
もう、
仕事を辞めてきて
しまう前までのようには頑張れない。
そんなことは2年前から
わかっていたはずなのに、
わかっていたからそれを踏まえて
働き方や生き方を考えようと
していたはずなのに、
コロナ明けに勤務してやっと、
いや、私は、なんだかんだで、
そのどううまく働いていくか、
どう、自分の身体や心を自身で保つか、
をきちんと考えて働けていなかった。
いつか、もっともっと働けるように、
いつかちゃんと周りの人と同じくらい
働けるように、
いつか、
と考えていた。
でも私が考えるべきは、
今のわたしにできる限りで
どう働くか、どう生きていくか、
どう自立していくか、
どのように、自分が
優しく、心地よく、やわらかく、
生きていくのかだった。
コロナの前に戻れない、からこそ、
この期間に生まれた、
新しい価値観や
生き方、生活の仕方、
そして、働き方を受容して
いけるはずではないだろうか…。
いや、そうする良い機会と、
すべきではないだろうか。
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