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29歳で読む「20代にとって大切な17のこと」

気づけば29歳半年目に入っていた。


後、半年すれば20代は終わる。


こんな予定じゃなかった、が山ほどある。


仕事していないなんて思っていなかったし、
自立していないなんて思っていなかったし、
子どもいないどころか結婚していないどころか、彼氏が3年以上いないとも思っていなかった。


今の私からしたら、26歳の私はやっぱり若くて、それはもう肌悩み一つから全然違くて、こんな頬に黒い影なんて見たことないし、肌荒れだってニキビができたくらいはあっても、マスクで擦れた跡が重なって肌がこんなに荒れを繰り返すこともなかった。ああ、夜神くんとはやっぱり年齢の差という理由は、一つあったんだなと思ったりする。そんな"あの頃の夜神くん"と同じ歳にいつの間にかなっていた。


あれ?おかしいな。こんなはずじゃ、なかったな。何がこんなはずじゃなかったと説明なんかできないくらい全てがそうだ。


後、半年で20代終わってしまう。以前に、いつ頃から、私は次の年齢を考えるのかって、思った時に2月の弟の誕生日からだって書いたけれどそれも実は年々早くなっているみたいで、29歳になる前から30歳が近い、って思い始めていた。まあ、でも、2月になったいまも、まだ30歳という年齢は、宙に浮いてぶらんぶらんしているけど。

そういえば、今日、MON PARISのリュミエールがなくなったから、Jo Maloneでいただいたウード&ベルガモットという香水に変わった。

MON PARISオーデトワレ、オーデパルファム好きの私としては、リュミエールもすっきりした感じの香りに感じるのだけれど、全体的に甘めの香りを放つMON PARISと比較すると、この、Jo Maloneの香りは、ユニセックス的な、香りだ。わたし自身では選ばないような香り。そういう香りを、こうしてつける経験も良い。


 20代のいつぞやから読もう読もうとして読んでこなかった本田健氏の『20代にとって大切な17のこと』を、この間やっとパラパラと読んだんだ。買わなかったけど。書いてあったことを、少し手帳に書き出してみることにした。(手帳だったのは、偶々手近にあった紙類が手帳であった、というだけなのだが、手帳に書いてしまうと、他の紙にメモするのとは、違う効力を発揮してしまうため、本来メモなら手帳に書かないほうが良いだろう)




 新型コロナウィルスで多くのことが変わり、「ニューノーマル」が生まれ、これからも変化の波は続いていく。こうした変化はおよそ70〜80年周期できていて、日本でいえば2020年(コロナ禍になった年)の75年前が終戦、終戦のおよそ80年前1867年が明治維新、その70〜80年ほど前(1782〜87年)は天明の飢饉。つまり、コロナのこれほどの蔓延、世界の変革は、まさしく我々の祖父母世代でも経験していないような「大変革の時代」で、それを(これを読んでいる読者の私は)20代で経験している。しかも、今回は、日本に限らず世界中に大変化をもたらした。個人がどんなに頑張っても、時代がその人の人生に影を落とす、という世代的宿命というものは避けられず、就職、転職、恋愛、結婚など大切な分岐点で時代の影響を受けていく。コロナは予兆のようなものでこれからもさらに強いウィルスが出てくることは予測されており、さらに不況が続いて正社員の数はますます減り、その環境の中で私たちは、自分のできる仕事を見つけて稼いでいかねばならない。
 縦の時系列だけでなく、人類の歴史を横の繋がりで見ても、ずっと平和で何もなかった、という時はほとんどない。過去200年のなかだけでも、WWⅠ、WWⅡ、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンやシリア、イエメンでの内戦(本書は2021年刊行だったので書かれていないが前年のロシアのウクライナ侵攻もだろう)があり、何百万人もの犠牲者と難民が出て経済的にも破綻する。日本国内もこの100年で大きな地震、台風、水害も何十回も起きている。

 加えて、個人でどんなに頑張っていても、属する会社、組織、業界がダメになるということもある。例えば、昭和40年頃(1970s)に花形産業だった鉄鋼や造船業は30年ほどで下り坂になり不景気に突入した。1990sは鉄鋼や造船業から銀行や商社が就職先として人気であったが、さらに30年経っている現代はIT業界の方が人気が高い。時代の変化の中である産業が生まれる一方花形産業だったものが衰退していく、こうしたことも個人ではどうにもしようがない。


 アメリカでは、1970s〜80sに、日本のトヨタ、日産、ホンダが世界進出したことで自動車産業が衰退し、80年代後半には韓国のサムスンや中国企業が家電製品を世界に輸出するようになってシェア率などは日本企業に取って代わるようになってきているらしい。


 WWⅡの時代、国民はどんなに戦争反対でも、徴兵制を逃れることはできなかった。こうした時代の流れに一個人は逆らう力はないし、もし生まれた国が違ったら、生まれた時代が違ったなら、ということも誰も逆らうことはできない。


 どうにもしようがないものということには「なぜ」など考えたところで意味はない。長い歴史の中で、人生の間に、どの世代の人も、少なくとも一、二度は、生死に関わるようなビッグイベントに巻き込まれ、人生の進路を捻じ曲げられるような渦に巻き込まれる。


