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本好きと勉強と将来の夢の見かた

いよいよ本格的に夏が訪れようとしている。
この時期になると良く思い出すのが夏休みの宿題。
私の書いた作文はコンクールの常連だった。

私の父は一級建築士で、自分の事務所で設計を請け負っていた。
自宅兼事務所なので父は割と毎日家に居て、私たちの勉強の面倒をみてくれていた。
母は勉強が苦手(と父が決め込んでいたが果たして本当のところはわからない)なので遊んだり家事をしてくれるのが母、勉強は父だった。

ところで建物の設計、と一口に言ってもその仕事は細分化されるそうで

建物のデザインを設計するのを得意な人もいれば
そのデザインが実現可能かどうか計算して、必要な柱の数を計算する「構造計算」
そして計算が終わった図面を現場の職人が施工する方法を書いた説明書のような「施工図」と呼ばれる仕事があり、父はその施工図が本職だったそうだ。

技術とコミュニケーションが必要な父の仕事

父の技術は一流だった、と聞いている。
そして父は多くの人から慕われていた。
「あおちゃん、あおちゃん」ととあるゼネコンの現場主任さんが気安く呼んでくれるのが父の自慢だった。
そもそも施工図と言うものは現場の職人さんと仲良くなれなくては作れないらしかった。

父は夢を叶えたタイプの人で、その叶った夢を誇りに思っていたようだ。

父曰くの話だが、技術堅気の人間は図面だけで語るから現場ともめる。
現場とデザインと構造計算の間を取り持つのが施工図であり、自分の人徳のなせる業だと誇らしげに語っていた。
そんな父は格好よく見えた記憶がある。

そして父は私たち子供にもそうあって欲しかった。

図書館で読む本がない私

私は義務教育時代図書館が大好きで本をよく借りていた。
図書カードを何枚ももらえるのが嬉しくてたくさん借りた。

これだけ話すと典型的な本好きの少女のように感じるだろうし、つい最近まで私も自分は子供の頃から本の虫だったと認識していた。
でも最近、全く違ったことに気づいた。
高校の図書館で出会った友人とどうにも話が合わないのだ。
誰々のあの作品を読んだ、読んでないなどなど。。。
私もたくさん本を読んでいたのに全く話が合わないのはどういうことか。
例えばその友人と趣味が合わなかっただけということもあるのかもしれない。

ナルニア国物語は母が買ってくれて全巻読んだが、一番好きなのは魔法使いの弟子でそれだけをずーっと読んでいたし、ミヒャエルエンデのモモは何回読んだか憶えていない。
でも不思議なことに内容も覚えていない。

本好き少女の将来の夢

本を借りてくる私を父は喜び、文系の娘にその道のすばらしさを説いた。

「本を読むのなら本を書く道に進めばよい」
「読書感想文や作文を書いていずれは小説家、いや新聞記者になれるぞ!」

わたしは特に疑問をもたずふむふむうなずき、言われるがまま作文を書いた。
途中父の趣味が入って軌道修正されることを不愉快に感じながらも、出来上がったものが素晴らしかったので言い返すことができずそのまま提出した。

企画・原案:ぱちこ
編集:父

その作品は市のコンクールで優秀賞か何かを取ったと思う。


大人になってから本を買うのだが、本を買うのに糸目をつけまくっていた。
何日も吟味しまくって一冊入魂で購入し、何回も読んだ。
お金が無いから図書館で本を借りようと思い私立図書館に赴いて驚いた。
私にはどの本を借りればいいかさっぱりわからなかったのだ。

私は愕然として失意のまま何も借りずに図書館を後にした。

しかし気づけば単純なことであった。
私は確かに本を読むことは好きだったが、何でも読むということはしなかった。
もっと言うと、一度読んで好きになった本を何度も何度も読んだ。
ある作家さんのAと言う作品が面白かった!じゃあ次は同じ作家さんのBを。。。とはならないのだ。

私は本が好きなのでは無い。
好きな本だけを読んでいたいと言うとてもわがままな読者だった


養われる語彙力と広がる世界観

こうしてその自らの幼稚な趣味を恥ずかしく思っている私は、今こうして文章を書いている。
ブログやnoteで自分の意見を発信したり時には小遣いを稼いだりしている。
ブログ界隈の繋がりもわずかながらに持っており、お互い切磋琢磨していた、つもりだった。
しかし私は彼らのブログをほとんど読んでいない。
正確にはブログ自体は何度か立ち入ったが、記事の隅から隅まで目を通したかと問われると、明確にNOである。
特に最近はブログ更新のツイートも少なくなったのでわざわざプロフのURLからブログを訪れることなんて本当になくなってしまった。

そのくせに自分の記事を読んでもらおうなんてあまりに傲慢である。

稼ぐ稼がないの問題以前に私は本質的な語彙力が不足しているように思う。
例えばこのような「思いの丈」を率直に書くことは容易だが、そこに「他者に伝わる表現」として比喩を上手に用いてみたいと思う。
しかしそれは今のところ出来ていない。
比喩表現のバリエーションが少ないと言うことは、私には語彙力が足りないと言うことに他ならない。
あの頃図書館で自分の趣味に合う本を「探さなかった」ことがここに現れている。
もちろんわかっている、今からでも数々の書物に触れて勉強し、文才を磨くことは遅くない。
遅くないけど早くないよねって話。
ただそれだけ。

夢見る機会を奪う一言

私は本を読むのが好きだと父に話すと彼はこう言った

【じゃあ将来は小説家だね】

私は新聞を読むのが好きだと父に話すと彼はこう言った

【じゃあ将来は新聞記者だね】

私は天気の仕組みが気になると父に話すと彼はこう言った

【じゃあ将来は気象予報士だね】


私は今の今までなりたい職業を思い描いたことがない。
花屋さんもパン屋さんもピンとこなかった。
小説家も新聞記者も気象予報士だってふにおちず、ただそれになりたいと口にすると父が嬉しそうだったので言ってみたことはあった。
嬉しそうな父が「気象予報士になるにはまず大学に行って…」などと言い始めるのがたまらなく苦痛だったのだけは記憶にあるのだが。


父の発言が私のやる気を大きく削いだのは間違いないが、そのせいで夢を見なかったわけではない。
ただ私が親になったら、子供が好きなことを見つけた時、そのことを楽しんでいる今を褒めてあげたいと思っている。
将来の職業はあくまで本人の選択により現実を叶えた結果だと言うこと。
野球少年だって全員がプロになりたいわけではないと言うことを、私は忘れないでおこうと言う話だ。

夢を叶える努力を怠らずそこに向かう気持ちを持った方々は本当に尊敬しています。。。。あーお金持ちになってのんびり過ごしたいわ〜ーー

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