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Me:Others...ワークライフバランスとかじゃなくて…

明らかに疲れている。

昨日は、久しぶりに勤務が
重なった同僚の先生と帰りに
勤務先の問題について話していたら
気づけば終バスの時間を超えていた。


帰宅したのは日付を超えるギリギリ。


帰ってきてご飯を食べる元気もなく、
お風呂にだけ入って寝た。



母に「明日美容院でしょ」といわれ
部屋に帰って予定を見て
「明日じゃなくて来週ね」と
訂正したけれど私が
そんな話をした時には母は
就床していた。


翌朝、9~10時頃、
出かける母に「美容院でしょ」と
何度か起こされて、その度に
私はハッと目覚めてから、
Time Treeをみて、
美容院来週だよ、と思い直し、
母にLINEを入れた。


 それなのに、起き上がった私の頭には
何度も言われた「美容院でしょ」が
こびりついて気づけば急いで
化粧をして急いで着替えて
急いでご飯を食べていた。


 しばらくして、違うよ、来週だよと思い出して母にまた、「美容院来週」と送る。


 それからまた数十分して、
携帯を見ていなかった母が家に帰ってきて、「え!出かけてないの?
美容院12:00~でしょ間に合わないじゃん」という。


 疲れきって頭がぼーっとしていた私は、

 は!!そうだった!美容院!!
と急いで出て送ってくれるという母の車に乗る。


 美容院に12時前に着いて、
受付の方に名前を言うと、
………と言った感じで
お兄さんは予約リストに名前を
探している。


 「来週の水…」とお兄さんが言ったところで同時に私も思い出す。

 美容院の予約はいつも給料日のあとにいれているはずだから今週のはずがない。

 「あ!ごめんなさい。
予約来週取りましたよね、失礼しました!!」


  勢いよく入ったお店から再び勢いよくでる。


 美容院用の格好をして化粧もしたのにな。


 今日は、急な雨が多かった最近とは違って、快晴で白いジーンズに白いStansmithを履いてきたというに、
化粧もわりと上手くいったのに、
何も予定はなかった。


くそう。くそう!!!


悔しいぞ!!!!


明らかに疲れきっている。


これだけ仕事ばかりになって、
仕事のことばかりしか考えなくなって、仕事を減らしたいと思っているのに昨日、直属でない上司に
「もっと入れないんすか、忙しいんすか。」と言われた。


 今ですら、仕事のことばかり考えてしまうから仕事を減らしたいし、働きすぎて他のことが手につかないからこの仕事をはやくにやめようと思っているのに、私は大学院生のときに、過労で2度も倒れててんかん発作を起こして今もてんかんを持っているから、倒れないように働きすぎないように、無理しないようにを第一に仕事を考えているのに、自立できていない分、親にせめてこれ以上迷惑をかけないようにするためには税金を多くしないこと(つまり、扶養内にいる限りは絶対103万円をこえないこと、扶養から外れるほど稼ぐのであれば家を出て自立できるほどの仕事にすること)と考えて計算して働いているのに、

 あろうことか、昨日、
リーダー職の上司は、
週5で2ヶ月間みっちり入り、
5月も週4、6月も減らしても
22平日中7割近くはシフトに入っている私にこう言った。


「最近忙しいんすか?
もっと入れないんすかぁ?」

 今たくさん働いたら、のちのち
扶養を超えてしまうと働けなくなる!と切羽詰まるのでそろそろ調整に入りますという話をした私に


 「扶養なんて、103万円を圧倒的に
超えちゃえば問題ないじゃないですか」と。


 それが上司のいうことか。


この会社は狂ってるなと思った。
勤務規定として、また会社の名誉としてこれ以上の会社への文句は言わないこととする。


 私はあらためて、この会社、今の仕事の契約更新の9月末の期限でやめよう…その前に別の仕事をはじめようと決意した。

私の直感が、
この会社は危険だとアラートを出した。



 過労で倒れたことのある私に、
持病を持っている私に、
扶養してもらいながら転職活動のためにアルバイトをしているはずの私に
今の仕事は、最低時給で社員と同じ仕事、いやそれ以上を頼んでくる私には合わない仕事だ。


 でも、仕事を辞めるためには
次のことも少しは考えなくてはならない。友人の言うように9月末の契約更新と言わず、すぐ辞めた方が良いのかとも思うけれど、とりあえずのところ自分が次の仕事を見つけるまで、として9月末に期限を設けたのだから、今の仕事でいっぱいにさせないで次の仕事を始めなくてはならない。