 こうした世界的な、パブリックな中での抗えないことだけではなく、それは家庭内、生まれた家族にも見える。中学生くらいになれば家の経済的な現実というのが見えてきて自分の選択肢も見えてくる。お金がないから大学に行けない、私立は無理、留学はできない、といったことを考慮して人生の道を選択するようになるし、高校生にもなればドラマや映画などで社会の構造はどうなっているのかわかるようになる。(本書では"安いチェーン店で500円のカレーを流し込むように食べる人がいる一方で、夜景の見える高級ホテルの40Fでフレンチを食べる人がいる"、"50歳を過ぎても定職に就けないおじさんがいる一方では同い年でプライベートジェットで世界中を飛び回るビジネスマンもいる"、"100円安い卵を求めて20分自転車を漕いで買い物に行く主婦がいる一方で高級外車でスポーツクラブに通う主婦もいる"などといった社会の階層や構造が例に挙げられていた)そういう格差を見聞きするうちに社会には厳然とヒエラルキー(階層)があるということを知るのだ。


こうしたヒエラルキーの存在を知っておかなければ、自分の人生の可能性を見つけられないまま"普通の人生"を歩むことになってしまうと、著者は書いていた。(その、この著者の言う階層のなかでは中流階級の上の方の家庭で恵まれて生きてきたのに、私自身は働くこともできず、職にありつけず、フリーターにもなれないような給与で親の脛を齧って生きていることを省みて、耳が痛かった)


 日本の家庭の95%は、自営業や会社員、役所勤め等どこかしらで働いて、生活の大部分の時間を働くことに使っているからそれが当たり前だと思うけれど、しかし世の中には好きなことをやってファーストクラスでゆったり旅しながら資産を形成するような人たちもいる、そうであっても、95%の中で生きてきた人々は、その残りの5%の生き方の人たちとクロスすることがないままで、別の生き方の見本が目の前にはない。だから、自分のいた環境が、知っていることが当たり前になってしまうけれど、世界を見渡せば、さまざまな選択肢があって、これから長い人生を生きていくには、社会の構造と選択肢を知った上で、自分が社会とどう関わっていくかを決定しなければならない。そして、そのためには、自分の才能の原型を理解し、才能を分かち合う人がいる必要がある。


本書には、この後にも様々なことが記載されていて、なかでも、人生のメンターを持つ、という部分では、「あ、これは私にとっては完全に親愛なる友人だな」となったのだが、


ひとまず本当にパラパラとめくった程度に読んで、この"20代にとって大切なこと"が、少なくとも親愛なる友人は、かなりできているんだなと思った。(まあ、彼のことはそんなに知らんわけだけど)例えば、彼は世界や社会やら環境の変化に対応して楽しめているような人だし、自分の才能を見つけて仕事に活かしているわけだし、人間関係構築が上手いし、プラスとマイナスの感情のパワーをちゃんと知っていて、いつも平衡を保ち自分でコントロールしているし、お金とも向き合っているからこの時代の30歳にしてお子さんを安心して迎え入れて育てていける財力があるわけだし、教師だからかなり忙しい感じだけれどそれでも仕事に人生や時間を奪われるような働き方はしないし、家族を大切にしているし、愛を知っているし、愛を渡せる人だし、ダメな自分を受け入れているし。


あれ、そうやって考えていくと、やっぱり私って、できないから、とか、私はダメだからとか、私なんて、って、本気で思って生きていたけれど、それって結局、20代にしてすでに自分自身の人生に返ってきていて、だから私は自立もせず、誰かを愛することも愛してもらうこともできず、働くこともできず、ダメなところを本当は理解できていなくて、コントロールもできていなくて、とかになるのではないだろうか。

 いつの時代も、大きな時代の変革期はあって、その人自身の人生のなか、一人の人生という縦の時系列の中でも、大きな出来事はくるわけで、そうした時、生き残っていく、強く生きる、しぶとく生きる、足を踏ん張れる、そういう人というのは、変化や流れを受け入れ、時代や環境のせいの部分があってもその中で踏ん張れるような、もしくはゆらゆらと流れるままに身を任せて生きていけるような強さやしなやかさを持つような人なのかもしれない。


 こんなはずじゃなかった、なんて(もちろん、コロナが無ければもっと上手くいったのにとか、戦争がなければ今頃…とかそのようなことはあっても、)たぶん、
そういう人たちは言わないんだろうな。だって、流れに身を任せながら、逆らえないことに何かしらを突きつけられ、時には傷ついたり悔しい気持ちを他のそうでない人たちと同じように感じながらも、それでも、自分が生きている時代のなかで、自分の人生を柔軟に生きているから。


 ひとまず、この本を読み終わった時、
「切りたい人間関係、遠ざけたい人間関係長くかかったけど切れて、遠ざけられて良かったな」という感想が最初に来た。



 そして、あんなにも夜神くん夜神くん、言っていると自分自身で思っていた私が、他人から見ればまだ言っているのだろうけれど、それでも、自身で思っているほど、既に夜神くんの存在に執着しなくなっていることにも気づいてしまったし、親愛なる友人に定期的に会わないと、会えないにしてもかなりの頻度でLINEしないと、と思っていたはずが、全然そんなのいらなくなっていることに気づいた。私も変わってきたのかも、


本を閉じた私は、

僕たちはいいところもあるけれどダメダメなところもいっぱいあって、失敗したり、言われたことができなかったり、忘れ物したり下手な嘘をついてあとで気まずい思いをしたり。それでも頑張って、人によくしようと無理をしたりしてなんとか生きている、
と記載されていた言葉を、反芻した。



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さあ、次は、「30代にとって大切な17のこと」とやらを読もう。



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