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2021年の目標標語②:最適な時間配分を。

前回の続編記事です。






2020年の目標を

「独立不羈」

と定めたのは、2019年末だったか
2020年頭だったか定かではない。

しかし、2020年がはじまって間もなく

この「制約の多い世の中で」

が現実となった。

コロナ禍、になった。

2019年までの私、いや
2020年の途中までの私は、

仕事でも友人関係でも

本当に嫌と言えない、
断れない人間だった。

それを自分のペースつかむために、
人間関係の距離をかえるために、

教室閉鎖とともに塾講師をやめた。

直後、コロナが大きくなって、
人と会わなくなり、動画配信サービスのおかげで、
「1人で部屋で、
今まで観たい観たいと言いつつ
観てこなかった映画やドラマや
アニメを観る時間」が訪れた。

これは、2020年の私にとって
最大の幸運であり、
大きな変化だった。


前回の記事に記載したが、

独立不羈とは、

「自分でものを考え、行動に移し、行動したものは自分の責任を持つ。」


何かと制約の多い世の中ではあるが
その多くは実は自分自身が勝手に
制約を作っているだけのことが
多い。

だから、他からの束縛や制約を受けず
自分のおもうところにしたがって行動する、

ということだ。

はじめの3ヶ月は、
なかなかうまくいかなかった。

「昔からの腐れ縁」みたいなものとか
目の前の、今まで断ってこられなかった仕事、職場だとか。

それががらんとかわったのは、
3月中旬に断れなかった方の職場が、
潰れたことと、同じく3月の下旬から
自粛ムードになってきてだんだんと人とあわずに済んだおかげだった。

緊急事態宣言をこえての、6月以降
むやみに人に会うことも、
断る理由もできたし、
そもそも誘われることも
連絡がくることもなくなってきた。

さらにプラスすると一部友人知人には
3月の時点で

「自分の時間が欲しい」

「1人になりたいから」

と先に伝えておいたのが功を奏した。

別に用事もないのに何となく
あっていたような人々との縁を遠ざけた。

そうして、ひとりの時間をつくり、
自分の好きなことややりたいこと、
これまで何年もしたいと言いながら
できなかったことをしはじめると、

日常を、自分のやりたいことで
コントロールできるようになってきた。

今まで家族にも友人にも
嫌と言えず、出かけたくもないのに
ついていったり、

特別熱情がないのになんとなく
会ったり話したりしていたような
そういうものを遠ざけ、
1人の時間をつくったら、

二十数年間、いや、
まあ、実は1人の方が好きだな、
と気づき始めてからは2~3年ほどか

会いたくもないのになんとなく
人と会うのって面倒だな、
と思いつつも、何年もの関係や
なんとなくの付き合いで断れず
自分の時間を割いてきたその時間を


自分だけのために使ってあげられる

その心地良さを体感してしまったのだ。

連絡が来ると断れない人間だから
事前に、「一人の時間が欲しい」とか
「人と会うのストレスだ」と
公表していたのは、大人げないやり方だったかもしれないけど、
荒療治だったかもしれないけれど、
とてもよかった。


そうして、人とむやみに会わなくなり
少しずつ他人と距離をとるようになると。

自分との距離もとれるようになってきた。


私、自分がこうしたいとか、
こう思ってるとか、こうして欲しくないとか、

そういうこと考える余裕だとか、
そもそもそれを主張していいんだとか
知らないで26年間、生きてきたんだな。


気づいていなかったが私は既に

「独立不羈」の精神へ向かっていた。

緊急事態宣言が解かれても、
自粛ムードは続いていたし、
気の乗らない誘いを断る大義名分も
できたのは、本当に嬉しかった。

コロナウイルスという感染症が
全世界に広まったこと、
日本でも多くの方がなくなったり
苦しんでいること、
という面では、良いなどとは
思ったことは無い。

だがしかし、目の前に感染者や
自分が感染する、という危機に陥って来なかった2020年の私にとっては

コロナ禍という自粛ムードを
社会的にお願いされる、

緊急事態宣言による出社停止までに
陥り、

「人と距離をとりましょう」

「不要なら会うのはやめましょう」

と言われたことは、

断れない業界のトップの方にいた
私には、この上なく幸運だった。


結果、自分から誰かに連絡するのは
特定の気の置けない友人のみ、

ストレスになる人や
今距離を起きたいなと思う人は
次々とSNSをはずし、
ブロックし、距離をおき、

自粛の間に軽い運動と気分転換に
自分の家の近くの公園を毎日歩いたり
今まで観たいといいながら
観てこなかったアニメや映画などに
没頭したり

そんな、これまでしてこなかった

「余暇」を過してきて、

自分自身の心を、身体を、
身の回りの関係性を整え、
ひとりの時間をつくりだすことで
頭を無にする

止まらない歯車の、その歯のなかに
巻き込まれて、

もう、滑車を回っているのではなく
止まらない滑車に回らされている
ハムスターみたいだったわたしは

「コロナ」という外的な、
抗えない刃が刺さって滑車が止まったことで


歩むスピードを自分で整えられるようになったのだ。


そして、下半期になると、
友人や知人程度ならもう、
十分に距離がとれるようになり、

年末には、関係性の浅い街のキャッチやまだ1ヶ月ちょっとしか通っていない
ジムのトレーナーにも、

丸め込まれたりすることなく、

「いや、」と言える私になった。

これがまさに、

「独立不羈」

の大きな大きな一歩だったと思う。


2020年を通して、
「27歳の目標」のうちのいくつかに
手をつけられた。

例えば筋トレ。

例えばSNSの使い方をかえる
(マイナスなことを口にしないよう、
そしてマイナスなことを常に口にする友人や知人と縁を切る)

例えば6時間以上寝る。

例えば、
「幸せでいる、ご機嫌でいる、それをコントロールする」ということ。


例えば「健康の貯蓄」。

例えば「新しいことに挑戦する」。

そうしていくうちに、
私自身を整え、

わたしの身の回りの関係を整え、

幸せを感じる力を養い

肩の力を抜いて生きることを知った。

だから、2021年は、

2020年の間に種を撒いた、そうした
精神を、きちんと育て、芽をうみだし
花を咲かせて

社会的にも、見た目的にも、

きちんと自立、へ迎えるよう、

何歳で死ぬか分からない私の人生を
きちんと私にとって大切なことに
時間を使えるよう

1つの目標をたて、
それを達成できるようにという願いも
言語化した。

2021年の目標

「人生は時間配分。
最適な時間配分のための
合理的意思決定により、
幸福度を最大化する。」

これは、英語学習で有名なYouTuberの
ATSUさんの言葉。


そして、それを達成できますように、


システマスキーの書籍の学びを
活かして

「平常心と責任能力、深呼吸を意識して
毎日を丁寧に、HAPPYに生き続けられますように」

とした。

2020年の間に、絵馬と手帳に書いた
願いと目標は、

書けば意識してそうなるように
頑張ろうとする、と知った。


2021年末の私がどうなっているか

今から楽しみだ。

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