 ずっと、私には教員になるための資質が、能力が、体力が、何もかもが足りないと思っていた。だから、教員にしかなれないと思いながらも教員にすらなれないと思っていた。


 けれど、友人にも何度か言われたけれど、私が完璧主義というか、失敗出来ないという思いが強くて、失敗する自分が許せなくて就けないだけで、実は、世の中の人はそんなにみんな完璧でもなければ、もっと何も考えずに仕事している人もいるのかもしれない。


 とりあえず今の仕事では、新しいアルバイトすら考える余裕がないし、なんなら翌日の、いや当日の記事すら書けないほどに余裕がない。

 

 昔は、ワークライフバランス
(work-life balance)とか言っていたけれど、働いているのだって生きるだし、働いていない時間だって生きているわけで。


 ワークライフバランスでは
仕事と私生活の調和が大事。
仕事だけでなくプライベートを充実させライフステージに応じて多様な生き方をする、という考えからきたようだけれど、


 最近は、ワークアズライフ(work as life)の考え方をする人も出ているらしい。


 ワーアズライフ(work as life)とは
落合氏が出したもので、仕事とプライベートの時間を分けることなく寝ている時以外すべてが仕事であり趣味でもある、といった考えらしい。


 でも、このワークアズライフ、
経営者や投資家など雇われ人間以外の人にはかなりハマるものかもしれないけれど、これを雇われの私が実行しようとすると、大変なことになる。プライベートを削って寝る時間も精神も削って滅私奉公になり、過労になる。

過労で倒れた時、お医者さんに言われた。

 身体は機械じゃないから、休ませないとダメだと。頭も、休ませないと頭が休まらないと、身体中の血液を頭に回そうとするんだって。休むのも仕事のうちだから、と。強く言われた。無理をしないこと。もう三度目は絶対起こさないでと母に言われた。


 私は少なくとも、仕事と私生活は
分けて考えたい。


 だって例えば彼氏とのデート、
久しぶりに会う友人とのお出かけ
それも女友達とのお出かけと
男友達とのご飯、1人でカフェに行く時間、ゆっくりと過ごす休みとマッサージに行ったりジムに行ってみる休みはそれぞれ全部違うもん。


全部、それぞれ違うもん。
同じように並べたくない。
ましてや仕事と一緒に考えられない。


 それに、私の場合、並列に並べたら結局並列に並べたつもりが、仕事ばかりになる。並列に並べていない今だって仕事のことばかりになるんだから。


 そもそも、ワークは、
人生の一部だからワークごときが
ライフ(人生)と並列されるのがおかしい。生きるために仕事をしなければならないという考えは百歩譲って正しいとして、仕事をしているのも生きる一部なのだからさ。


 それに、
こういう考え方をする人は
ワーク(仕事)とライフ(生活)、
お金と時間をトレードオフできる関係だと思っている。


 でも、わかる。確かに
時間をお金で買うことが出来る部分はある(歩いていけば30分かかる道をお金を払ってタクシーに乗れば7分で着く。その分23分間は、別のことに使えるとか)。

 逆に、220円のバス代を払わずに
少し早めに出て20分間歩くという手もあるし。


 文明の利器はだいたいそういう考えから発達した。炊飯器があれば放っておいてほかの調理している間にご飯が炊けるし、なんならその前にお風呂を洗っておいてスイッチを押せばご飯作る時間の間にお風呂だって沸くし、人類はそうやってテクノロジーの発達とともに時間を短縮し、他のこともできるようにした。でも、


 その結果は、働きすぎなのではないだろうか。昔の例えば50年前の8時間労働といまの8時間労働ではまるで仕事のやり方も量も違うのではないだろうか。例えば50年前、ほとんどのことが紙ベースで行われていたとして、会議も資料も上司への報告も紙で行っていたとすると、その仕事の仕方での30分の仕事は、今だったら15分になるかもしれない。余った15分が出てくるのに、人間は、いやとりあえずここは日本は、にしておこう。日本は、余った15分をさらなる仕事に充てる。それがさらなるテクノロジーや社会の発達に寄与しているのではあるけれども、コロナと同時に広がったリモートワークで仕事の時間と私生活の時間の区別がつかなくなっている人は増えた気がする。


