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大人の視野の狭さが一人の生徒の未来を狭めた事例を美談のように語るな

2022年夏の高等学校野球選手権大会
通称夏の甲子園は仙台育英高校の初優勝にて幕を閉じた。
大変熱い戦いを繰り広げた選手の皆様に賛辞を送りたい。

その一方で大会前の報道にわたしは違和感を覚えた。
あたかも高野連の制度不備を匂わせる報道各局の演出も理解できない。

それは甲子園の入場行進の先導役を務めた女子生徒の話題だ。

男子チームの公式戦に女子は出場できない

その女子生徒は中学時代から能力が評価され、高校入学時にはすごい選手が入ったと話題になった、と所属チームの監督は語る。
そのチームとは男子の公式戦に出場するいわゆる男子チームで、その中で主将としてチームを引っ張っているほどの腕前だという。
そして監督はこう続けるのだ。
「彼女は選手として他の男子となんの違いもない。」
わたしは指導者として失格だと感じた。

違いがないというのならなぜ彼女は男子の公式戦に出場できないのだろう。
これは日本高校野球連盟の規約に記載されているのだ。
違いは明確に存在する。
それは生物化学的に男性と女性の違いがあって、そこから目を逸らすことはできないからだ。

簡単に言えば、危ないのだ。

筋力に差がある

男女には明確な肉体の違いがある

男子高校生の中には卒業後すぐプロ入りして活躍するような成熟した体をもつ選手もいる。
その中にいくら力があるとはいえ女子が入ってもし怪我をしたら誰が責任を取るのか。
それが仮に男子同士の試合でも同様になったとしても、お互いに心と体を傷つける可能性を減らすのが指導者の役目ではないのだろうか。

思春期の男女の健全な関係

思春期男同士の会話がしょうもないのと同じくらい、女子の会話もしょうもないのが思春期である。
そしてそれらが混ざり合うことで青春ヒストリーがあるわけだが、本人達がいかに真面目に野球だけを真摯に行っていたとしても周囲に下世話な勘ぐりをするものはいる。
あまり言いたくはないが野球に接触プレーはつきものだ。
対戦相手としてならいざ知らず、同じチーム内で全てをコントロールできるのかは非常に疑問だ。

女子が女子らしく活躍できる場所は存在する

野球に男女格差はない、でも分けることは必要

勘違いされがちだが全国高等学校女子硬式野球連盟という専門の組織が存在する。
そのため日本高等学校野球連盟(男子高野連)は女子についてはそちらで扱うものとしている。
もちろん男子チームに入部自体は拒むことなく、野球好きな女子が甲子園優勝を狙うチームのマネージャーになり憧れの甲子園の土を踏むことは昔からあることだ。
男女の性差について述べることをことさら嫌う現代においてこの論説はタブーなのだろうか。
いやそんなわけあってたまるか。
事実女子の高校野球連盟は別に存在するのだから女子で野球の実力者ならば、思い切り野球のできる環境に送り出してやるのが周囲の大人の義務だ。

今後は指導者にも女子野球チームに理解を

今年女子硬式野球の全国大会決勝戦は甲子園球場で行われた。
女子野球の今の規模なら「決勝戦のみ甲子園開催」が妥当であり大いなる進歩である。
今までは女子野球チームは非常に規模も小さくレベルの低いものだと勘違いしていた指導者もいるだろう。
今大会の試みが野球指導者たちの意識に変化をもたらすことを期待したい。

また、今回のことが叶ったのは阪神甲子園球場の運営会社や関係各社の努力の賜物であろう。
もちろん女子野球のレベルの高さや盛り上がりをアピールしてきたイチローさんやその他の支援者の声も後押しになったと感じる。
何より選手がとても楽しそうに試合をする姿はとても爽やかな印象を受けた。

もちろん生徒本人の意思を尊重することが一番だが、十分な選択肢を用意するのが指導者だとわたしは考える。

  1. 地元の仲間と共に野球に取り組むが公式戦出場できない道

  2. 女子野球部に入部し甲子園で試合する可能性はあるが野球留学前提の道

女子野球チームが今後増え続ければ選択肢も自ずと増えるだろう。
現状どちらも厳しい道であることは否めないが、それでも野球に取り組む情熱ある女子生徒に思う未来を見せてあげたい。
野球好きの大人の一人としてそう思う。


高野連は女子選手の公式戦出場を認めていない
各局で繰り返された一文は事実である。
それは決して時代錯誤のルールではなく現段階でできる安全配慮の一環であるのだ。

報道各社のジェンダー配慮を演出したい気持ちはわかるが行きすぎた平等は逆に選択肢を狭めることになりはしないか。

今一度、報道各社には演出のあり方を考え直してもらいたい。

わたしは男女関係なくのびのびと野球を楽しめる環境が叶うことを切に願う。

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