わたしの父も、昔から休日でも仕事、出勤するような人だったが、コロナ前も休日でも電話応対してる人だったがコロナになってさらに、のべつまくなし、仕事時間が増え仕事量が増えただけに見える。


私は、そうしていくうちに、
自分の生活における仕事の占める割合が増えるうちに、仕事が心を蝕み、頭を侵食し、占領するから、専心して、身体も心も頭もすべて注いでしまうから、それこそ命の危険にさらされるほどに注いでしまうから、いや仕事だけじゃない。人間関係もなんでも、あることが占める割合が大きくなると、そのことが蝕んでゆくから、人生における、自分の生活における諸処の要素のバランスを考えたい。


 仕事が8割になってしまえば、食事や休息や他のやりたいことややるべきことを残りの2割ですべて詰めてしまうし、人間関係が8割になれば、残った2割じゃ収まらなくなって10割を振り切って仕事ややるべきことをやってやり続けた結果に過労になるから。

 だって、アルバイトの今だって、
仕事の時間以外にもずっと仕事のことを考えてノイローゼ状態になるくらい、寝ても醒めても夢でもお風呂でもどこでも仕事のことしか考えなくなったもん。


 だから、私の場合、はっきり分けなければならない。仕事が自分の休日に侵食してこないように。寝る時間を削ってしまわないように。他のやることを仕事がどかしてしまわないように。


 ワークアズライフという生き方は、
しかし、私にはさほど遠いものに感じない。だって大学院生の時なんかそんな感じだったし。大学院の授業、課題、学部の授業と課題、教職のこと、アルバイトと色々やることはあったけれど研究時間が取れるなら取らなければやっていけなかったから、休みの日という認識や感覚は消えた。休みの日こそやっと本領発揮して研究に時間を捧げられる。院生の本業に心血注げるのであったし。


結局のところ、仮に現代が、
可処分所得、可処分時間を経ての
過処分精神の時代になるというのなら、限りなくスマホの中と日常は一体化しているし、限りなく仕事と自分の生活は一体化してゆく。


でも、そのためには、前提として
健康に気をつける、無理をしないという考えを強く持たなければならない。だって身体は、機械じゃないから。無理をし続ければアラートを出すし、
アラートを無視すれば壊れる。倒れる。最悪は死ぬ。人生自体が終わる。


 少なくとも、雇われの身の私にはとくに、アルバイトで、一生この会社に骨を埋めようなんて1ミリも、1マイクロミリも思っていない、9月末には辞めてやろうと思っている私にとっては、今の仕事の時間は極限まで少なくする必要があるし、今の仕事は、精神労働であり体力労働でもあり、頭を使う仕事でもあるから、仕事をすることで心も身体も頭も疲弊する仕事を、正規労働でもなく、一生それで食っていくとも思えないのに骨を埋める働き方なんてすべきじゃないと思うのだ。


 現に、仕事が忙しくなりすぎて結果、転職活動を続けられずに無職4年目だ。
私みたいに、自分と他人の線引きの練習からしないといけない人間は、

 集中し始めると、全く自分のやる必要の無いことに命を注いで倒れてしまうような人間は、強く強く生活と仕事を、他人と自分を引き離して


 バランスだのアズだの言わない位置に引き離さなくてはならないの。


 だから私は、

自分の人生と命と身体以外のものを、
仕事や他人すべてをふくめてOthersとして、Me VS Others、にしないといけない。


そうおもったとき、仕事もみんな
ワークとライフだの
平日と休日だののわけかたの言葉じゃなくて


みんなみんな、Me &Others(並列)であり、Me VS Others(対立)であり、Me or Others(選択)であり、そういう考え方なんじゃないかしら。


 人間も企業も健全な生き方、
健康な生き方、命の安全性と健康がないと社会の構成要因が不健全でしょ。


とりあえず私は、今の仕事は
やっぱりやめるよ。だって、
私のことなんて1ミリも考えてない上司なんだってよくよく分かったから。
仕事とプライベートとか、仕事と何かを並列にして考えるのが違うと思うんだ。そもそも、ワークごときが人生と比較対象だと思われている、バランスに値するものだと思っているのが違うし。結局、仕事だって他者との何かの中でストレスや過労が生まれるんだし、仕事だけじゃない。人間関係の中でストレスが生まれるんだからさ、もう人生は全部Me or Othersだし、Me&Othersなんだよ。


#ワークライフバランス
#ワークアズライフ

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